君のブレスが切れるまで
最終話 君のブレスが切れるまで
今日もまた雨が降っている。
私は赤い傘を差しながら、木々が折り重なる緑の洞窟を歩いていた。木漏れ日から差し込む光は、ほんのりと温かさを帯びている。
この場所に漂う雨の香りは、君と過ごした懐かしさと悲しさを思い出させてくれた。
「着いた……」
宮之城と書かれた表札、錆び切ってしまった門。私はそれを開くと、荒れに荒れている庭と花壇が目に入った。
「でも、まだ咲いてるんだね……」
青い花は今年も芽吹き、金色の眼に優しく映る。
私は水分を含んだ雑草生い茂る庭を歩き、屋敷の裏手へと歩いていく。
すると、ちゃんとある。君が眠る場所が。その石の前で膝を折ると、傘を肩にかけ、両手を合わせた。
ごめんね、帰ってきてからなかなか来れない時期が続いた。もう君が眠ってから十年以上が経ったんだよ。月日が経つのは早いね。
心の中で言ってみても、返事はない。そんなのは当たり前だ。
「三年間見てきたよ。……頑張っても、頑張っても、怪我人はいくらでもいて。死にたくない、生きたいって思っている人をこの眼で救った。でも、祝福の眼の力だけじゃどうにもならないこともあるって知ったの。どんなに運を上げたとしても、既に受けてしまった殺意の塊が致命傷へと達していたら、ダメだったりした。できるのはせめて、楽にしてあげるくらい……」
雨粒と共に、頬を伝った涙がポロポロ落ちてしまう。
「私、現代のナイチンゲールなんて呼ばれてたんだよ? 助けられない人は楽にするって名目で、見殺しにしてた私がそんな名で呼ばれる。笑っちゃうよね?」
君は冷たい石の下で眠ったまま。でも、優しい風が頬を撫ぜてくれた。
「慰めてくれるの? ふふっ、ありがとう……やっぱり優しいね」
そんな世界を見てきたからこそ、私にも見えるものがあった。世界にはたくさん、助けを求めてる人がいる。でも、私は君に言われた三年という期間を守った。
戻ってきてからはその目で見たものを感じて、会社を立ち上げたのだ。
社名は『レイナーズブレス』、雨の祝福。
私なんかが作った会社が上手くいく保証はなかったけど、現代のナイチンゲールは私が思っていたよりもずっと多くの人に広まっていたみたい。結果、軌道に乗れて、ミヤノジョウグループのすぐ後ろまで来てるんだよ? まぁ、運の力もあるんだけどね。
この企業のやることは単純で、今、人が本当に必要としている物資を届けるの。値段は格安、世界中の支持者のおかげで、無料提供することも可能……ではある。
だけど、それをすると他の医師が活動できなくなったり、病院が潰れちゃうからダメなんだって。今すぐ必要で本当に困ってる人がいるなら無料で赴いたりしちゃうんだけどね。
でも、もう私が直々に赴くことはないの。海外にまで飛び回ってたら、君を悲しませていた両親と同じになっちゃうもん。
だから私はすぐに社長の座を譲り渡して、会長という名目の席にいるんだよ。私がやるのは面接くらい、会社への直接的な口出しはあんまりしない感じなんだ。みんないい人たちで、すごく頑張ってくれてて、私より優秀な人たちはたくさんいるから。
特に私の代わりに現場へと赴いてる人たちには、本当に頭が上がらない。
社員の生活が第一って掲げてるはずなのに、大変なことを押し付けてる。このままじゃダメなとこはたくさんあるね。
けれど、どうしてもこの会社に入りたいって人もたくさんいてくれてるの。私の審査はちょっと厳しいけど、これからも人が増えて、少しでも社員みんなの負担が軽減できたらいいなって思ってる。
「ふふっ……」
なんだか自分のことばかり話してる気がして、笑ってしまった。
どんなに上手くなっても、自分にしか巻かないだろうと思っていた包帯が君へ。気がつけば私を必要としている人に巻いて、会社になってからは世界へ届けてる。不思議だよね。
チャプチャプという音と共に、私の元へと近づいてくる元気な足音が響き渡った。
しゃがんだまま振り向くと、ポスンという音と共に私の胸へと飛んでくる。
「えっへへ……ママ! パパったらね、地図見ても道わかんないって言って、時間が掛かったんだよー?」
「あら、本当? パパなら見ないで来たほうが早いでしょーって言っておいたのに」
それに遅れて、一人の男の人が屋敷の裏へとやってきた。
「奏、悪い。待たせたね」
「光輝くん、うん。随分待ったよ?」
あの頃と相も変わらず方向音痴な彼。待たされるのはもう慣れっこだ。
私は少し長い黒い髪の女の子の手を引くと、彼の元へと歩いていく。
「もういいのかい?」
「うん、今度からはまたいつでも来れるから……」
そう言うと女の子は私の手から飛び出して、彼の足へとぶつかりにいく。
「えっへへー、パパー!」
「おっと! あんまり走ってるとコケちゃうぞー? 先にお車に戻ろうなぁー」
彼は彼女を抱き上げると私に少しだけ微笑んでくれて、もう少し話しておいでよと合図してくれた。
「えへへ……私が話し足りないってわかってるなんてなぁ……」
私は振り返り、君のお墓へと向き直った。
私……彼と結婚したの。
三年間、律儀に待っていてくれたんだよ? 本当に馬鹿だよね? けど、私もお馬鹿なんだ。あの日、胸に走った痛みは嘘なんかじゃなかったみたい。
「……っ」
娘もできたんだよ。私、大切な人がいっぺんに増えちゃった。
もう、君の為だけには生きていけないよ? それでも、君は許してくれる?
