君のブレスが切れるまで
終幕 君のブレスが切れるまで 【2031年6月~】
第58話 誰かを救うこと
五年後。
世界のミヤノジョウグループに次ぐ、巨大な奉仕企業『レイナーズブレス』。四年前に新規で立ち上げられたにも関わらず、謎の急成長を遂げ、現在では世界に名を轟かすほどの力を持っている。
そこの部門主任として働くある女性。
かつてはツインテールをトレードマークとしていた少女だったのだが、現在はバッサリと切り落とし短髪となっていた。
彼女はテキパキと部下へ指示を出しつつ、オフィスでパソコンとにらめっこをしていた。
「まだまだ世界には戦争する馬鹿はたくさんいる……か。あたしも馬鹿の一人だったけど……」
奉仕企業といえどもお金がなければ活動ができない。にも関わらず、業績は右肩上がり。
紛争地域に現れた『現代のナイチンゲール』。それに続く意思を志した企業としてここは有名だけど、有名だからこそ、その名を騙る偽善だという声もある。
「偽善でもなんでも、人々に求められている。これが現実。あの子のやってることは間違いじゃないってこと。現代のナイチンゲールがどんな人だったかまでは、残されてなくてわからないけど……その志を共にするっていうのはいいじゃないさね?」
コクリとコーヒーを飲むと一旦休憩。今日は社長と会長はいないのだ。あたしがしっかりしておかないと。
「あやか、今度の会議で使う資料作っておいたから、目を通しておいて! それと!」
「そろそろ昼食行こうよー!」
しっかりしておかないと、と思った矢先のこの二人だ。仕事は早いがマイペースすぎる子たち。だけど。
あたしは時間を見て、そろそろ頃合いではあるなと考える。
「ま、休憩も仕事の内、行こうか」
「わーい!」
「そうこなくっちゃ!」
そう言って、あたしたち三人はオフィスを後にする。
ここで、あたしらみたいなのがあの子の力になれるのも、あの子が優しかった影響だ。
あたしを監視下に置くという意味合いもあるだろうけど、それでいい。そうじゃないといけない。
あたしがあの子たちから奪ったものは許されるはずもない罪、一生をかけて背負わなければいけない罰だ。あの子だけじゃない、あたしが生きてきた中で傷つけてしまった人間はたくさんいる。
法の実刑なんて生ぬるい、あたしはあの子が決めた罰の中で生きていく。それがあたしの、一生を背負っていく罪滅ぼしなのだから。
エレベーターに乗るあたしは、かつて、事故で眠りについていた恵と日向に頭を下げる。
「今まで、あたしの遊びに付き合わせてごめん……」
「……何言ってるのさ、あやか。元はと言えば私が言い出したこともたくさんあるし……私たち二人も、あの子には悪いことした。それなのに、あの子は私たちにもチャンスをくれた」
「うん。今までの悪いことをした分……良いことで返す、っていうわけにはならないかもだけど、それでも私たち頑張るから! あやかの分も私たちに背負わせてよ!」
「あんたたち……」
少しだけその言葉に涙ぐんでしまう。馬鹿だな、あたしは……小さい頃からなにやってたんだろ。もっと……もっと、早くあの子に会えていたなら、あたしはエスカレートする前にやめられていた? それとも馬鹿だから、無理だった?
