【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第1章
54 キノコ姫とキノコの変態王子
……口説く。
確かに、そんなことを言っていたような気がする。
「あれは、契約上の演技ではなかったのですか」
「うん。本気だったよ。アニエスは知らなかっただろうけど」
やたらと真摯に契約に取り組んでいると思っていたが、そもそも契約としての行動ではなかったというのか。
「じゃあ、キノコ好きというのも?」
「いや。あのキノコには、ひとめぼれした。……綺麗な赤だった」
恍惚の表情で何かを……いや、キノコを思い浮かべているクロードを見て、アニエスは安心した。
どうやら、キノコの変態であることは間違いないらしい。
変態であることで安心するというのもおかしな話だが、ここまでキノコの変態だと刷り込まれたのに、それが嘘だと言われる方が混乱する。
……変態自体を受け入れるか否かは、また別の問題だが。
眉間に皺を寄せながら考えるアニエスの様子に、クロードは優しい笑みを浮かべている。
「アニエスは弟と家のために恋人の演技に付き合ったのだろうけれど、俺は幸せだったよ。キノコは生え放題だし、アニエスといると幸せな気持ちになる」
「……それ、キノコの方が重要なのでは」
アニエスといるからではなく、キノコが生え放題だから幸せの間違いではないだろうか。
「だったら、キノコだけを提出させるよ。まあ、生えたてをむしるのは、かなり魅力的だけどね」
そうか、やはりむしりたては魅力的なのか。
それにしても、どれだけキノコが好きなのだろう。
クロードはキノコの山の近くに生えたササクレシロオニターケをむしると、柄を持ってくるくると回している。
「竜紋はすっかり赤に定着していたから、兄上に報告した。間違いなく番だろうから、すぐに婚約するべきと言われたよ。でも伯爵との約束があったし、アニエスは番という言葉さえ聞きたくないと言っていた。言えば俺の元を離れるのだろうと怖かったのもある。……半年後の契約終了時に、俺の気持ちを伝えるつもりだったんだ」
キノコを回す手を止めると、クロードは俯いてキノコを山に返した。
「でも、君は帰ろうとした。半年の契約が終わったからと俺の前から消えようとした。……ショックだったよ。俺にとっては幸せだった半年も、アニエスにとってはただの契約で、俺はキノコしか見ていないと思われていたんだ」
「……間違いではないと思うのですが」
各種キノコで満面の笑みを浮かべるクロードに、偽りは感じられなかった。
寧ろ、キノコへの愛しか見えなかった。
「確かにキノコは好きだけれど、アニエスのことはまた別だよ。……でも、俺は番のことを知らせずに嘘をついた形だ。婚約破棄で裏切られ傷つけられたアニエスを、一番聞きたくない番という言葉で傷つけたのだと気付いた。目の前の激レアキノコ……コウボウフーデには惹かれたが、もう会えないのかと思ったら、絶望だった」
どうやらクロードの鼻に生えたコウボウフーデは、キノコの変態から見ても貴重なキノコだったらしい。
そう言えば他のキノコはそのままで追いかけて来たのに、鼻のキノコはむしり取られていた。
単純に邪魔なのかと思っていたが、激レアキノコだったからか。
アニエスが現実逃避してキノコに思いを馳せている間にも、クロードの話は続く。
「アニエスは、どうぞお幸せにと言った。自分以外が番だと思っているのなら、俺のことは本当にどうでもいいのだろうということはわかる。でも、せめて君に嘘をついたままで離れたくはなかったんだ」
コウボウフーデの貴重さを考えていたアニエスの手を、クロードが包み込むように握る。
キノコから現実に引き戻され、目の前の鈍色の瞳がアニエスをとらえた。
「俺の番は、魂の伴侶は――君だ、アニエス。俺はアニエスが愛しいし、そばにいたい」
「――え」
まっすぐ伝えられた言葉に、アニエスは呆然とクロードを見つめる。
「……これを伝えたかったんだ。勝手な話でごめん」
ぽかんと口を開けたまま、クロードの言葉を考えようとする。
これ、とは何だろう。
番がアニエスだと言いたかった?
魂の伴侶だと?