ふわりとまた私を包み込むように、風が纏わりつく。ずっと空を覆っていた雨雲が途切れ、その合間から太陽が顔を覗かせる。
「雨上がり……だね。私のことを祝福してくれるの?」
そんなことを聞いても返事はない。それもそのはずだ。君は眠っているままなんだから。
私は手に持った君の大切にしていた赤い傘を、君の眠る場所へと広げたまま立てかける。持ち手には赤いカチューシャと、あの日の時間から動くことをやめてしまった時計を括り付けて。
もう空からは君の名前と同じものは降り止んでしまった。これじゃ体を濡らして涙を隠すことはできないね。
途端にチャプチャプとまた足音が聞こえてきた。私は慌てて、目を拭うとゆっくりと振り返る。
「ママ! わたしも、雨さんにおてて合わせる!」
さっき戻ったばかりの娘が私の元へと帰ってきた。
ふふっ……ねぇ、聞いてくれた? 娘も、君に手を合わせるんだって。
私は快く頷くと娘と一緒にもう一度、君の眠るお墓へと座り込んで手を合わせた。短くも長くもない時間、そんな少しだけの時間で私は君と出会ってからのことを思い出していく。
黄色い傘を君へと渡した時。
駅で君とぶつかってしまった時。
六月、いじめられていた私を君が助けてくれた時。
君が私に名前を教えてくれた時。
君が私に祝福の力を使ってくれた時。
始まった二人で暮らす日々。
プレゼント、遊園地、笑顔を見る為に駆け抜けたあの頃。
そして……楽しかった日々が一瞬で崩れ去ってしまった、君が亡くなった日。
君がいなくなってからも、君は私に奇跡をくれた。
君の笑顔を、最期に見ることができたから……。
ゆっくりと目を開ける。
私は先に立ち上がると、君へ背を向け歩き出す。
娘に涙を見られたくない。けど、娘は私の後をついてこなかった。そんな彼女は私を呼び止めるように、後ろから声を掛けてくる。
「ねぇ、ママ」
「……なぁに?」
そのままの状態で、極力、涙声を悟られないように喋った。しかし、次の娘の言葉に私は驚愕を覚えることになる。
「わたしね……すごく優しい女の人の声が聞こえたよ」
「え……?」
振り返る。
どうしてか娘は今にも泣き出しそうで、それでも必死で伝えようと泣くのを我慢していた。
たぶん、ううん。ちゃんと心のこもった言葉で伝えようとしてくれてる。
だから待つの、また柔らかな風が吹くまで。
そして……
風が凪いだ――
娘の流れる涙を拭い取るように風が吹き抜ると、ゆっくりと笑顔を浮かべ私に教えてくれる。
「あのね、ママに……。ありがとう、さよならって……」
「――っ」
……ああ、ああっ。
私は胸を押さえ、神様に祈るように心の中で呟く。
なんでかな、どうしてかな? どうして最後まで……私に奇跡をくれるの? どうして、そんなに君は優しいの?