「ちょ、あやか……泣くなよー!」
「け、化粧崩れちゃうよ⁉ えっと、ポケットティッシュどこだっけー?」
「ふっ……いや、改めて感じるとやっぱり自分のした罪は大きすぎて、申し訳ない気分よ……頑張らなきゃ、あの子の為にさ」
昼食を取った後、すぐに仕事へと戻るとあっという間に一日が過ぎていく。この会社は残業をしてはいけない仕組みだ。社員の生活が第一と掲げてるだけはある。
「あやかー。先帰るねー!」
「あやかも早く帰らないと、怒られるよー?」
「あ、うん。あたしも少ししたら出るから、先に帰って」
恵と日向に手を振り、あたしもようやく帰り支度を始める。
ここは給料も良く、福利厚生もしっかりしているが入社できるのは一部の人間だけ。
人事部の人間と、更に会長のあの子が自ら面接に応じるのだ。会長が言うには、他人のことを想う慈しむ力を強く持ってる人に限り採用するらしい。
ここにいるあたしに他人を慈しむ力があるかどうかは疑問だけど……。
『あやかには特別なカリスマ性がある。私の元でその力を使ってほしい』
『あたしみたいのじゃ、あんたの思想とは外れると思うけど……』
『私にはわかるから。もうあやかが人を傷つけるようなことをしないってことが』
『…………』
『返事、待ってるから』
そして、あたしは結局あの子の元にいる。あたしはあの子に甘えているのだ。このままであの子のために何かができているのだろうか、不安に思うことすらもある。
オフィスを出て、エレベーターで一階へ降りると夜の街へと歩みを進める。
駅の方へと向かっていると、ある四人組の……女子高生だろうか? 全員が全員同じような子ではない。一人だけが絶望の表情を浮かべている。三人組とはイメージの異なる女の子だ。
あたしはすれ違うと、チラリと振り返る。
この街の人間は誰もそんなことを気にしちゃいない。誰も見てない、誰もあの子を救えやしないだろう。
あたしの視線に気づきもせず、彼女らは人の目を避けるよう路地裏へと曲がっていった。
「……行く、か」
あたしは考える間もなく、すぐに彼女らの後を追うことにした。
歩んでいく路地は入り組んでいて、足取りを追うのは難しい。しかし、あたしには過去の過ちがある。あたしなら、奴らの行く場所には検討が付く。念には念を……そう考える奴らの行く場所は。
袋小路、本当に人の来ない場所だ。
そして、辿り着いたそこには案の定、四人の女子高生がいた。すぐにあたしは胸の内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「金持って来てって言ってたよねー? なんでわかんないかな? 馬鹿なの?」
「どうしよっか、こいつ。裸にしたら帰れなくなっちゃうとかない?」
髪を染めて派手目の化粧を施してるあの二人は取り巻き……か。で……あいつがリーダー。昔のあたしのようにツインテールをしている女だ。
「その前にストレス発散させてもらわないとね。言ったことを素直に受け止められない奴はこうしてやる……」
「や……やめ……」
端から見るとこんな胸糞悪いシーンだったとはね。リーダー格の女学生が足を振り上げようとしたとき、あたしは静止を促せるため大きな声を上げた。
「ストップ! 何やってるのかなぁー?」
瞬時に振り向く三人。だが、スーツであるあたしの姿を流し見した後、すぐに笑みを見せ大胆不敵な態度を取り始めた。
「誰かと思えば、おばさんか……。何の御用でしょーか? 私たち、ちょっと遊んでただけなんですけどー?」
おばさん……おばさんか。はっきり言われるとちょっと来るもんがあるけど、あながち間違いではないから訂正はしない。
後ろで蹲っている子を確認すると、日頃からいじめられているような怯えきった目をしている。あたしにはそれがわかる。負の遺産だ。
「遊んでたにしちゃあ、随分と手荒な感じだね。でも、これを聞いてもそう言えるか?」
先程録ったボイスレコーダーを右手で取り出し、再生させる。
『金持って来てって言ってたよねー? なんでわかんないかな? 馬鹿なの?』
『どうしよっか、こいつ。裸にしたら帰れなくなっちゃうとかない?』
『その前にストレス発散させてもらわないと、言ったことを素直に受け止められない奴はこうしてやる……』
ここで停止する。
少しだけ、三人の顔に焦りが見える。そりゃそうさね、わずかばかりとはいえ証拠を押さえられているんだから。
「だ、だから? それじゃ証拠としては薄いと思うけど?」
