特別な日の幸せ
玄関のドアを開けたら、凄くいい匂いがした。
彼女がパタパタと来る。
「おかえりなさい」
いつもの表情だ。特ににこにこしてる訳じゃない、仏頂面でもない、普通の顔。
「ただいま」
俺も、いつもの顔で答える。
ホッとする瞬間。
「凄くいい匂いしてる」
「そう?」
彼女はくんくんと周りの匂いを嗅いだ。
何かの小動物みたいだ。
「ずっといたからわかんない」
「腹減った」
素直に言うと、彼女が笑った。
「じゃあ早く着替えてきて」
頷いて、寝室に入った。
着替えながら、さっきの小動物みたいな仕草を思い出す。
彼女は、時々妙な動きをする。
おもしろくて、可愛らしい。
グリグリなでたくなる。恥ずかしいからやらないけど。
鞄から弁当箱を出して持って行く。
弁当箱に水を入れて置いておく。これは、夕飯の食器と一緒に俺が洗うのだ。
料理は彼女が、後片付けは俺が。
一緒に暮らしていくうちに、自然にそうなっていた。逆転する日もある。
リビングに入ると、洋風のいい匂いが広がっていた。
彼女がキッチンから皿を持ってきた。
オムライスだ。
これは彼女の得意料理の一つだけど、なぜか特別な日に作ることにしているらしい。
「今日、なんかあったの?」
だからこう言ったら、彼女は目をまん丸く見開いた。
「なに言ってるの?今日何の日か忘れた?」
「え?」
「裕さん、今日誕生日でしょ?」
「……あ」
すっかり忘れてた。
「働き過ぎじゃない?自分の誕生日もわからないなんて。あ、それじゃお家に電話してないでしょ」
「してない」
「してきて。今すぐ」
「……はい」
寝室に戻り、実家に電話をする。
彼女にとって誕生日は、この世に産んで育ててくれた人へ感謝をする日だ。
彼女と付き合い出してから、俺もそれに倣うことにしている。
ーーーはい、裕?
「うん」
ーーーどうしたの。あ、誕生日おめでとう。
「うん、ありがとう」
ーーーなんか用事?
「いや、えっと……産んでくれて、ありがとうございます……」
照れ臭くて、尻すぼみになって言うと、母親は電話の向こうで笑い始めた。
「なんだよ」
ーーー今年も実希さんに言われて電話してんの?
「そうだよ」
ーーーほーんと、あんたにしてはいい人見つけたわよねえ。逃すんじゃないわよ。
言われなくたって、離す気はない。
母親は、しばらく笑っていた。
ーーーいくつだっけ?30?
「うん」
ーーーへえー、あんたもう三十路なの。そりゃあ私も歳取るわよねえ。……実希さん、大事にしなさいよ。
「……うん」
ーーーよろしく言っといてね。じゃあまた。
電話はあっさり切れた。