【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第1章
36 無関係です
姿を現したのは、花紺青の髪に鈍色の瞳の美青年だった。
クロードはアニエスに微笑みかけると、そのままフィリップとの間に立ちふさがる。
それにしても、何とちょうどいいタイミングで現れるのかと感心してしまう。
「……婚約破棄をした御令嬢の家で騒ぐとは。更に恥を上塗りするつもりか?」
「クロード、おまえには関係ない」
珍しく立場が上の人間に強気のフィリップだが、言葉には覇気がない。
「そうもいかない」
「何?」
クロードはアニエスの横に移動すると、そっと肩を抱き寄せた。
「俺はアニエスに、ひとめぼれで首ったけなんだ」
「――な!」
アニエスとフィリップの声が重なる。
ついでに、ポンというキノコが生える音も重なる。
クロードの左右の靴の上に生えたキノコは、気のせいかゆらゆらと揺れて自己主張している。
右の靴に生えた暗褐色の傘はよくあるキノコのもので判別しづらいが、これはツキヨターケだ。
結構な猛毒キノコが生えたのは、フィリップに対してイライラしたせいだろうか。
それでも本人には生えないあたり、まだ多少は身内なようなものと認識する心があるらしい。
左の靴に生えたのは鮮やかな黄色の傘のキノコで、これはタモギターケだろう。
猛毒のツキヨターケに対してこちらは食用で、なかなかいい値がつく。
統一感のないキノコの生え具合は、アニエスの心が落ち着いていないということなのかもしれない。
「キノコが生えたぞ。そういうことだろう?」
フィリップはキノコがクロードに生えたことで、にやりと笑みを浮かべている。
恐らく、クロードに対しての拒絶だと解釈したのだろう。
「ああ、生えたな。いいことだ」
クロードは靴に生えたキノコをちらりと見ると、満足そうに微笑んでいる。
こちらは単純に、キノコが生えて嬉しいのだろう。
王族二人のキノコを巡る見解がまったく噛み合っていないのだが、共にそれに気付いていない気がする。
だが、突っ込むのも面倒くさい。
それにしても、まさかこんな時に個別で『ひとめぼれで首ったけ』が発動するとは思わず、呆気に取られてしまう。
クロードは笑みを浮かべたまま、アニエスの頭をそっと撫でた。
「結構噂になっていると思ったが、聞いていないのか?」
「……昨日、聞いた」
「最近はまともに社交もしていないらしいから、話題に遅れているんだろう。相手の名前も憶えていないようでは、話も弾まないしな」
どうやら、フィリップは王族としての社交を怠っているらしい。
「まだ名前と顔を憶えていないのですか? 少しは努力してください。せめて運命のお相手にフォローしていただいては?」
「う、うるさい! それはおまえの役割だろう」
「何故私が無関係の人間のフォローをしないといけないのですか」
あまりに勝手な言い分に、怒りを通り越して呆れてしまう。
「無関係じゃない!」
「婚約関係がない以上、ただの他人です。無関係です」
「おまえはそれでいいのか!」
今度こそ、アニエスは深いため息をついた。
「いいも何も。……それを選んだのは、フィリップ様ではありませんか」
フィリップがサビーナに心を移し、婚約解消を言い出したのだ。
それがなければアニエスは恐らくこのへなちょこ王族と結婚しただろうから、現状はフィリップの選択で訪れたものだ。
「――そこまでだ。いくら何でも勝手な物言いだし、失礼だぞ、フィリップ。それではまるで、アニエスに未練があるように聞こえる」
「未練なんて……」
クロードにたしなめられるフィリップは不満そうな顔で、まるで悪戯を怒られる子供のようだ。
「まあ、あったとしても関係ない。さっきも言った通り、俺はアニエスにひとめぼれで首ったけ。つまり、口説いている最中だ。正式に婚約解消して無関係な今、恋しい人を煩わせるというのなら、全力で排除するぞ」
表情こそ笑顔だが、鈍色の瞳は笑っていない。
フィリップは何かを言いかけて口をつぐむと、舌打ちと共に扉を開けて出て行った。
ようやく去った嵐に、アニエスとケヴィンが同時に息を吐いた。
「殿下、ありがとうございました。おかげさまで、害虫を追い払えました」
ケヴィンが頭を下げているが、やはりフィリップの扱いは雑だ。
「いや、いい。連絡に感謝する」
「連絡?」
アニエスが首を傾げると、ケヴィンはフィリップが消えた扉の方に視線を移す。
「フィリップ様が来た時に、どうせ姉さんに絡んでしつこいだろうとわかっていたからね。すぐに殿下に連絡を入れさせたんだ」
何ということだ。
妙にタイミングがいいとは思ったが、ケヴィンが呼んでいたせいか。
「それよりも、フィリップが来たのは今回だけか?」
「姉に婚約破棄を言い出してからは初めてです。大方、失ったものの大きさに気付いたのでしょう。もう手遅れですが」
吐き捨てるようにそう言うと、ケヴィンはクロードに再び頭を下げる。
