夏空、蝶々結び。
(ほっといて……!! っていうか、出てくるな!! )
キッと睨んだが、そんなことに怯むゴンではない。寧ろ楽しげに、その辺を漂うばかりだ。
「佐々? 」
先輩の目には、空中を睨んでいるようにしか見えないだろう。
それも、とてつもなく怖い顔で。
「あ、いえ……大丈夫ですから! 」
「そうか。……あんまり、無理するなよ 」
先輩にお礼を言って、書類の山に隠れるように席につく。
何が何でも“大丈夫”になるのだ。
嘆いても、自分の他にやってくれる人はいないんだから。
「何で。手伝ってもらえばいいじゃん。チャンスだし」
無視。
深呼吸。
さあ、大きく息を吸って――。
「先輩、おはようございます。もういいんですか? 」
内容は大澤先輩と同じなのに、入れ違いに飛んできた甘ったるい声に咳き込んでしまう。
「……大丈夫ですか? 」
「……うん。ごめんね、迷惑かけて」
具合が悪くて、いつも以上に冴えない私と違って、彼女――矢原さんはいつものように完璧だ。
「いえー。でも私、よく分かんなくて。結局、あんまりお手伝いできなかったんですよー」
そう言って眉を八の字に寄せるけれど、声の調子はちっとも悪びれたふうではなかった。
(……みたいね)
大体、“それ”は“お手伝い”ではなく、彼女自身の仕事のはずだが。
「いいんだよ、カナちゃんは」
「そうそう。我が部署の癒し! 」
溜息が漏れるのは抑えられなかったけれど、おかげで仕事を始める気になった。
明らかな贔屓や、カナちゃんの『えー、そんなことないですよ? 』を聞くより何倍もマシだ。
「……ふーん」
私の立ち位置や、もしかしたらその延長線上にある何かまで見透かされたんじゃないだろうか。
それが何だか、自分でもよく分からないのだけれど――意味ありげな呟きのせいで、胸につかえるのだ。
「“カナ”ちゃん、ね」
ほぼ同じ名前なのに、ここで私を指す言葉ではない。
それを他人に揶揄されるのは、こんなにも嫌なことなのだ。
『別に、どうだっていい』
『ただの同僚に何て呼ばれても、気にならないけど』
もうずっと前から、自分で自分にそう言っていた。
それが言い訳や誤魔化しにすぎないことを、ゴンはあっという間に見破ったのだろう。
情けなくて恥ずかしくて、それでも私は無表情にキーを叩く他に何もできなかった。