【改訂版】新まりなの日記
【出勤~欠勤~早退、また欠勤でとうとう…】
6月11日・雨
この1ヶ月の間、父は出勤~欠勤~早退でまた欠勤を繰り返すようになった。
この日、とうとう父は会社に出勤しなくなった。
上の人に対して口答えをするようになった。
それが原因で、父は会社に居場所をなくした。
父は泣きながら『しんどい…休む!!』と言うて欠勤と早退ばかりを繰り返していた。
そしてこの日、父はとうとう勝手に会社を休んだ。
1924年生まれ(大正うまれ)の父は、若いころ徴用(ちょうよう・注意文あり)で山口県光市の軍需品工場で働いていた。
終戦後、大阪の呉服屋さんでデッチどんの生活をへて夜間中学から定時制高校に行った。
定時制高校卒業後、親類のコネで大手都市銀行に就職した。
仕事ひとすじで通してきた父であったが、今となっては心身とも疲れきっていた。
アタシは、そんな父の姿をどんなまなざしでみつめていたのか?
(注意・徴用=戦時中に国が指定していた職場で勤務してお国のために働くことである。主に中学生や女学生が中心に工場で働いていた。)
この1ヶ月の間、父は出勤~欠勤~早退でまた欠勤を繰り返すようになった。
この日、とうとう父は会社に出勤しなくなった。
上の人に対して口答えをするようになった。
それが原因で、父は会社に居場所をなくした。
父は泣きながら『しんどい…休む!!』と言うて欠勤と早退ばかりを繰り返していた。
そしてこの日、父はとうとう勝手に会社を休んだ。
1924年生まれ(大正うまれ)の父は、若いころ徴用(ちょうよう・注意文あり)で山口県光市の軍需品工場で働いていた。
終戦後、大阪の呉服屋さんでデッチどんの生活をへて夜間中学から定時制高校に行った。
定時制高校卒業後、親類のコネで大手都市銀行に就職した。
仕事ひとすじで通してきた父であったが、今となっては心身とも疲れきっていた。
アタシは、そんな父の姿をどんなまなざしでみつめていたのか?
(注意・徴用=戦時中に国が指定していた職場で勤務してお国のために働くことである。主に中学生や女学生が中心に工場で働いていた。)