「確かに薄いかもね。でも、だからと言ってこれ以上のことをやるわけにはいかないでしょ?」
「……チッ。……いや、良いこと思いついたかも……」
可愛い顔に反して、可愛くない舌打ちだ。三人は先程の少女に興味を失ったように、今度はあたしの周りを囲んだ。
「おばさん、後悔しても遅いよ。私に楯突いたこと、痛いほど味わわせてやる」
「調子乗ってるおばはん程ウザいのはないもんねー」
「せっかくだし、あんたからお金もらうことにするかね」
はぁ……どうしてこうなるんだか。実力差があることに気が付かないと、痛い目を見るのは自分の方なのに。とはいえ三十路を過ぎたあたしがちゃんと捌けるかというのも……いや、それだけじゃ不安材料にはならないか。
ただあの子に迷惑かけるわけにはいかない。穏便に済ませたいとこだけど……。
§
しばらくすると息を切らしたように、三人の女子高生が膝をついていた。
「はぁ……はぁ……こっちは三人がかりなのに」
「なんで……なんで」
「くそ……」
手荒な真似はしていない。ただ少し付き合ってあげただけ。見え見えの蹴りや拳、掴みは難なく避けられるし捌ける。喧嘩慣れをしているわけでもない、ただ単にやり返せない弱い者いじめをしている集団に過ぎない子どもたちだ。
「あたしに目をつけられたのが運の尽きだ。残念だけど、あんたらじゃあたしには勝てない」
リーダー各の、昔のあたしに良く似た女の胸ぐらを掴んで立たせる。少々手荒になるが、ここで言い聞かせておかないといけない気がしたのだ。
「今のうちに手を引きなさい。悪いことをすれば必ず返ってくる。それとも、ここで死にたい?」
「ひっ……!」
あたしは何度も、何度もあの子を殺した。夢の中でも、現実でも。けれど、あの子は死ななかった。その頃の殺意を一瞬だけ引き出す。
そうすれば、それはあたしにも返ってくることは知っている。黒い部分を見せれば、あたしが死ぬのはあの子が決めたことだから。
だけど、この女はここで止めないといけない。あたしのようになってほしくないから。
恐怖は人の心を容易く支配し洗脳する。昔を思い出す手荒なこういう方法は好きじゃないけど、これでわかってくれるなら。
「っ……」
急激に体が痛む。本当に呪いが掛けられているような感じ……だっ。
「い、嫌です……死にたく……ないです……!」
「なら……行きなさい」
「は、はい……!」
リーダー各の女はあたしの手から逃れると、青ざめた顔で二人を連れ、路地裏から逃げていく。いじめられていたであろう女の子を残して。
あたしは痛み耐えながらゆっくりとその場に座ると、その子は慌てて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか? 私のせいで怪我とかしたんじゃ……」
「っ、怪我はない……よ。はぁ、はぁ……まぁ死なないだけ、儲けもんね」
肩に掛かるかどうかくらいの黒髪で、メガネをかけている女の子。あの子とは似ても似つかない子ではあるが、雰囲気は少し似ている。
「死なないだけ儲けもんって……意味わからないですよ……」
「死ななきゃ良いことあるかもしれないってこと、あたしは死んでもおかしくなかった状況だったから」
この子にしてみれば意味不明なことを言う痛いおばさんってところかね……。少々激痛を感じるだけで死んでないってことは、あの子はあたしを殺すつもりなんてなかった、そういうことだろうか。
けど、この痛みは黒い感情をぶつけるのを悪だと教えてくれている。次、こんな場面に陥ったときは上手い切り抜け方を考えないといけない。この痛みは泣き言を口走ってしまいそうになるくらいしんどいものがある。
「……生きてても良いことなんてないです。毎日、お金持ってこいなんて言われて……何度も叩かれて、多分……これからもずっとそうです。こんな最低な世界じゃ私のいる場所なんてないから」
視線を下げ、彼女はそう言った。
そうか……最低な世界か。あの子もこんな気持ちだったのかな。あたしはあの子の気持ちを一度たりとも聞いたことがなかったから。
これがいじめる人間と、いじめられる人間の気持ちの違い。搾取する側は、される側の気持ちなんて一つもわからないのだ。
きっと、誰もが知らない。知りたいとも思わないだろう。あたしもそうだったから。でも、奪われる側は知ってる、その痛いほどの気持ちを、嘆きを。
馬鹿だな、あたしは……こんな悲しいことを繰り返していたのか。これじゃ、あの子のためにどれだけ償えばいいか……。せめてこの子を救うことくらい、あたしにはできないか……?
