その呪いは、苦しみだけではなく。
「前世の記憶があれば、君は呪縛から解放されるのにな、とは思うよ」
「うん」
「でももし彼が生まれ変わっていても、年齢が違う。生まれてきた環境が違う。それに一番違うのは、苦しんできた君の人生を半分も知らない」
窓の鍵を開けに、中に入っていく誠弥君は、私に始終背中を見せたままだった。
亮くんを好きになったとき、勉強していた誠弥くんのこの離れに突撃した。
亮くんに告白されたとき、机に突っ伏して眠っている誠弥くんをたたき起こして報告した。
亮くんの為にバレンタインのチョコを作って、その度に誠弥くんに味見してもらおうとこの離れに飛び込んだ。
誠弥くんは私のことを面倒くさかったかもしれないけれど、嫌な顔を見せずに対応してくれていた。
亮くんが亡くなってから、私はこの離れに近づくことは無くなっていったけれど。
「美織ちゃん」
窓を開けた誠弥くんは、もう優しかった二つ上のお兄ちゃんではない。
大人びた寂しそうな表情で私を見つめている。
「僕を隠れ蓑に使わないか?」
良い案じゃ無いか、と誠弥くんは笑う。笑うのに寂しそうだ。
「僕ももう結婚はしたくない。仕事が忙しいと逃げて、大切に出来ないのは苦しい」
「誠弥くん」
「美織ちゃんがどれだけ彼を思っていたのかは僕は知っている。僕と結婚しても、彼のことを忍んで良いよ。僕も、仕事が忙しくて家に帰れなくても罪悪感が薄れる」
穏やかで優しいお兄ちゃんが、大人のような取引をしてくる。
「お互い、他人の意見が煩わしくないか」
三十過ぎて結婚しない男女に、世間の目はまだ冷たい。都会に出れば、結婚していない人間なんて溢れかえっているけれど、都会から少し離れた田舎では、誰が結婚しただの離婚しただの、下世話な噂話は瞬く間に拡散されていく。
「君はこの地に骨を沈めなくても、都会に逃げれば幾分かましだから、僕に言いくるめられなくてもいいんだけどね」
優しい誠弥くんは、私に逃げなさいって背中を押してくれている。
この地に病院を作ってしまった誠弥くんには、色々な責任が背中にのしかかり、身動きできない。だから、私だけでも逃げなさいって言っている。
「私は……」
花を踏む少年が脳裏に浮かぶ。
亮くんとはかけ離れた容姿をしていた。
彼はもっと人懐っこく、笑顔も可愛くて、声変わりもまだで、身長も私とほぼ差はない。
けれど花を踏む少年は、低い声。見上げなければいけないほど高身長。空に浮かぶ三日月のように鋭い眼差し。
何もかも、亮くんとはかけ離れている。違う。別人。
ただただ、あのガードレールに花束が置かれて老いるのが許せないだけの、思春期の男の子だ。
だけれど、彼が嫌ならばもうあの場所へ、花束を置くのは止めようと思えた。
「私は、ずっと優しかった誠弥くんに恩返しできるなら、隠れ蓑に使って欲しいな」
「美織ちゃん」
「誠弥くんは、私と結婚したら、セックスするの?」
首を傾げて尋ねると、彼は目を丸くした後、大声で笑い出した。