きみは幽し【完】
海辺に続く階段のある場所で、タクシーを止めてもらった。料金を支払って、車から降りようとする。
サックスブルーのマーメイドワンピースが、
潮風に揺れた。
「その花束、素敵ですね」
運転手のおじさんが振り返って、笑う。
腕に抱えたブーケに視線をおろして、ああ、と頷いた。
これは、どちらの趣味だろう。
かすみ草、白薔薇、カサブランカ、トルコキキョウ。
華やかな色合いを好むのは、私たちのひとりでは、たぶんない。
地に足をつけて、運転手さんに軽く会釈をする。
タクシーのドアを閉める直前に、ブーケを抱える手に力をこめた。
「これ、」
私の声に、運転手さんが、首を傾げる。
たったひとつの音楽が耳に鳴り響いている。
口角をあげることでしか、
この世界に存在していられないような気がしていた。
風が舞う。
海猫は、八羽。
空をたゆたうのは、どんな気持ちだろうか。
きみは、ずっと、どんな気持ちだったのだろうか。
花の柔らかな匂いが、潮風にもぐりこんできた。
運転手さんに向けて、唇を震わせる。
おどけたような表情を作ることは昔から上手ではない。
愛について考えることも、できない。
「これ、空から降ってきたものなんです」
だから、ただそばにいるしかできなかった。
私、たち。ではなく、私。