君のブレスが切れるまで
「それじゃ……行ってくるわ」


 机にかけてあるカバンを持つと、彼女はもう一度だけ私の元へと来てくれた。
 ああ、行っちゃうんだな、と少しだけ心細くなる。人間、弱っているときは誰かに側にいてほしいのも本当なのかもしれない。
 だけど、一緒にいてほしいのは彼女ではないはず。一緒にいるくらいなら、一人の方がいいはずなんだ。
 私はそう自分に言い聞かせながら、口を開く。


「動けるようになったら、すぐ出ていくから」


 そして赤い眼の瞳から顔を逸らすように、また壁側を向いた。我ながら可愛くないやつだなって思うが、そうせずにはいられなかったのだ。
 でも、気まずさか罪悪感からか一言だけ言葉を紡ぐ。


「……外は雨が降ってるから、傘忘れないよーにね」


 彼女の名前と同じ、空から降り注ぐ水という単語。
 これが今の私にできる精一杯の心配の言葉。それに対して彼女は、


「ええ、ありがとう、奏。行ってきます」


 それだけを言い残し、床が軋むのを感じると足音が遠ざかっていく。
 リビングの扉が閉まる音、そしてかすかに靴を履く音が聞こえてきた。


 私は目を瞑る。もう一度眠ってしまおう、眠ってるときだけは嫌なことを忘れられるんだから。


 玄関の扉がパタンと閉まり、鍵を掛ける音を最後に、部屋は静寂へと包まれる。
 雨音だけが遠く響く小さな部屋、私も次第に眠りへと落ちていった。


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