「どう……だかね。未来のことなんて……誰にもわからないもんよ。もしかしたら、明るい未来が待ってる可能性だってありえる」
「……そんな気休めを言うために、私を助けてくれたんですか……? もしかしたら、お姉さんが私を殺してくれる存在になってくれるかと思ったのに……」
「……それはあたしが殺意を剥き出しにしたから、思ったの?」
少しだけ戸惑ったようにして頷く彼女。
わずかながら小刻みに震えている体、この子は他人の感情に敏感だ。あたしの殺意の感情にもすぐ気がついた。
この子の心はとても綺麗で、澄み切っていて……そこに悪意という名の墨汁を流し込まれている。
「人生、何があるかわからないもんよ。それにあんたはもしかしたら逸材かも……」
「え……?」
「あんた何年生?」
「え……っと、高校三年生です……」
あたしは痛みの引いてきた体を立ち上がらせると、自分の名刺を彼女へと手渡す。
「そう……これはあたしの勘だけど、あの三人組にいじめられることは多分もうないはず。もしも、続くようなら連絡して。あたしがあんたを守ってやってもいい」
「こ、これ……」
「後、それね。あんたが大学に行くかどうかまでは知らないけど……卒業して、もし興味があるなら面接にでも来てみて。会長にも話を通しておくから」
「え、えっ? これ……私が受けられるような企業じゃ……」
「言ったでしょ。人生何があるかわかんないって……幸運はどこで拾うかわかんないものよ」
あの子の幸運は、もしかしたら人を繋ぐこともできる。
あたしがこの子をちゃんと救えているのかはわからないけど、恐らくあんたのためになる逸材を見つけたのかもしれない。
ねぇ、奏。あたしはもっと上手く人を説得できるようになりたい。あんな方法を使わなくとも、恐怖で人を従えさせるようなことじゃなくて。奏はきっとできると信じたから、あたしを拾ったんだよね。それはきっと監視下に置くためじゃない、あたしを必要だと思ってくれたからなんでしょ?
なら頑張るよ、あたし。
この生が尽きるその日まで、あたしは奏の為に生きよう。
あたしの持てる全ての力を、奏の為だけに使うと誓おう。
世界のミヤノジョウグループに次ぐ、巨大な奉仕企業『レイナーズブレス』。四年前に新規で立ち上げられたにも関わらず、謎の急成長を遂げ、現在では世界に名を轟かすほどの力を持っている。
そこの部門主任として働くある女性。
かつてはツインテールをトレードマークとしていた少女だったのだが、現在はバッサリと切り落とし短髪となっていた。
彼女はテキパキと部下へ指示を出しつつ、オフィスでパソコンとにらめっこをしていた。
「まだまだ世界には戦争する馬鹿はたくさんいる……か。あたしも馬鹿の一人だったけど……」
奉仕企業といえどもお金がなければ活動ができない。にも関わらず、業績は右肩上がり。
紛争地域に現れた『現代のナイチンゲール』。それに続く意思を志した企業としてここは有名だけど、有名だからこそ、その名を騙る偽善だという声もある。
「偽善でもなんでも、人々に求められている。これが現実。あの子のやってることは間違いじゃないってこと。現代のナイチンゲールがどんな人だったかまでは、残されてなくてわからないけど……その志を共にするっていうのはいいじゃないさね?」
コクリとコーヒーを飲むと一旦休憩。今日は社長と会長はいないのだ。あたしがしっかりしておかないと。
「あやか、今度の会議で使う資料作っておいたから、目を通しておいて! それと!」
「そろそろ昼食行こうよー!」
しっかりしておかないと、と思った矢先のこの二人だ。仕事は早いがマイペースすぎる子たち。だけど。
あたしは時間を見て、そろそろ頃合いではあるなと考える。
「ま、休憩も仕事の内、行こうか」
「わーい!」
「そうこなくっちゃ!」
そう言って、あたしたち三人はオフィスを後にする。
ここで、あたしらみたいなのがあの子の力になれるのも、あの子が優しかった影響だ。
あたしを監視下に置くという意味合いもあるだろうけど、それでいい。そうじゃないといけない。
あたしがあの子たちから奪ったものは許されるはずもない罪、一生をかけて背負わなければいけない罰だ。あの子だけじゃない、あたしが生きてきた中で傷つけてしまった人間はたくさんいる。
法の実刑なんて生ぬるい、あたしはあの子が決めた罰の中で生きていく。それがあたしの、一生を背負っていく罪滅ぼしなのだから。
エレベーターに乗るあたしは、かつて、事故で眠りについていた恵と日向に頭を下げる。
「今まで、あたしの遊びに付き合わせてごめん……」
「……何言ってるのさ、あやか。元はと言えば私が言い出したこともたくさんあるし……私たち二人も、あの子には悪いことした。それなのに、あの子は私たちにもチャンスをくれた」
「うん。今までの悪いことをした分……良いことで返す、っていうわけにはならないかもだけど、それでも私たち頑張るから! あやかの分も私たちに背負わせてよ!」
「あんたたち……」
少しだけその言葉に涙ぐんでしまう。馬鹿だな、あたしは……小さい頃からなにやってたんだろ。もっと……もっと、早くあの子に会えていたなら、あたしはエスカレートする前にやめられていた? それとも馬鹿だから、無理だった?