そんなはずがない。
――だって、アニエスは偽物なのだから。
「嘘」
気が付くと口が勝手にそう動いていた。
「うん。嘘をついていて、ごめん」
「どうせ、キノコが欲しいだけでしょう」
否定しなければいけないという、脅迫観念に押し潰されそうになる。
嬉しいのに、嬉しいはずなのに。
そんなはずがない、と何かが警告してくる。
「それは違う。キノコは好きだけれど、アニエスのキノコがいいんだ。いや、キノコがなくたって、アニエスがいい」
「――嘘です。だって私は偽物で、邪魔者です。私は、いらないって……」
違う。
それを言ったのはフィリップで、クロードではない。
そのフィリップだって、相手は本物の番ではなかった。
だから、クロードは関係ない。
自分でも何を言いたいのかよくわからず、何故か涙が溢れてきた。
「アニエス」
クロードにそっと抱きしめられ、キノコがポンポンと勢い良く生える音が聞こえる。
視界いっぱいに黒い上着が広がり、甘い果実の香りに包まれると、不思議と心が落ち着いてきた。
「フィリップの言葉で、こんなに傷ついていたんだね。それなのに、俺はその傷を抉った。本当にごめん」
クロードは腕を緩めると、ハンカチでアニエスの涙を拭い、腕に整列する白い傘のキノコ……オトメノカーサををむしり始めた。
よく見ると周囲にはオオワライターケとヒイロターケも大量に生えているが、これは何のキノコパーティーなのだろう。
「……ねえ、アニエス。俺はアニエスが好きだ。番だと言われるのは苦痛かもしれないけれど、嫌なら兄上にも口止めするし、竜紋も絶対に見せないようにする。キノコも我慢する。だから、ほんの少しでも俺に好意を持ってくれたなら、俺がそばにいるのを許してくれないか」
腕に生えていたキノコを順番通りにベンチに並べると、鈍色の瞳が再びアニエスを写す。
こんな時でもキノコを忘れないクロードを見て、涙と共に混乱が引いていくのがわかった。
「私、番に良い印象はないです」
「だろうね」
「でも、殿下に好きだと言ってもらえるのは……嬉しいです」
「え?」
目を瞠ったクロードの手から、キノコが零れ落ちた。
「私が番だというのなら、私の事を偽物、邪魔者だと言わないですか? いらないって言いませんか? 置いて行ったりしませんか?」
「もちろんだ。言わない。言うわけがない。アニエスが誰よりも大事で、俺にはアニエスが必要なんだ」
慌てた様子で捲し立てるクロードなど、なかなか見られるものではない。
少し楽しくなって、アニエスの口元が綻ぶ。
「……私、面倒くさいですよ? キノコも生えますし」
「今更だよ。そんなの関係ない。それに、キノコは大歓迎だ」
「キノコはもうあげないと言っても?」
一瞬でクロードの表情が曇り、何やら葛藤しているのがわかる。
「そ、それは辛いけれど……アニエスと離れるくらいなら、キノコはいらない」
いらないとか言っておきながら、既に泣きそうな顔をしているではないか。
わかりやすい反応に、アニエスは笑いを堪えられない。
「嘘つきですね。キノコの変態なのに」
笑うアニエスを見て、クロードもつられて苦笑する。
「殿下」
「……名前で、呼んでほしい」
懇願するその表情が愛しくて、素直にうなずく。
「クロード、様」
ただ名前を呼んだだけなのに、クロードは嬉しそうに微笑みを返す。
「契約は終わってしまったけれど、また一緒にお出かけしてくれますか?」
「喜んで」
笑顔と共に返された答えに、アニエスの胸がじんわりと温かくなるのがわかった。
その瞬間に、桃花色のキノコがクロードの胸から生える。
ベニテングターケだとは思うのだが、色といい水玉模様といい、プレゼントされたキノコのブローチにそっくりだった。
偶然とは思えないキノコの姿に驚き、次いで笑みを交わすと、どこからともなく光の玉が現れてキノコの周りを飛んでいる。
そう言えば、王宮を去ろうとしていたアニエスの足を止めたのは、光の玉だった。
「クロード様と話せと言いたかったのですか?」
アニエスが尋ねると光の玉は忙しなく瞬いて、やがてキノコの上に留まった。
「私、精霊からも面倒くさいと思われているのかもしれません」
「でも、おかげで俺はアニエスを手放さずに済んだよ。……ありがとう」
クロードがお礼を言うと数回瞬き、光の玉はすっと消えてしまった。
「……このキノコ、貰っていいの?」
「私が好きな人はキノコの変態なので、仕方ありませんね」
クロードは桃花色の水玉キノコをむしると、愛し気にその傘を撫でた。
「大好きだよ、アニエス。――俺のキノコのお姫様」
クロードはくすくすと笑うアニエスに微笑むと、その額に唇を落とした。
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「キノコ姫」本編はこれで完結です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
付録として「今日のキノコ」の図鑑も公開します。
【今日のキノコ】
ササクレシロオニタケ(「話しかけないでください」参照)
白い傘に白いイボを持ち、柄にささくれがある毒キノコ。
全身美白したベニテングタケという見た目。
アニエスのお願いを受けて大人しく見守っているところをクロードにむしられ、くるくると回された。
初めての目が回る感覚に「悪くない」と気に入った様子。
コウボウフデ(「愚かな想いが育つ前に」参照)
青灰色の棒の先端が潰れたような形の、非常に珍しいキノコ。
固い柄もしっかりしていて、名前の通り頭部の胞子で紙に文字を書く事ができる。
クロードに早々にむしり取られ、ポケットの中で事の成り行きを見守っている、傍観者キノコ。
ようやくアニエスが笑ってくれたこの感動を、一筆したためたい気分。
オトメノカサ(「大切な人だから」参照)
小さな乳白色の傘を持つ、恋バナ大好き野次馬キノコ。
乙女な気配を感じる限り、何度でも現れる。
「番、キター!」「抱きしめられた!」「でこチュー!」と今世紀最大の盛り上がりを見せている。
この感動を分かち合いたいと、オオワライタケとヒイロタケを引き連れて皆で生えまくる。
オオワライタケ(「史上最低のプロポーズ」参照)
黄褐色のブナシメジという見た目で毒を持つ、にぎやかし担当のキノコ。
オトメノカサに誘われ、アニエスの幸せを願って群生してみた。
とても嬉しいので、アニエスの結婚式には大増殖しようと目論んでいる
ヒイロタケ(「もはや、ただのキノコです」参照)
半円球で扁平な、全身錆びついたサルノコシカケ的キノコ。
放って置くとどこまでも勝手に盛り上がるオトメノカサに、ブレーキをかける役割。
だが今日はおめでたいので、柄にもなくはしゃいで生えている。
ベニテングタケ(「赤いキノコが生えました」参照)
赤地に白いイボを持つ、絵に描いたような見た目の毒キノコ。
二人の思い出のキノコのブローチに似せて、桃花色の傘で生えてみた。
アニエスが大好きなので、笑っている姿を見ているだけで幸せ。