その呪いは、苦しみだけではなく。

 ***

「俺が死んでも、忘れないで」

 彼の命が消えていく。蝋燭の炎が、通りかかった他人に吹き消されて、消えていく。
 彼もそれが分かったんだろう。動かない右手を、私は握りしめたが、彼は握り返してくれなかった。

 なので私は頷く。当たり前だから。

「俺以外を、一生好きにならないで」

 もう一度頷く。
 彼のベッドの横にある機械は、彼の命を生き存えさせているのか、カウントダウンを刻んでいるのか分からない。どちらにしても役に立たない機械に、奥歯を強く噛みしめ苛立ったのだけは覚えている。

「俺だけを好きでいて」

 それは呪いの言葉だ。
 けれど私は絶望の中、それだけが救いの言葉だった。
 彼を失う瞬間、一生私の心の片隅に残しておける呪いの言葉だった。


 ***

「素敵な花束です。ありがとうございました」

 両手いっぱいで花束を抱えた。
 両手からこぼれ落ちそうなほど大量の花と、花の匂い。これを月命日に毎月欠かさず、お供えしている。
 私は忘れていないよって合図だ。

 彼の好きだった蜜柑や林檎、プリン、放課後に一緒に食べていたお菓子を添える。
 全て、給食の時に彼がおかわりジャンケンをするほど好きだった好物。私に面白いからと勧めてくれた少年漫画は、昨年完結した。完結した漫画の単行本もお供えする。
 長い坂を下り、桜色の絨毯を踏みつけ、彼の命を奪った場所へ。
 新しくなったガードレールの下へ、花束を置いた。

「……」

 手を合わせて思うことは、亮くんとの未来だ。
 もし生きていたらの、たらればのオンパレード。 喧嘩もしたのだろうか。
 付き合って半年。喧嘩なんてしたことがなかった。
 クラスの人気者で、ちょこっとお調子者。深く考えないでデリカシーがないくせに、私の一挙一動で真っ赤になったり笑顔になったりと、全身で好きを伝えてくれる人だった。
 交換ノートは半年で六冊を超えたし、部活後に手を繋いで帰る時に、空から落ちてきそうな真っ赤な夕焼けを見上げるのが好きだった。
 もし生きていたら、あの日の感動が何年も続いていたのかな。
 一緒の高校を目指して一緒の塾に通ったり、受験勉強にひいひい言ったのかな。
 海に行ったり、電車に乗って遠出のデートしたり。
 同じ大学に行くのかな。
 就職かな。大学に行ってもまだお互い好きだったのかな。
 彼は就職後に、私にプロポーズしてくれたりして。
 ……結婚できていたら、今こんなに苦しくないのに。
 馬鹿みたい。

 たらればでは、祖母の遺言は回避できない。
 亮くんの最後の言葉が、呪いのように私を支配するように、祖母の遺言は私には絶対だ。
 亮くんが好きだから一生誰とも結婚しないと宣言した私を、受け入れてくれた祖母だ。
 親が呆れて、私を批難しても祖母だけは守ってくれていた。
 その祖母が、遺言で書いていたんだ。

『一度だけ、自分にチャンスをあげてください』
と。

『大切な思い出を持っていても、受け入れてくれる方を知っています。一度だけ、顔をそちらにむけてくれませんか』

 私を守ってくれていた祖母の遺言を、私は叶えたい。
 一度だけならば構わない。ただ、相手を傷つけてしまうことだけが申し訳ないけれど、祖母の希望を叶えたいと思う。
 相手は、二つ上の幼馴染み。

 今は実家の小さな小児科病院を継いで、お医者さんをしていると言っていた。彼も、私の祖母の遺言ならばとお見合いを了承してくれている。

「……」

 優しい人は嫌い。傷つけてしまうと、罪悪感に苛まれるから。
 それならば、私を愚かだと笑ってくれる方がいいのに。
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