純潔花嫁―無垢な新妻は冷徹社長に一生分の愛を刻まれる―
見回りの者がいなくなったのを確認し、歩みを進める。眩暈が酷くなってきてふらつきつつも、なんとかお歯黒どぶの淵までたどり着けた。
息を吐いてゆっくり見上げた夜空には、朧月が浮かんでいる。ぼんやり眺めながら短い人生を振り返り、口元を緩めてぽつりと呟く。
「私……結構幸せだったじゃない」
瑛一にも、妹女郎や仲間たちにも慕われて、楽しい時間をたくさん過ごせた。
愛した人から贈り物をもらって、『身請けしたい』と言ってもらえて、大切にされていた。男女のものではなかったが、確かに彼からの愛情があった。
それだけで十分だ。生きた意味があったと胸を張れる。
涙がひと粒こぼれ落ちた次の瞬間、頭に刺すような強い痛みを感じ、呻き声を漏らして思わず手を当てた。これまでにない、ガンガンと殴られているかと思うほどの痛みで意識が朦朧とし始める。
ああ、ここまでか。そう諦めたとき、不思議なことに痛みを感じなくなり、力が抜けた身体がぐらりと前のめりに傾く。
脳裏に最後に映るのは、やはり愛しい人の顔。
「し、ぐれ……」
意識を手放す寸前に口にした彼の名前は、とても優しい響きで夜の闇に消えていく。
白い袷の袖が、蝶のごとく濃紺の空に舞った。