恋愛境界線
きっと、課長なことだから「神経の図太そうな君が?」と笑って信じてくれないだろうけど、本当は火事が怖かった。
目の前で見ていた時よりも、時間が経って落ち着いてきてからの方が怖かった。
もし帰ってくるのがもう少し早くて、自分があの中に居たら。逃げ遅れていたら。あるいはハムが炎に巻かれていたら。
そんなことを考えたり、あの光景を思い出したりしている内に、足元から恐怖心がじわじわと込み上げてきた。
誰に何をどう頼れば良いのか判らなくて、余計に不安は募る一方で。
課長の所に来たのは単なる気まぐれと思い付きで、ここに泊めて欲しいと頼んだのも、その場の勢いで。
本当は課長が私に手を差し伸べてくれる義理も、優しくする理由もないって判ってたけど。
だからこそ、扉を開けてくれたあの瞬間、安心と嬉しさに、不安や恐怖が掻き消された。
──若宮課長、課長が二度目の私の一生のお願いをきいてくれたこと、私、本当に感謝してるんです。
「だーかーらぁ、今度は、私が……かちょーの、いっしょーのお願い……きーてあげますからっ、ね」
若宮課長が困った時には、私が助けてあげますからね。
ちゃんと、そう伝えられたか判らないけれど、曖昧になっていく意識の遠くの方で「まったく。既に今、困ってるよ」と、若宮課長が呟く声を聞いた気がした――。