「端くれとはいえ王族のフィリップ様に対して言うことではありませんが……あの人は、姉に執着する子供です。それでも姉に対する気持ちはあるのだろうと父も僕も目をつぶっていましたが、今回はあまりにも酷すぎました。――どうか、姉を解放してあげてください」
「ケヴィン、何を……大体、クロード様とは契約上親しく振舞っていると説明したではありませんか。急な連絡なんて、失礼ですよ」
フィリップを害虫扱いするのはまあいいとしても、クロードに迷惑をかけるのはよろしくない。
だが、アニエスの注意を聞いたケヴィンは、深いため息をついて首を振った。
「……この通り、フィリップ様の負の影響やら何やらでお手数をかけるでしょうが」
何を言い出すのかと訝し気にケヴィンを見ていると、クロードが神妙な顔でうなずいた。
「手間暇かかろうと、関係ない。何せ、ひとめぼれで首ったけだからな」
結局、フィリップが訪れない代わりに、クロードの訪問がさらに増えた。
そのため、店にクロードと共に行くことが増え、店長ともすっかり顔なじみになっている。
店長はどうやらクロードを求婚者だと思っているらしく、にこにこと笑顔を向けられるのがつらかった。
「それにしても、お嬢様の庭は相当薬草の栽培に適しているんですね。こんな頻度でこの薬草が入荷するなんて、滅多にないことですよ」
それは精霊の祝福のおかげであって、畑の管理能力が優れているわけではない。
だがそれを言うわけにもいかないので、「幸運ですね」と笑って誤魔化していた。
「流行病に苦しむ人からも、薬草が良く効くと評判で。特に先日のキノコは、現在唯一の特効薬と言っていい効き具合らしいですし。お嬢様には感謝していますよ」
橙色の薬草を大事そうに受け取ると、店長がしみじみと語る。
本当ならもう少し頻度を落とすべきだと思うが、それをしないでいる理由がこれだ。
最近子供に流行っているその病は、高熱が続くことで体力を奪われて悪化することが知られていて、適度に解熱して養生するのが唯一の治療法らしい。
だが、普通の薬草ではなかなか解熱しないと聞いたので、時々精霊の祝福付きの薬草を持ってきているのだ。
「偶然とはいえ、役に立っているのなら嬉しいです。お金にもなりますし。……ところで、私が持ってきているというのは」
「もちろん、言っていませんよ。万が一にもお嬢様に不埒な輩が近付くといけませんからね」
そう言って差し出された代金を受け取ったのだが、店長はじっとアニエスの手を見ている。
「……もう一度あのキノコが生えたり、しませんよね?」
「あのキノコって……紫色のですか?」
「ネツサガール……チョレイマイターケの変異種です」
確か、熱さましの妙薬だと言っていた気がする。
そのまんまなネーミングがわかりやすい。
「無理だと思いますが、試します?」
アニエスが手を差し出すと、店長は喜色満面で早速手を重ねた。
ポン、という小気味良い音と共に生えてきたのは茶褐色の傘を持つキノコで、店長はがっくりとうなだれた。
「シイターケですね」
「……そう都合よくいきませんよね。ありがとうございました」
店長は頭を下げると、プリプリと張りのある傘のシイターケをもぎ取る。
「せっかくなので、もう少し試しましょうか?」
アニエスが店長の手を握ってみるが、シイターケが三本に増えただけだった。
すると、横から伸びて来た手が、アニエスの手をすくいとる。
その手にもシイターケが生えた。
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へなちょこ撃退キノコ祭りです。
【今日のキノコ】
ツキヨタケ(月夜茸)
暗褐色の傘を持ち、闇の中ではうっすら緑色に光るキノコ。
胃腸系中毒症状が激しい猛毒キノコで、死亡例もある。
アニエスに対するフィリップの態度に怒ったキノコ達から、「シイタケとの誤食を狙う」という命がけの指令を受けて生えてきた。
タモギタケ(楡茸)
鮮やかな黄色の傘を持つ、食用キノコ。
特技は群生で、味も良く、いいお値段。
キノコ達の怒りの「フィリップ、ツキヨタケ誤食大作戦」に巻き込んでしまったクロードに対する、お詫びキノコ。
「タモギタケは美味しく食べていいから、フィリップの口にツキヨタケを突っ込め」という意味もある。
ネツサガール(「どれだけキノコが欲しいのですか」参照)
解熱作用を持つチョレイマイタケの変異種の、紫色のキノコ。
そんなものはないので、架空のキノコ。
現在子供に流行中の病の特効薬。
チョレイマイタケ(「どれだけキノコが欲しいのですか」参照)
黄褐色の傘を持ち、菌核はかの有名な猪苓湯になったりする、有名キノコ。
モデルのモデルなので、出番はなし。
シイタケ(椎茸)
茶褐色の傘を持つ、愛され食用キノコ。
煮て良し、焼いて良し、干しても良しの万能選手。
遠い親戚のツキヨタケが命がけの指令を受けたと聞いて、誤食を促すために共に食べられる覚悟。
……でも生えるタイミングを間違えたので、美味しく食べられそう。