きみは幽し【完】
ひとり、夜の海。
サックスブルーのワンピースの裾が、クラゲみたいに揺れている。
ほら、今も、望まないタイミングで思い出してしまう。私がプレゼントのリボンを解いたときの、周の表情。ねえ、きみ、愛おしい、とは何なのか本当は知らなかったでしょう。
かちかち、と時計の横のネジをまわす。何故か、指が震えていた。渚のアデリーヌが、中途半端なところからまた始まって、空にのぼってゆく。
私たち、を思い出してしまう。
『もしもし。花ちゃん、久しぶり』
『うん、ひさしぶり』
『元気だった?俺はね、元気だったよ』
『私も元気だった』
『花ちゃん。……恋、わかった?』
『なに急に。そんなのわかるわけないよ』
『ふす、そうだね。やっぱり花ちゃんは花ちゃんだ』
『うん』
『花ちゃん』
『うん?』
あのとき、私は電話越しの周の声に、目の奥で息をする彼の珊瑚礁を思い出していたのだと思う。あれは、どこにいったのだろう。あれは、消滅したのだろうか。
『会いたい』
聞こえるわけのない声が、鼓膜に滑り落ちてきた。
『忙しいし、会えないよ。
それに長い間連絡をくれなかったのは周じゃないかい』
『その通りだ。試していたんだと思う』
『愛は試した瞬間に死ぬのだよ』
『愛も知らないくせによく言うよ。……花ちゃんがさ、恋を分かるときはくるかなあ』
『一生こないと思う。だって、周は恋愛を知らない自分にはなれないでしょう。そういうことだ』
『……そうだね。花ちゃん。会いたい。ずっと、俺は花ちゃんに会いたいのか会いたくないのか分からない』
『なんだそれ』
『会いたいんだよ』
『今度ね』
『ふす、じゃあ、花ちゃんが恋を知ったら、その時にまた会おうか、俺たち』
『なーんだ、じゃあ、一生会えないよ。でも、心の問題とやらだけど、ずっとそばにいるって、そのことは信じてるよ』
『……うん、信じていて』
周は、笑っていたと思う。