「ちょ、あやか……泣くなよー!」
「け、化粧崩れちゃうよ⁉ えっと、ポケットティッシュどこだっけー?」
「ふっ……いや、改めて感じるとやっぱり自分のした罪は大きすぎて、申し訳ない気分よ……頑張らなきゃ、あの子の為にさ」
昼食を取った後、すぐに仕事へと戻るとあっという間に一日が過ぎていく。この会社は残業をしてはいけない仕組みだ。社員の生活が第一と掲げてるだけはある。
「あやかー。先帰るねー!」
「あやかも早く帰らないと、怒られるよー?」
「あ、うん。あたしも少ししたら出るから、先に帰って」
恵と日向に手を振り、あたしもようやく帰り支度を始める。
ここは給料も良く、福利厚生もしっかりしているが入社できるのは一部の人間だけ。
人事部の人間と、更に会長のあの子が自ら面接に応じるのだ。会長が言うには、他人のことを想う慈しむ力を強く持ってる人に限り採用するらしい。
ここにいるあたしに他人を慈しむ力があるかどうかは疑問だけど……。
『あやかには特別なカリスマ性がある。私の元でその力を使ってほしい』
『あたしみたいのじゃ、あんたの思想とは外れると思うけど……』
『私にはわかるから。もうあやかが人を傷つけるようなことをしないってことが』
『…………』
『返事、待ってるから』
そして、あたしは結局あの子の元にいる。あたしはあの子に甘えているのだ。このままであの子のために何かができているのだろうか、不安に思うことすらもある。
オフィスを出て、エレベーターで一階へ降りると夜の街へと歩みを進める。
駅の方へと向かっていると、ある四人組の……女子高生だろうか? 全員が全員同じような子ではない。一人だけが絶望の表情を浮かべている。三人組とはイメージの異なる女の子だ。
あたしはすれ違うと、チラリと振り返る。
この街の人間は誰もそんなことを気にしちゃいない。誰も見てない、誰もあの子を救えやしないだろう。
あたしの視線に気づきもせず、彼女らは人の目を避けるよう路地裏へと曲がっていった。
「……行く、か」
あたしは考える間もなく、すぐに彼女らの後を追うことにした。
歩んでいく路地は入り組んでいて、足取りを追うのは難しい。しかし、あたしには過去の過ちがある。あたしなら、奴らの行く場所には検討が付く。念には念を……そう考える奴らの行く場所は。
袋小路、本当に人の来ない場所だ。
そして、辿り着いたそこには案の定、四人の女子高生がいた。すぐにあたしは胸の内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「金持って来てって言ってたよねー? なんでわかんないかな? 馬鹿なの?」
「どうしよっか、こいつ。裸にしたら帰れなくなっちゃうとかない?」
髪を染めて派手目の化粧を施してるあの二人は取り巻き……か。で……あいつがリーダー。昔のあたしのようにツインテールをしている女だ。
「その前にストレス発散させてもらわないとね。言ったことを素直に受け止められない奴はこうしてやる……」
「や……やめ……」
端から見るとこんな胸糞悪いシーンだったとはね。リーダー格の女学生が足を振り上げようとしたとき、あたしは静止を促せるため大きな声を上げた。
「ストップ! 何やってるのかなぁー?」
瞬時に振り向く三人。だが、スーツであるあたしの姿を流し見した後、すぐに笑みを見せ大胆不敵な態度を取り始めた。
「誰かと思えば、おばさんか……。何の御用でしょーか? 私たち、ちょっと遊んでただけなんですけどー?」
おばさん……おばさんか。はっきり言われるとちょっと来るもんがあるけど、あながち間違いではないから訂正はしない。
後ろで蹲っている子を確認すると、日頃からいじめられているような怯えきった目をしている。あたしにはそれがわかる。負の遺産だ。
