ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
「おかげでこっちは色々大変だよ。そういう話は伝わりやすい世界だからね」
市ヶ谷さんはそう言って苦笑いした。
「僕のことを敵視しているような奴らは最近会うたびに嫌味を言ってくる。まあそれは別に良いんだけど、面倒なのはうちの会社の繋がりを持ちたい人や玉の輿に乗りたいお嬢さん方がチャンスとばかりに近づいてくることかな」
「婚約者に逃げられ弱っている今ならつけ込めると思われてるんですね」
「だろうね。それで気づいたんだよ。『婚約者がいる』って状態がどれだけ快適なものだったのかってね」
「はあ……」
曖昧に相づちを打ってから、私は彼の言わんとしていることに気がついた。
「まさか、婚約者がいなくなって色々面倒が多いから、私に新しい婚約者になって欲しいとでも?」
「お、正解」
とても良い笑顔でしっかりと頷かれてしまった。
なるほど、求婚の意味はわかった。わかったけど「そういうことならOKです」とも言えない。出会ったばかりの私に対してずいぶん身勝手な要求じゃないか。
改めて拒否しようと口を開きかけたとき、市ヶ谷さんが私にグッと顔を近づけて、窓の外を指さした。
「ねえ、あそこに見える高い建物わかる?」
「高い……ああ、はい」
「世間で言うところのいわゆる高級マンションってやつ。芸能人なんかも何人か住んでる」
「へえ……」
「住んでみたくない?」
「え?」
「あのマンションに。住んでみたいって思わない?」
何かを試されているのだろうか。私は少し考えて素直に答える。
「そんな場所行ったこともないので、興味はありますね」
すると、市ヶ谷さんはしめたとばかりに口角を上げた。