ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。


 ──晴仁が彼女の存在を認知したのは、一年ほど前のことだった。
 彼女は晴仁に傘を渡したときが初めての出会いだと思っているらしいが、晴仁の方はもっと前から、一方的に彼女のことを知っていた。


 世界的にも名の知れたジュエリーブランド“ICHIGAYA”の副社長ともなれば、どこへ行くにも外車か何かで移動するものだという偏見が持たれていたりもする。だが晴仁は自分の足で外を歩くのが好きだった。

 時間に余裕があるときは会社から自宅までの道を歩いてみたりもするし、休日は特に目的もなく街を歩き回ることもある。

 そんな日々の中で、ちょくちょく同じような場所で見かける女性がいた。それが夏怜だった。
 その時はもちろん名前を知っていたわけでもなく、すれ違えば、「この人今日も見たな」と思うだけの存在だ。

 いつも見かけるのはひっそりと佇む小さなカフェの近くだった。そのカフェの中を何の気なしにのぞいた時、働いている彼女の姿が見えたので、そこのカフェの従業員なんだなということはわかった。

 絶世の美女というわけではないが、まとっている空気が凛としていて綺麗な娘だというのが名も知らぬ彼女への印象だった。

 そんな彼女を、いつもの場所以外で見かけたことがあった。それは、仕事で“ICHIGAYA”の店舗を視察していた時のことだった。
 その日は本社近くの店舗を回っており、最後に訪れたのが駅前の商業施設の中にある店舗だった。

 このブランドは大人の女性向けで、それも割とお金に余裕のある層がターゲットとなっている。それと同時に、若くてあまりお金のない娘たちの憧れでもあり、そのような女性たちが目を輝かせながらショウウィンドウを見ている姿をよく目にする。


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