ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
私は、起きて自室から出てきた同居人・市ヶ谷晴仁に気づいて声をかける。
「市ヶ谷さん」呼びは初日に禁止された。何でも私の冷めた口調で、さん付けの苗字を呼ばれると、心理的に距離を感じるらしい。
しかし「晴仁」という名前が少し仰々しいように思えた私は、「ハルさん」と呼ぶことにした。なるほど確かに一気に愛着が湧くものだ。
「おはよう夏怜ちゃん。良い匂いがする」
「味噌汁とご飯に海苔、あと卵焼きだけですけど」
「十分十分。朝から手料理が食べられるのって贅沢だよね。いただきます」
ハルさんは、私が作った料理は何でも美味しいと言ってくれる。朝食も和食洋食のこだわりは特にないらしく、昨日は何故かキッチンにあったホットサンドメーカーなるものを使って作ってみたホットサンドも美味しいと言って食べてくれた。
料理は実家にいた頃もちょくちょくしていたし、大学生になってからは一人暮らしだったので割と得意だ。だけど家族以外に振舞ったことはほとんどなかったので、ハルさんに美味しいと言ってもらえるのはかなり嬉しかったりする。
「贅沢って……だいぶ庶民の味ですよ」
「いやいや。夏怜ちゃんがいなかったら朝ごはんはコンビニのおにぎりとかだったから」
「へえ……ハルさんでもコンビニのご飯食べるんですね」
「はは、君は僕を何だと思ってるのかな?コンビニはよく行くよ。夏怜ちゃんが声を掛けてくれたのもコンビニだったね」
そういえばそうだったな。
あの日どうしてハルさんは泣きそうにも見える表情で雨空を見上げていたのか。今のところそれは聞けていない。
タイミングがないというよりは、あの時のような儚げな雰囲気皆無の今のハルさんを見て興味を失ったというのが正しい。