ビニール傘を差し出したら、結婚を申し込まれました。
実際親とは不仲なわけでも何でもなく、頼めば多少嫌味は言われるにしても仕送りはしてもらえるだろう。
だから自分の力でどうにかしようとしているのも私の意地以外の何でもないのだが、その辺りを説明して理解してもらうには、私の伝達力も大家さんとの親密度も不足していた。
だから結果的に黙ってしまう形になる。
「まあわかったよ。少し待ってるからちゃんと持ってくるんだよ」
大家さんはしびれを切らし、私との会話を切り上げようとした。少しホッとして頭を下げる。
その時だった。
「こんにちは。部屋にいなかったから出かけてるのかと思ったけど、ここにいたんだね、夏怜」
大人びた耳に心地よい声が背後から聞こえた。
──振り返ると、高級そうなスーツを着た、どこかで見た事のある美しい容姿の男性が、微笑を浮かべて立っていた。ちょうど先ほど思い出していたので、見覚えがある理由にはすぐに思い当たった。
傘の人だ……。
一ヶ月近く前、コンビニ前で悲しそうに空を見上げていた男性。彼が、何故か目の前にいる。
大家さんは不思議そうに首を傾げつつ、とりあえずという感じで挨拶を返し、私に「知り合いかい?」と問いかけた。
会うのは二度目だが、知り合いと言えるほどには知らない。けれど、聞き間違いでなければ、彼は今『夏怜』と私の名前を呼ばなかっただろうか。
答えに詰まった私を押し退けるようにして、彼はおもむろに、これまた高級そうな財布を取り出し、中から何枚もの一万円札を出した。
そして、何故かその札束を大家さんに渡している。
「さっき夏怜から、バイトの収入が少なくて家賃が払えなさそうだから助けてほしいと連絡を受けましてね。これで足りますか?」