いくら耳を澄ませても私には聞こえない、でも……娘が教えてくれた。
「そう……そっか。ありがとう……か。うん、うん……」
馬鹿、ありがとうっていうのは私の方だ。娘に見せるつもりのない顔だったのに、もう涙で顔がぐしゃぐしゃだよ。
ありがとう、ありがとう……何度言っても足りないよ。大切なものは君から始まったんだから。あの日、私を救ってくれた君が私に教えてくれたのだから。
私は娘に手を伸ばすと、彼女の名前を呼ぶ。
「……行こっか、奏雨。ママと一緒に、パパのところへ帰ろう」
「うん……うん! ママ!」
元気な笑顔を見せてくれて、奏雨は私の手を握ってくれる。
きっと今までと同じ様にこれからもずっと、ずっと君のことを忘れない。けど、もう君の影を追うことはなくなると思う。
私、愛する人を見つけたから、もう君だけの為に生きることができない。もう死にたいなんて言わない。私は、私の愛する人の為に生きていく。
……でもね? きっとね? 本当に……こんなに忘れられないくらい、心の底から愛したのは君だけだったと確かに言える。
だって、どんなに時間が過ぎても、経っても、流れても。私の中には君と過ごした記憶が溢れてるから。
最期にこんな奇跡がもらえるのなら、私からもせめて君に贈る花束がなんかがあれば良かったのに。融通が効かなくて、ごめんね。
ちょっぴり、ほんの少しだけ寂しくて辛いけど……私、頑張るよ。
言わなきゃね。君が奇跡で背中を押してくれたように、私も……。
私も君に『さよなら』を。
きっとこれが最後の言葉になってしまうから、心の声を奏でるの――
大好きだった貴女に、愛を奏でて――
いつの日か私の命の灯火が燃え尽きて、君の祝福が切れるまで。
その時まで……さよなら、雨……。
愛してたよ、世界の誰よりも……。
§
晴れ渡った空。
少女の眠る墓石には、広げ、立て掛けられていた赤い傘。その持ち手には、時を止めた時計と赤いカチューシャが結び付けられている。
吹きすさぶ一瞬の突風。
途端、墓の周りには彼女が愛した青い花と赤い花が咲き乱れていた。
同時に咲くことはありえない二つの花々。それは……眠る彼女に贈られた、奇跡の花束のように。
広げられた赤い傘と二つのアクセサリー、花びらを強い風が渦巻き、浮かばせる。
高く、空高く舞い上がる真っ青な空の中。まるで誰かが持っていくように、それらは姿を消していった。
私は赤い傘を差しながら、木々が折り重なる緑の洞窟を歩いていた。木漏れ日から差し込む光は、ほんのりと温かさを帯びている。
この場所に漂う雨の香りは、君と過ごした懐かしさと悲しさを思い出させてくれた。
「着いた……」
宮之城と書かれた表札、錆び切ってしまった門。私はそれを開くと、荒れに荒れている庭と花壇が目に入った。
「でも、まだ咲いてるんだね……」
青い花は今年も芽吹き、金色の眼に優しく映る。
私は水分を含んだ雑草生い茂る庭を歩き、屋敷の裏手へと歩いていく。
すると、ちゃんとある。君が眠る場所が。その石の前で膝を折ると、傘を肩にかけ、両手を合わせた。
ごめんね、帰ってきてからなかなか来れない時期が続いた。もう君が眠ってから十年以上が経ったんだよ。月日が経つのは早いね。
心の中で言ってみても、返事はない。そんなのは当たり前だ。
「三年間見てきたよ。……頑張っても、頑張っても、怪我人はいくらでもいて。死にたくない、生きたいって思っている人をこの眼で救った。でも、祝福の眼の力だけじゃどうにもならないこともあるって知ったの。どんなに運を上げたとしても、既に受けてしまった殺意の塊が致命傷へと達していたら、ダメだったりした。できるのはせめて、楽にしてあげるくらい……」
雨粒と共に、頬を伝った涙がポロポロ落ちてしまう。
「私、現代のナイチンゲールなんて呼ばれてたんだよ? 助けられない人は楽にするって名目で、見殺しにしてた私がそんな名で呼ばれる。笑っちゃうよね?」
