きみは幽し【完】
きみは
恋とは、愛とは、
或いは、愛おしい、とは、なに。
そんなことを定義するよりも、海猫の気持ちを推し量ることのほうが遙かにいい。
タクシーのドアガラスを開けて、
窓の淵に肘をついたまま海岸を眺めていた。
潮の匂いが鼻孔をくすぐる。
日が沈むまで、あとどれくらいだろうか。
サンセットに水面が支配されている。
澪にはいりこむ深いオレンジ色に、
うっとりしてしまっていた。
髪が風になびいている。
タクシーが揺れる度に、心臓の奥、凍った炎が目を覚まそうとするから、途方に暮れてしまいそうになりながらたゆたう海猫の数を数えていた。
同じ曲が、ずっと頭の中で流れている。
優しくて、惨い呪縛だ。
海沿いの景色は、
懐かしくて、大切な記憶を連れてくる。
海には、神様がいて、本当は人魚様もいて、それで、世界を動かしている。小学校のときに、そう信じていた私たち。
中学校の部活帰りに海祭りに行って、あまりに美味しい魚のカマ焼きを食べてから、海には魚の頭だけが泳いでいればいい、と残酷なことを平気で願いあった私たち。
過去には、無数の私たち、がいる。
海水の一滴に、巡りめく泡沫の一欠片に、
私たち、の記憶が埋まっている。