「遊んでたにしちゃあ、随分と手荒な感じだね。でも、これを聞いてもそう言えるか?」
先程録ったボイスレコーダーを右手で取り出し、再生させる。
『金持って来てって言ってたよねー? なんでわかんないかな? 馬鹿なの?』
『どうしよっか、こいつ。裸にしたら帰れなくなっちゃうとかない?』
『その前にストレス発散させてもらわないと、言ったことを素直に受け止められない奴はこうしてやる……』
ここで停止する。
少しだけ、三人の顔に焦りが見える。そりゃそうさね、わずかばかりとはいえ証拠を押さえられているんだから。
「だ、だから? それじゃ証拠としては薄いと思うけど?」
「確かに薄いかもね。でも、だからと言ってこれ以上のことをやるわけにはいかないでしょ?」
「……チッ。……いや、良いこと思いついたかも……」
可愛い顔に反して、可愛くない舌打ちだ。三人は先程の少女に興味を失ったように、今度はあたしの周りを囲んだ。
「おばさん、後悔しても遅いよ。私に楯突いたこと、痛いほど味わわせてやる」
「調子乗ってるおばはん程ウザいのはないもんねー」
「せっかくだし、あんたからお金もらうことにするかね」
はぁ……どうしてこうなるんだか。実力差があることに気が付かないと、痛い目を見るのは自分の方なのに。とはいえ三十路を過ぎたあたしがちゃんと捌けるかというのも……いや、それだけじゃ不安材料にはならないか。
ただあの子に迷惑かけるわけにはいかない。穏便に済ませたいとこだけど……。
§
しばらくすると息を切らしたように、三人の女子高生が膝をついていた。
「はぁ……はぁ……こっちは三人がかりなのに」
「なんで……なんで」
「くそ……」
手荒な真似はしていない。ただ少し付き合ってあげただけ。見え見えの蹴りや拳、掴みは難なく避けられるし捌ける。喧嘩慣れをしているわけでもない、ただ単にやり返せない弱い者いじめをしている集団に過ぎない子どもたちだ。
「あたしに目をつけられたのが運の尽きだ。残念だけど、あんたらじゃあたしには勝てない」
リーダー各の、昔のあたしに良く似た女の胸ぐらを掴んで立たせる。少々手荒になるが、ここで言い聞かせておかないといけない気がしたのだ。
「今のうちに手を引きなさい。悪いことをすれば必ず返ってくる。それとも、ここで死にたい?」
「ひっ……!」
あたしは何度も、何度もあの子を殺した。夢の中でも、現実でも。けれど、あの子は死ななかった。その頃の殺意を一瞬だけ引き出す。
そうすれば、それはあたしにも返ってくることは知っている。黒い部分を見せれば、あたしが死ぬのはあの子が決めたことだから。
だけど、この女はここで止めないといけない。あたしのようになってほしくないから。
恐怖は人の心を容易く支配し洗脳する。昔を思い出す手荒なこういう方法は好きじゃないけど、これでわかってくれるなら。
「っ……」
急激に体が痛む。本当に呪いが掛けられているような感じ……だっ。
「い、嫌です……死にたく……ないです……!」
「なら……行きなさい」
「は、はい……!」
リーダー各の女はあたしの手から逃れると、青ざめた顔で二人を連れ、路地裏から逃げていく。いじめられていたであろう女の子を残して。
あたしは痛み耐えながらゆっくりとその場に座ると、その子は慌てて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか? 私のせいで怪我とかしたんじゃ……」
「っ、怪我はない……よ。はぁ、はぁ……まぁ死なないだけ、儲けもんね」
肩に掛かるかどうかくらいの黒髪で、メガネをかけている女の子。あの子とは似ても似つかない子ではあるが、雰囲気は少し似ている。