君は冷たい石の下で眠ったまま。でも、優しい風が頬を撫ぜてくれた。
「慰めてくれるの? ふふっ、ありがとう……やっぱり優しいね」
そんな世界を見てきたからこそ、私にも見えるものがあった。世界にはたくさん、助けを求めてる人がいる。でも、私は君に言われた三年という期間を守った。
戻ってきてからはその目で見たものを感じて、会社を立ち上げたのだ。
社名は『レイナーズブレス』、雨の祝福。
私なんかが作った会社が上手くいく保証はなかったけど、現代のナイチンゲールは私が思っていたよりもずっと多くの人に広まっていたみたい。結果、軌道に乗れて、ミヤノジョウグループのすぐ後ろまで来てるんだよ? まぁ、運の力もあるんだけどね。
この企業のやることは単純で、今、人が本当に必要としている物資を届けるの。値段は格安、世界中の支持者のおかげで、無料提供することも可能……ではある。
だけど、それをすると他の医師が活動できなくなったり、病院が潰れちゃうからダメなんだって。今すぐ必要で本当に困ってる人がいるなら無料で赴いたりしちゃうんだけどね。
でも、もう私が直々に赴くことはないの。海外にまで飛び回ってたら、君を悲しませていた両親と同じになっちゃうもん。
だから私はすぐに社長の座を譲り渡して、会長という名目の席にいるんだよ。私がやるのは面接くらい、会社への直接的な口出しはあんまりしない感じなんだ。みんないい人たちで、すごく頑張ってくれてて、私より優秀な人たちはたくさんいるから。
特に私の代わりに現場へと赴いてる人たちには、本当に頭が上がらない。
社員の生活が第一って掲げてるはずなのに、大変なことを押し付けてる。このままじゃダメなとこはたくさんあるね。
けれど、どうしてもこの会社に入りたいって人もたくさんいてくれてるの。私の審査はちょっと厳しいけど、これからも人が増えて、少しでも社員みんなの負担が軽減できたらいいなって思ってる。
「ふふっ……」
なんだか自分のことばかり話してる気がして、笑ってしまった。
どんなに上手くなっても、自分にしか巻かないだろうと思っていた包帯が君へ。気がつけば私を必要としている人に巻いて、会社になってからは世界へ届けてる。不思議だよね。
チャプチャプという音と共に、私の元へと近づいてくる元気な足音が響き渡った。
しゃがんだまま振り向くと、ポスンという音と共に私の胸へと飛んでくる。
「えっへへ……ママ! パパったらね、地図見ても道わかんないって言って、時間が掛かったんだよー?」
「あら、本当? パパなら見ないで来たほうが早いでしょーって言っておいたのに」
それに遅れて、一人の男の人が屋敷の裏へとやってきた。
「奏、悪い。待たせたね」
「光輝くん、うん。随分待ったよ?」
あの頃と相も変わらず方向音痴な彼。待たされるのはもう慣れっこだ。
私は少し長い黒い髪の女の子の手を引くと、彼の元へと歩いていく。
「もういいのかい?」
「うん、今度からはまたいつでも来れるから……」
そう言うと女の子は私の手から飛び出して、彼の足へとぶつかりにいく。
「えっへへー、パパー!」
「おっと! あんまり走ってるとコケちゃうぞー? 先にお車に戻ろうなぁー」
彼は彼女を抱き上げると私に少しだけ微笑んでくれて、もう少し話しておいでよと合図してくれた。
「えへへ……私が話し足りないってわかってるなんてなぁ……」
私は振り返り、君のお墓へと向き直った。
私……彼と結婚したの。
三年間、律儀に待っていてくれたんだよ? 本当に馬鹿だよね? けど、私もお馬鹿なんだ。あの日、胸に走った痛みは嘘なんかじゃなかったみたい。
「……っ」
娘もできたんだよ。私、大切な人がいっぺんに増えちゃった。
もう、君の為だけには生きていけないよ? それでも、君は許してくれる?
