【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第1章
35 勘違い浮気野郎が進化していました
「何でしょう、騒がしいですね」
ある日、庭で薬草の手入れをしていると、屋敷の方から人の声が聞こえてきた。
普通に会話をしているのなら聞こえるはずもないのだから、それなりに大きな声を出しているということだ。
今日はケヴィンがいるので、友人と騒いでいるのかもしれない。
となると、桃花色の髪の姉が姿を現すのは良くないだろう。
庭にいるぶんには鉢合わせすることもないとは思うが、念のため自室に戻っておこうとスカートの土を払い落とす。
だが屋敷に入って玄関近くを通ると、騒いでいる声に聞き覚えがあることに気付いた。
「この、うるさくも心に響かない叫びは。まさか」
恐る恐る玄関の近くに移動してみると、ケヴィンと話しているのは黄褐色の髪の青年だった。
「……やっぱり、フィリップ様ですね」
二人で何を騒いでいるのか知らないが、ケヴィンとフィリップは友人というわけではない。
となれば、ルフォール邸にわざわざ来るのはアニエス絡みの要件なのだろう。
アニエスの名前を出して何やら叫んでいるので、恐らく間違いない。
婚約はとっくに解消されているので、何をしに来たのかよくわからないが。
「まあ、一応まだ王族の端くれですし、一言挨拶くらいはしておきますか」
畑仕事のためにまとめていた髪を解くと、アニエスはゆっくりと玄関に向かって歩き出した。
「あら、誰かと思えばフィリップ様ではありませんか」
わざとらしくそう声をかけると、何故かフィリップは顔に喜色を浮かべ、対照的にケヴィンの表情は曇った。
「アニエス! ようやく現れたな。話がある」
「姉さんは部屋に戻りなよ。耳が汚れるよ」
アニエスに近付こうとするフィリップの袖を、ケヴィンががっちりと握っている。
おかげで動けないらしく、綱を引っ張る犬のような状態である。
一応王族相手のはずだが、ケヴィンの対応はなかなかに不敬だ。
これはやはり、姉を公開婚約破棄した男に対する怒りなのだろう。
「朝から玄関先でうるさいので、何かと思ったのですが。大声は近所にも家人にも迷惑ですので、お引き取りください」
「お、俺が会いに来てやったんだぞ!」
「頼んでいません。迷惑です。お引き取りください」
ひとを公開婚約破棄した上に投獄しようとしていたくせに、どの面を下げて会いに来ようと思うのだ。
「……おまえ、口うるさかったとはいえ、もっと大人しい女だっただろう。どうしたんだ」
口うるさいのに大人しいとはどういう矛盾だと言いたいが、恐らくフィリップの言う『大人しい』は『従順』という意味なのだろう。
自己中心的で都合のいい解釈をするところは、相変わらずである。
「どうもこうもありません。もうあなたに合わせる義理もないだけです」
「な、何だと? 大体、その髪は何だ。まとめておけと言っているだろう」
「こんなところに来るよりも、運命の相手の所に行った方がよろしいのでは? それに、無関係の方に髪をとやかく言われる謂れはありません」
帰れ浮気者、と心の中で付け加えてフィリップを睨むが、何故かにやりと微笑んでうなずいている。
「なるほど。サビーナに嫉妬か?」
「……うわあ」
思わず漏れた声が、ケヴィンの声と重なった。
「そうでした。フィリップ様はただのへなちょこ王族の浮気野郎ではなくて、勘違い浮気野郎でした……」
呟きが聞こえたらしいケヴィンが、心底嫌そうな顔のまま納得したようにうなずいた。
「本当に、アニエスは仕方がないな」
仕方がないのはどちらだ、とルフォール姉弟が冷たい視線を送っても、フィリップには届かない。
鉄壁の勘違いが都合の悪いものをすべて弾き返してくれるのだから、つくづく凄い防御力だと思う。
「仕方がないから、おまえを第二夫人にしてやる」
「……誰がですか」
「おまえだ、アニエス」
「……誰の第二夫人ですか」
「俺に決まっているだろう」
「……それが用件ですか」
自信満々の顔でうなずくフィリップを見て、どっと疲労感がやって来た。
へなちょこ王族の勘違い浮気野郎だとは思っていたが、敵は想像の遥か上に進化している。
アニエスは大きなため息をついた。
「――さっさと帰ってください」
「何? 何故だ!」
まるで想定外だとでも言いたそうなフィリップの驚き具合に、こちらの方が驚いてしまう。
「逆に、何故私がそんな提案を受けると思ったんですか。公衆の面前で婚約破棄されて投獄されかけ、剣を向けられたへなちょこ王族の勘違い浮気野郎に、ひとかけらの好意もあるわけがないでしょう。それを、運命の浮気相手の二番手として嫁げなんて――馬鹿にするのもいい加減にしてください!」
ごく当然の意見に、フィリップが目を見開いている。
本当に、どれだけアニエスを軽く見ているのだろう。
一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、これでも一応王族の端くれ。
こちらに非があることにされたらたまらないので、やめておこう。
「……最近、クロードと親し気らしいな」
「はあ、まあ、それなりに」
どうやら『ひとめぼれで首ったけ』は、フィリップにも届いているらしい。
眉を顰めたフィリップは、忌々しそうに口を開いた。
「隠れて、浮気していたのか?」
「――はあ? それは自分のことでしょう?」
「そんなつもりはなかった」
「婚約者がいる身で他の女性と運命の愛を育んでおいて、何を言っているんですか? 馬鹿ですか?」
「だから、そんなつもりはなかった。大体、おまえは何故俺から離れたんだ」
「婚約破棄したのはそちらですよ。馬鹿ですか?」
「それでも、俺から離れるのは、おかしい」
「あなたが言っていることの方が、何倍もおかしいです! じゃあ、私は公開婚約破棄されて投獄されかかって剣を向けられてもなお、運命の相手がいるフィリップ様に縋りつくべきだとでも?」
「――そうだ」
口を引き結んでこちらを見つめるフィリップの顔は、まるでアニエスが悪者だと言っているかのようだ。
「――何をしているんだ」
あまりの謎理論に言葉を失っているところに、涼やかな声が届いた。
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本日はへなちょこ野郎の影響で、ノー・キノコデーです。
またのキノコをお待ちください。