ハージェント家の天使

　扉から出る際に、御國をそっと見つめてから。

　旦那様と呼ばれていた男性が出て行くと、御國はそっと安堵の息をついたのだった。
　それに気づいたメイド長が金色の鋭い眼光を御國に向けて、声を掛けてきたのだった。
「モニカ様。旦那様にニコラ様を見せてあげるとは、何かありましたか？」
「えっ！？ 何かって、何も……。駄目でしたか？」
　御國がギョッとしてメイド長を見つめると、メイド長は「いえ、駄目という訳ではありませんが」と首を降るが、ややあってから「ですが」と続けたのだった。

「これまでは頑なに、旦那様にお嬢様のニコラ様を会わせる事さえありませんでした。2人の間に出来たお子様といえど、頑なに旦那様に会わせないのは、何か理由があるのかと思っていましたので」

「えっ……？」
　御國が何か言わなければと考えている間に、メイド長は今更、思い出したかのように慌て始めたのだった。
「起きたばかりで長話は身体に障ります。しばらくお休み下さい。ニコラ様は私共でみます」
　そうして、メイド長は他のメイドにニコラを別室に連れて行くように命じると、御國を残して部屋から出て行ったのだった。
　1人で部屋に残された御國は呆然としたのだった。
（ま、間違えた……？）
　御國は、御國とニコラが、清潔に整えられた部屋の中に大切そうに寝かされていた事から、2人はあの「旦那様」と呼ばれていた男性と、深い関係があると思って声を掛けた。
　けれども、旦那様の反応やメイド長の様子から考えると、そんな親密な関係では無さそうだった。

　そしてもう１つ、御國が気にかかる事といえば。
「今、『モニカ』って呼ばれた……？」
　旦那様も、メイド長も、最初に部屋に入ってきたメイドも、誰もが御國の事を「モニカ」と呼んでいた。
（もしかして、私はモニカっていう女性の中に入ってしまったの？）
　確かに、御國は階段から落ちて死んだはずだった。
　その時の事は、今でもよく思い出せる。
　頭から出血して血の気が失せていき、目の前が真っ暗になっていく感覚。
　身体をぶつけた痛みよりも先に、身体が冷たくなっていく感覚。
　その時の事を思い出して、御國は真っ青になったのだった。
　御國がもっとよくその時の事を思い出そうとすると、何故か頭がズキリと痛んだのだった。
　まるで、思い出してはいけない「何か」がそこにあるかのようにーー。

（今は階段から落ちた時の事は考えないようにしよう。それよりも、これからどうしたらいいのか考えないと……！）
　御國がモニカの中にいるという事は、もしかしたら、モニカは御國の中にいるのかもしれない。
　それよりも、階段から落ちたはずの御國の身体はどうなったのだろうか？
（誰かに相談しようにも、こんな話を信じてくれそうにないし……）
　いつ元の身体に戻れるかはわからないが、しばらくの間、御國はモニカとして生活しなければならないだろう。
「バレないようにしなければ……。モニカにならなければ……！」
　御國は決意を新たにすると、まだ痛みが残る頭を抑えながら、ゆっくりとベッドに横になったのだった。