今夜、妊娠したら結婚します~エリート外科医は懐妊婚を所望する~
「杏。夜、ゆっくり話そう。それまではあまり考えすぎないでくれ」

「大丈夫ですよ。それじゃあ悠生さん、お仕事頑張ってください」

逃げるように彼に背を向け、少し歩いたところでひらひらと手を振った。彼は心配そうな顔で私を見守っている。

しばらくして振り向くと、彼も背中を向けて歩き始めたところだった。

今度は私が足を止めて、彼のうしろ姿を見送る。彼に気づかれないように、ひっそりと。

たとえば、彼の愛が信じられなくなったとして。

私はなにも気づかぬ振りをしたまま、最愛の妻を演じ続けたほうがいいのだろうか。

それはしあわせな家庭と言えるだろうか。そんな両親を見て、子どもは健やかに育ってくれるだろうか。

彼の背中をぼんやりと見つめて佇んでいると。

ふと脇にある駐車場のほうから、見覚えのある人物がふらふらと歩いてくるのが見えて、私は咄嗟に近くの建物の陰に身を隠した。

「まさか……長門さん?」

思わず声が漏れた。顔は確かに長門さんに見えるけれど、印象が以前とはまるで違う。

お硬いスーツ姿ではなく、よれた白シャツにスラックス。きっちりと決まっていたオールバッグは乱れ、背中を丸めてひどく疲れているように見えた。
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