ふわりとまた私を包み込むように、風が纏わりつく。ずっと空を覆っていた雨雲が途切れ、その合間から太陽が顔を覗かせる。
「雨上がり……だね。私のことを祝福してくれるの?」
そんなことを聞いても返事はない。それもそのはずだ。君は眠っているままなんだから。
私は手に持った君の大切にしていた赤い傘を、君の眠る場所へと広げたまま立てかける。持ち手には赤いカチューシャと、あの日の時間から動くことをやめてしまった時計を括り付けて。
もう空からは君の名前と同じものは降り止んでしまった。これじゃ体を濡らして涙を隠すことはできないね。
途端にチャプチャプとまた足音が聞こえてきた。私は慌てて、目を拭うとゆっくりと振り返る。
「ママ! わたしも、雨さんにおてて合わせる!」
さっき戻ったばかりの娘が私の元へと帰ってきた。
ふふっ……ねぇ、聞いてくれた? 娘も、君に手を合わせるんだって。
私は快く頷くと娘と一緒にもう一度、君の眠るお墓へと座り込んで手を合わせた。短くも長くもない時間、そんな少しだけの時間で私は君と出会ってからのことを思い出していく。
黄色い傘を君へと渡した時。
駅で君とぶつかってしまった時。
六月、いじめられていた私を君が助けてくれた時。
君が私に名前を教えてくれた時。
君が私に祝福の力を使ってくれた時。
始まった二人で暮らす日々。
プレゼント、遊園地、笑顔を見る為に駆け抜けたあの頃。
そして……楽しかった日々が一瞬で崩れ去ってしまった、君が亡くなった日。
君がいなくなってからも、君は私に奇跡をくれた。
君の笑顔を、最期に見ることができたから……。
ゆっくりと目を開ける。
私は先に立ち上がると、君へ背を向け歩き出す。
娘に涙を見られたくない。けど、娘は私の後をついてこなかった。そんな彼女は私を呼び止めるように、後ろから声を掛けてくる。
「ねぇ、ママ」
「……なぁに?」
そのままの状態で、極力、涙声を悟られないように喋った。しかし、次の娘の言葉に私は驚愕を覚えることになる。
「わたしね……すごく優しい女の人の声が聞こえたよ」
「え……?」
振り返る。
どうしてか娘は今にも泣き出しそうで、それでも必死で伝えようと泣くのを我慢していた。
たぶん、ううん。ちゃんと心のこもった言葉で伝えようとしてくれてる。
だから待つの、また柔らかな風が吹くまで。
そして……
風が凪いだ――
娘の流れる涙を拭い取るように風が吹き抜ると、ゆっくりと笑顔を浮かべ私に教えてくれる。
「あのね、ママに……。ありがとう、さよならって……」
「――っ」
……ああ、ああっ。
私は胸を押さえ、神様に祈るように心の中で呟く。
なんでかな、どうしてかな? どうして最後まで……私に奇跡をくれるの? どうして、そんなに君は優しいの?
いくら耳を澄ませても私には聞こえない、でも……娘が教えてくれた。
「そう……そっか。ありがとう……か。うん、うん……」
馬鹿、ありがとうっていうのは私の方だ。娘に見せるつもりのない顔だったのに、もう涙で顔がぐしゃぐしゃだよ。
ありがとう、ありがとう……何度言っても足りないよ。大切なものは君から始まったんだから。あの日、私を救ってくれた君が私に教えてくれたのだから。
私は娘に手を伸ばすと、彼女の名前を呼ぶ。
「……行こっか、奏雨。ママと一緒に、パパのところへ帰ろう」
「うん……うん! ママ!」
元気な笑顔を見せてくれて、奏雨は私の手を握ってくれる。
きっと今までと同じ様にこれからもずっと、ずっと君のことを忘れない。けど、もう君の影を追うことはなくなると思う。
私、愛する人を見つけたから、もう君だけの為に生きることができない。もう死にたいなんて言わない。私は、私の愛する人の為に生きていく。
……でもね? きっとね? 本当に……こんなに忘れられないくらい、心の底から愛したのは君だけだったと確かに言える。
だって、どんなに時間が過ぎても、経っても、流れても。私の中には君と過ごした記憶が溢れてるから。
最期にこんな奇跡がもらえるのなら、私からもせめて君に贈る花束がなんかがあれば良かったのに。融通が効かなくて、ごめんね。
ちょっぴり、ほんの少しだけ寂しくて辛いけど……私、頑張るよ。
言わなきゃね。君が奇跡で背中を押してくれたように、私も……。
私も君に『さよなら』を。
きっとこれが最後の言葉になってしまうから、心の声を奏でるの――
大好きだった貴女に、愛を奏でて――
いつの日か私の命の灯火が燃え尽きて、君の祝福が切れるまで。
その時まで……さよなら、雨……。
愛してたよ、世界の誰よりも……。
§
晴れ渡った空。
少女の眠る墓石には、広げ、立て掛けられていた赤い傘。その持ち手には、時を止めた時計と赤いカチューシャが結び付けられている。
吹きすさぶ一瞬の突風。
途端、墓の周りには彼女が愛した青い花と赤い花が咲き乱れていた。
同時に咲くことはありえない二つの花々。それは……眠る彼女に贈られた、奇跡の花束のように。
広げられた赤い傘と二つのアクセサリー、花びらを強い風が渦巻き、浮かばせる。
高く、空高く舞い上がる真っ青な空の中。まるで誰かが持っていくように、それらは姿を消していった。