産んでいたらこうなったかもしれない
案の定母は溜息を一つ漏らしただけで、まるでいつものように例え話でも聞かせる口調で話し始めた。彼女と僕が恐れていた通りだった。
この母が浮気? 三十七歳の時、二十二歳の大学生と? 十五歳も年が違うのに? 母は僕を身籠った。堕胎しようとも思ったって? 僕は生まれなかったかもしれなかったって訳か。命を授けてくれて、殺さずにいてくれてサンキュってとこ。しかし折角巡り会った彼女と僕の人生はどうなるんだ。
母は涙一つ見せなかった。
「彼を愛していたからどうしても産みたかった。彼の子どもが欲しかった。堕ろすのは怖かった。歳が離れていると思うわよね。可笑しいわよね。ママはどうかしてたのかな。運命だったのよ。彼と私が出会ったのも、生まれて来たお前が彼の娘と出会うのも。こんなお婆さんになっても、まだお前の本当のお父さんのこと愛してるって言ったら、お前には滑稽に聞こえるかな」
知的で情熱的な母の若かりし頃の恋が見えるような気がした。そのために彼女と僕は不幸になる訳だが許そうと思えた。
彼女と僕、彼女の父と僕の母、この四人が黙っていれば、この秘密を一生誰にも語らずにいれば見た目にはごく普通の結婚ができる。子どもは作らなければ良い。子どもを作らないがために家庭が崩壊するなら、それはその時に考えれば良い。それだけのものだったと諦めがつく。
母はよく言っていた。
「今が大事なのよ。結果は後からついて来る。くよくよしたら時間の無駄」
母は僕たちの結婚に反対しなかった。彼女の父親もだ。何も知らない彼女の母親や僕の父親など、反対する理由も無い。結納はしなかった。結婚式は二人だけで挙げた。披露宴もしなかった。今風の考えの親で良かったよ。そんな簡単な事じゃないのは百も承知。
僕が生まれていなかったらどうなっていたんだろう。勿論こんな悲劇は起こらなかったはずだ。自分が三十四年間生きて来たことを今否定されているようで、タイムマシンであの頃に戻ったら母は実は中絶していて、三十四年後のこの僕が跡形も無く消えてしまいそうな、そんな気がして恐ろしい。だが、現実に僕は生きている。生まれることのできなかった命は数限りなくある。その一つに幸いにもならなかったことに感謝するべきなんだろうか。
一九九七年、秋
この母が浮気? 三十七歳の時、二十二歳の大学生と? 十五歳も年が違うのに? 母は僕を身籠った。堕胎しようとも思ったって? 僕は生まれなかったかもしれなかったって訳か。命を授けてくれて、殺さずにいてくれてサンキュってとこ。しかし折角巡り会った彼女と僕の人生はどうなるんだ。
母は涙一つ見せなかった。
「彼を愛していたからどうしても産みたかった。彼の子どもが欲しかった。堕ろすのは怖かった。歳が離れていると思うわよね。可笑しいわよね。ママはどうかしてたのかな。運命だったのよ。彼と私が出会ったのも、生まれて来たお前が彼の娘と出会うのも。こんなお婆さんになっても、まだお前の本当のお父さんのこと愛してるって言ったら、お前には滑稽に聞こえるかな」
知的で情熱的な母の若かりし頃の恋が見えるような気がした。そのために彼女と僕は不幸になる訳だが許そうと思えた。
彼女と僕、彼女の父と僕の母、この四人が黙っていれば、この秘密を一生誰にも語らずにいれば見た目にはごく普通の結婚ができる。子どもは作らなければ良い。子どもを作らないがために家庭が崩壊するなら、それはその時に考えれば良い。それだけのものだったと諦めがつく。
母はよく言っていた。
「今が大事なのよ。結果は後からついて来る。くよくよしたら時間の無駄」
母は僕たちの結婚に反対しなかった。彼女の父親もだ。何も知らない彼女の母親や僕の父親など、反対する理由も無い。結納はしなかった。結婚式は二人だけで挙げた。披露宴もしなかった。今風の考えの親で良かったよ。そんな簡単な事じゃないのは百も承知。
僕が生まれていなかったらどうなっていたんだろう。勿論こんな悲劇は起こらなかったはずだ。自分が三十四年間生きて来たことを今否定されているようで、タイムマシンであの頃に戻ったら母は実は中絶していて、三十四年後のこの僕が跡形も無く消えてしまいそうな、そんな気がして恐ろしい。だが、現実に僕は生きている。生まれることのできなかった命は数限りなくある。その一つに幸いにもならなかったことに感謝するべきなんだろうか。
一九九七年、秋