君のブレスが切れるまで

第55話 生まれ変わる日

 ビルのジャングルという街を歩きながら、私はある人へと電話していた。


「うん、今晩食事でも……場所は予約してあるから。え? お金? そこは、まぁお姉さんに任せておいて。うん、うん……それじゃ今日の夜に」


 電話を切ると私は顔をあげる。
 目の前のお店は、商売繁盛と言っても過言ではなく、連日人が混み合う人気店だ。
 私は扉に手を掛けると、店内へと入り込む。すると店長らしき人が出てきてくれて、私に元気のいい声を掛けてくれた。


「いらっしゃいませー! ご予約……って」
「ルリ、カットしてもらいに来ちゃった」
「か、奏⁉ うそっ! ちょ、ちょっと待って! どうにか時間作るから!」


 その声に従業員の人たちの視線が私へと向く。注目の的になるのは恥ずかしくて、すぐにネタバラシをする。


「あっ……大丈夫だって! 偽名で予約してるから……」
「偽名ですってー! ちょ……あんたねぇ! んんんぅーあーもう! 助かるけど、見抜けなかった私が悔しいわ!」


 ルリがキィキィいいながら悔しがる姿が微笑ましい。ずっと私が来るのを待ってくれていたんだなぁ……。


「で、お客様? あなたの名前をフルネームで教えてもらってよろしいでしょーか⁉」
赤城(あかぎ) (かなで)でーす!」
「ぐっ……ほとんど違うことないじゃない! で、予約時間は……あーピッタリね。こんな偽名まで使って、指名もないし……たまたま手が開いてなかったら、私がカットすることもなかったかもしれないのよ⁉」


 まったくもーと言いながら、席まで通してくれるルリ。そんなルリのことを見て、従業員の人たちはニコニコしているようだ。なんだか雰囲気の良さそうな職場、ルリの人柄が出てるのかな?
 私は促されるまま椅子へと座ると、怒ったような口調でルリが唸っていた。


「ぐぬぬぬ、奏……聞いてないわね⁉ まぁ、今回は良かったけどさ。次から私を指名しなさい! 偽名使わなければ、優先することくらいちゃんとできるから!」
「サプライズだよ、サプライズ」
「そーゆうサプライズは求めてないの! もう……」


 流石に悪かったかなと思いながらも、ルリは呆れたように言いつつ喜んでくれてるようで私も嬉しかった。
 一つ咳払いをしてルリは普段とは違う、喋り口調となった。


「それじゃ、今回のカットは桜田(さくらだ) 瑠璃子(るりこ)が担当させて頂きます。今日はどんなカットをお求めでしょうか?」
「わお……本当にプロみたい」
「プロみたいじゃなくてプロなのよ……!」


 こういう風にちゃんと突っ込んでくれるルリには頭が下がるばかり。
 そんな明るいルリに、意地悪したくなるような従業員の気持ちもわかるような気がする。客層もいいし、みんな店長のルリに惹かれてるのかも。


「ほら、さっさと決めなさい? カラーも入れるんでしょ?」
「あ、ごめん! それじゃ、高校時代のあの時の感じがいいかな……」


 我ながら曖昧な注文、曖昧すぎてわからないだろう。だけど、目の前の鏡に映るルリは両手を肩の辺りでやれやれという風にため息をつく。


「あーあーやだやだ。それでわかっちゃう私は本当、何者でしょうね?」
「え? わかったの?」


 座った私へルリはカットクロスを広げると、


「わかるっつーの! 私があんたに嫉妬した時の髪型……よっ!」
「ぐえぇ……く、苦しい!」


 若干強い力でギュッと首元を結ばれる。切る前の準備だといっても、これはやりすぎだよ!
なんて思っていたらすぐに緩めてくれる。なんだか、飴と鞭を同時に受けているような気分だ。
 そんなこととは露知らず、ルリはカットの準備に取り掛かっていた。
 そういえば前に、私の髪型に嫉妬したとか言っていた気がする、その頃の髪型は確かに私の頭にある髪型と同じだ。
 ルリの中でそれほど強い印象が残っていたのかな?


「奏、カットしに来るなんてどういう風の吹き回し?」
「え? ああ、なんとなく……かな?」
「本当?」
「ほ、ほんとだよ?」
「ふーん、今日デートだな」
「で、デートじゃないけど……例の子とご飯食べにいく約束は取り付けたかな……」
「は? うそ、奏が? この陰キャの奏がぁぁぁぁ⁉」
「陰キャ言うな!」


 いや、確かに言われても仕方ないほど落ち込んでいたとは思う。雨が亡くなってからの五年間は本当に陰であったから。


「ま、何か吹っ切れたんでしょ? 奏の中で」
「うん、あの子とルリに逃げないでって言われてから……いろいろと、前向きになったかな?」
「ふぅん? そっか、私はその笑顔が見られただけで十分かな」


 そう言われ、自然と笑えてることに自分でも驚く。
 ルリには随分心配かけたもんね。後は素直にありがとうって言えればいいんだけど、いざとなるとなかなか言えたりできないのが私の悪いとこだ。


