今夜、妊娠したら結婚します~エリート外科医は懐妊婚を所望する~
その気がないわけではない。けれど素直になれなくてうつむいていると、頭の上に彼の手が乗っかってきた。

わかっているよ、そうなだめるようにくしゃくしゃと髪をかきまぜる。

「その挑発に今すぐ乗ってやりたいけれど、もう少し待ってほしい」

腰ポケットから財布を取り出すと、その中からカードを一枚抜き取って私に差し出す。

「俺の家、覚えているね?」

そう尋ねられ、ようやく気づく。これはマンションのICカードだ。

このカード一枚で、一階エントランスにあるセキュリティゲートと、二十五階にある玄関のロックが解錠できる。

「先に帰って待っていてくれ。何時になるかはわからないけれど、必ず帰るから」

「……わかりました」

戸惑いつつも頷くと、彼は私の額にキスを落として、ひと足先に階下へ繋がる階段を降りていった。

夜遅く、お付き合いもしていない男性の家で帰りを待つ――不用心すぎるだろうか。

初めて彼とキスをした日の言葉が脳裏をよぎる。

『この次、ふたりきりで会えるときは、もっとたくさん可愛がってあげよう』――

こんなにもわかりやすく口説かれたのだ、誘いに乗る以上、なにをされても文句は言えない。

それでも、彼のことは放っておけないし。彼のそばにいてあげたいとも思う。

きゅっとICカードを握り締め、一階、外来の裏手にあるタクシー乗り場へと向かった。


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