ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
◇◆◇


「こんな場所初めて来た……」


 来た場所は確かに馴染みのある商業施設だったものの、彼が向かったのはその最上階にある見るからに高級そうなカフェだった。
 最上階にカフェがあるらしいという話は知っていたけれど、実際に来たのは初めてだ。メニューを見ると、私のバイト先である優羽さんのカフェであればケーキセットを買えるくらいの値段で、ようやく紅茶が一杯だ。


「窓際の席空いてて良かった。何頼む?甘いもの好きなら、チーズケーキがおすすめだよ」

「いえ、紅茶を。お金そんなに持ってないので」

「はは、三十路の社会人が二十歳の苦学生に払わせるわけないでしょ。気にせず好きなの頼んでよ」

「え……でも」

「チーズケーキは好き?嫌い?」

「まあ、好きですけど……」

「じゃあダージリンティーとチーズケーキで良いかな」


 彼は慣れた様子で店員を呼び、ダージリンティーとチーズケーキ、それから自分用にホットコーヒーを注文する。

 そして私の方に向き直った。


「ごめん、すっかり名乗り遅れちゃったね。これ一応僕の名刺」


 そうなのだ。会ってからずいぶんと時間が経っているのに、実は未だに名前を聞いていなかった。
 私はやっと名前を知ることができると受け取った名刺に目を落とし、絶句する。


市ヶ谷(いちがや)晴仁(はるひと)……ジュエリーブランド“ICHIGAYA”の……副社長!?」


 “ICHIGAYA”と言えば、海外にも店舗を構える有数のジュエリーブランド。どれぐらい有名なのかというと、高級な宝石のアクセサリーなどに一ミリも縁のない貧乏女子大生が名前を聞いてすぐピンとくるぐらいと言えばわかるだろう。
 今いるこの商業施設にも店が入っていたはずだ。

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