「……じゃ、カット始めるよ? いいんだね?」
「うん。私、今度はちゃんと変わりたいから」
「おっけー。超可愛くしてあげる。納得いかないけど、今日だけは私より可愛くしてやる」
「えぇ? ルリってそんなに自信家だったっけ? 背はちっちゃくて可愛いけど……あっ」
「あっ……じゃないわよ! 今禁句言ったぞ? あんたの髪は私の手の中にあるんだから、そこんとこわかってるぅー?」
「は、はい……ごめんなさい。瑠璃子様、どうか普通でお願いします……」
「都合のいいときだけ様付けして。まぁ……ちゃんと可愛くしてあげるから、安心なさいな」
「……うん。ありがと、ルリ」


 素直じゃないから、不意に言えたその『ありがと』に笑顔と感謝の気持ちをいっぱい乗せる。
 鏡に映ったルリは少しだけ微笑んでくれて、長い私の後ろ髪を、雨との決別の証として切ってくれたのだった。


 §


 それからかなりの時間が経って、亜麻色となった私の髪をルリは最後に仕上げとしてセットしてくれる。テキパキとした彼女の姿を目で追いながら、私は褒め言葉を零す。


「ルリ、本当に上手だね」
「そう? んー……まぁ、そうね。常に高みを目指す感じにしないと、お客様は満足してくれなくなっちゃうから。ここでいいって、立ち止まってもいられない。流行り廃りもあるし、美容師は結構大変なのよー?」


 だから上手くなるし、上手くなくちゃいけないとルリは笑っていた。上手と言われ『そんなことないよ』なんて謙虚な素振りを見せないのは、ルリにはプロとしての自覚と絶対的な自信があるからだろう。
 そんなルリの考えは立派の一言、プロの鏡と言っても過言じゃない。それで尚、現在の自分の腕に決して驕ったりはしなくて、常に努力し続けている。ルリのお店がこんなにも人気なのは、ルリが負けず嫌いで血の滲むような努力をしてきた結果なんだ。結構大変と軽く言ってるように聞こえる言葉は、恐らく言葉以上の苦労があったに違いない。
 ルリはルリのできることをやっている。私は私のできることをやっていきたい。私にしかできないことを。


「んー? 真剣な顔して、どうしたのよ? もしかして、デートで緊張してる?」
「あ、ううん。ルリってすごいなって思ってね?」
「褒めたって、何も出ないわよ? ま、苦労してるのはお互い様でしょ……と」


 その言葉の意味は雨との件のことを言ってるのかもしれない。確かにもう一度、こうやって前を向けるまでにはかなり苦労した。
 セットが終わり、全工程が終了したのかルリは道具を片付け始めていた。


「いつ見てもその眼、すごく綺麗よね。宮城さんとは色違いで不思議な色合い、きっと特別な眼なんでしょ?」
「え……?」


 唐突にそう言われ、私はびっくりして声を上げてしまう。ルリはカラコンだと前まで言い張っていたのに。


「何びっくりしてんのよ、カラコンじゃないのくらいすぐにわかるって! まぁ……最近まで見抜けなかったけどさ。昔の色がカラコンだったかは知らないけど、すごく綺麗な眼だから、傷つけないようにね? その眼、私も好きなんだから!」


 昔の目、私がこの祝福の眼に変わる前のことを言ってるのだろうけど、どっちもカラコンじゃないんだよ? なんてことは言わない、祝福の眼についてはルリにも秘密だ。ルリは特別な眼だと言っていたけど色合いが特別というだけで、特殊な力があるとは気づいてるわけじゃないみたい。
 ただそうやって純粋に見てくれて、雨と色違いのこの眼を好きだと褒められた私はすごく嬉しかった。
 そんな私にルリが、高校時代のときのように背中から抱きついてくる。


「ちょ、ルリ……?」
「ふふん、超可愛くしてやったぞ?」


 そう言われ、指を差された鏡へと目を向ける。
 私とルリの顔が横に並び、彼女はにししと八重歯を見せ笑っていた。
 あの頃と同じ髪色、髪の長さ。セットされた髪型は高校生の頃とは変わり、毛先にウェーブが掛けられお姉さんという感じだ。


「えへへ……うん、超可愛い」
「……! ほんとに、ちゃんと笑えるようになったのね……」


 ルリはなぜか少しだけ泣きそうになって、私の側から離れると後ろを向いていた。


「雨が誕生日に素敵なプレゼントをしてくれたから……」


 疑問符を頭につけた感じで振り向くルリに、スマホのツーショット写真を見せる。


「えぇぇぇええっ⁉ こ、これ宮城さ……それに笑ってる⁉ 嘘、ちょっ、奏、説明しなさ……!」


 スマホをカバンへ戻すと、ポンとルリの胸に手を置き、今回の料金を払う。


「もう時間ないから! 行くね! ルリ、ありがと!」
「奏! 説明! っていうか、お代は……ああ、もう!」


 私はルリに捕まらないようにスルスルと店内を潜り抜け、外へと出る。
 ごめんね、ルリ。他のお客さんがいるお店の中で店長のルリが『お代はいいよ』なんて大声で言えるわけないの、知ってたから。
 それに、お店に行ったんだからやっぱり代価は必要だ。ルリの好意に甘えるのは、また今度にさせて?


「奏!」
「ん、ルリ?」


 店の前まで出てきたルリと、人混みの中にいる私が向き合う。


「行ってらっしゃい!」
「っ……行ってきます!」


 笑顔で大きく手を振ってくれるルリに、私も大きく手を振り返す。
 さぁ、今日の最後のイベントへと向かおう。
 あの時の男の子……宮城(みやぎ) 光輝(こうき)くんにちゃんと伝えようか。
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