「死なないだけ儲けもんって……意味わからないですよ……」
「死ななきゃ良いことあるかもしれないってこと、あたしは死んでもおかしくなかった状況だったから」
この子にしてみれば意味不明なことを言う痛いおばさんってところかね……。少々激痛を感じるだけで死んでないってことは、あの子はあたしを殺すつもりなんてなかった、そういうことだろうか。
けど、この痛みは黒い感情をぶつけるのを悪だと教えてくれている。次、こんな場面に陥ったときは上手い切り抜け方を考えないといけない。この痛みは泣き言を口走ってしまいそうになるくらいしんどいものがある。
「……生きてても良いことなんてないです。毎日、お金持ってこいなんて言われて……何度も叩かれて、多分……これからもずっとそうです。こんな最低な世界じゃ私のいる場所なんてないから」
視線を下げ、彼女はそう言った。
そうか……最低な世界か。あの子もこんな気持ちだったのかな。あたしはあの子の気持ちを一度たりとも聞いたことがなかったから。
これがいじめる人間と、いじめられる人間の気持ちの違い。搾取する側は、される側の気持ちなんて一つもわからないのだ。
きっと、誰もが知らない。知りたいとも思わないだろう。あたしもそうだったから。でも、奪われる側は知ってる、その痛いほどの気持ちを、嘆きを。
馬鹿だな、あたしは……こんな悲しいことを繰り返していたのか。これじゃ、あの子のためにどれだけ償えばいいか……。せめてこの子を救うことくらい、あたしにはできないか……?
「どう……だかね。未来のことなんて……誰にもわからないもんよ。もしかしたら、明るい未来が待ってる可能性だってありえる」
「……そんな気休めを言うために、私を助けてくれたんですか……? もしかしたら、お姉さんが私を殺してくれる存在になってくれるかと思ったのに……」
「……それはあたしが殺意を剥き出しにしたから、思ったの?」
少しだけ戸惑ったようにして頷く彼女。
わずかながら小刻みに震えている体、この子は他人の感情に敏感だ。あたしの殺意の感情にもすぐ気がついた。
この子の心はとても綺麗で、澄み切っていて……そこに悪意という名の墨汁を流し込まれている。
「人生、何があるかわからないもんよ。それにあんたはもしかしたら逸材かも……」
「え……?」
「あんた何年生?」
「え……っと、高校三年生です……」
あたしは痛みの引いてきた体を立ち上がらせると、自分の名刺を彼女へと手渡す。
「そう……これはあたしの勘だけど、あの三人組にいじめられることは多分もうないはず。もしも、続くようなら連絡して。あたしがあんたを守ってやってもいい」
「こ、これ……」
「後、それね。あんたが大学に行くかどうかまでは知らないけど……卒業して、もし興味があるなら面接にでも来てみて。会長にも話を通しておくから」
「え、えっ? これ……私が受けられるような企業じゃ……」
「言ったでしょ。人生何があるかわかんないって……幸運はどこで拾うかわかんないものよ」
あの子の幸運は、もしかしたら人を繋ぐこともできる。
あたしがこの子をちゃんと救えているのかはわからないけど、恐らくあんたのためになる逸材を見つけたのかもしれない。
ねぇ、奏。あたしはもっと上手く人を説得できるようになりたい。あんな方法を使わなくとも、恐怖で人を従えさせるようなことじゃなくて。奏はきっとできると信じたから、あたしを拾ったんだよね。それはきっと監視下に置くためじゃない、あたしを必要だと思ってくれたからなんでしょ?
なら頑張るよ、あたし。
この生が尽きるその日まで、あたしは奏の為に生きよう。
あたしの持てる全ての力を、奏の為だけに使うと誓おう。