御曹司は懐妊秘書に独占欲を注ぎ込む
 人が真剣に言っているのにこの人はなぜ笑うのか。ムッとする前に理解できない。でも思いつめた冷たい表情をされるよりよっぽどいい。

 少しだけ気を抜くと彼の手が私の頭に触れた。

『ありがとう』

 静かにお礼を告げられ、とっさにうつむく。彼の顔を直接見られず、動揺を必死で押さえた。

『私は……あなたの秘書ですから』

 そう答えたのが精いっぱい。それから病院に着くまでお互い一言も発さなかった。

 病院に着き、付き添っていた社長のお母様やお父様の秘書から話を聞くと、お父様が倒れた原因は急性胃粘膜病変だった。

 前々から胃の調子が悪いと話していたそうだが、無理に無理を重ね病院にもいかず、ついに今日突然吐血して倒れたらしい。

 出血量が多くショック症状を起こした状態で今、手術室に運ばれている。

『だから煙草をやめろって前々から言っていたんだ』

 苛立ちと心配の混ざった声で社長が告げた。お母様は顔面蒼白だ。どちらかといえばお母様のためにも社長は病院に来てよかったのかもしれない。

 それから、しばらくして手術は終わり医師からひとまず容態は落ち着いたと聞かされ、張り詰めていた空気がやっと溶けた。

 気付けば午後十時過ぎ、社長は予定通り明日から出張に行くつもりなら近くのホテルでも予約した方がいいかもしれない。荷物はすべて先に空港に送っている。

 その手筈を整えるまでが秘書の仕事だ。それを終えて私は帰ろう。そう思っていたのに……。
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