ただきみと旅をしたいだけ
ナユタの章
 



 妹が行方不明になったのは、一週間前のことだ。




 中学に入学したばかりで、からかえばすぐに泣いて、やあい、やあい、といじってやるのが日課だった。嫌いと言われたところで家に帰ればけろっとして、次の日になれば忘れている。だから毎朝適当にからかって、そいじゃあ、と慌てて家を出て帰ってつついて遊んでテレビを見る。それが日課だ。なのにある日帰ると妹が消えていた。

 事件だ、事故だの言われて、呆然としているうちに時間ばかりが過ぎて行った。何が現実で、そうでないのかもわからなくって、ふわふわしていた。家出か何かじゃないかと疑われて、もしそうならどんなにいいかとベッドの上で考えた。カナは、通学途中を境に、ぴたりと姿を消した。どこの監視カメラを探しても、人にきいても、本当に“消えてしまった”としか言えないくらいにいなくなった。


「わけが、わかんねえよ……」


 そうして頭を抱えているとき、次に見たのは泣き続ける美女だった。長い耳をしていて、緑色の森みたいな瞳だった。ただそいつはさめざめと泣いていて、本来ならば神殿に喚ばれるはずであった俺を、無理やりに美女が引き寄せたのだという。とにかく逃げなければいけない。私の力でもとの世界に送り返す――――と、説明したところで、「おい待て」

 異世界。その発想はなかった。

「もしかして、カナもここにいるんじゃないのか!」
「か、カナ? どちら様でいらっしゃいます……?」
「俺の妹だよ! 一週間前に消えたんだ! お前らがカナを連れ去ったのかよ!?」
「わ、わわわ私にはわかりませんが……!!」

 気の弱い美女は相変わらず涙を流しながら首を振った。とにかく、俺をもとの世界に戻すという美女の言葉を強行して、この世界にとどまることにした。カナを探す。その目的のために。

「なあ、美女さん。名前がないと呼びづらいから教えて欲しいんだけど」
「わ、私はアルデです……。その、神殿に向かうというのは、その、絶対に辞めたほうが、その、その」
「そこにいけばカナがいるかもしれないんだろ!? 行くしかねーだろ! ちなみに俺は那由多な! ナユタでもナッサンでもナッちゃんでもなんでもいいから、さっさと行くぞ美女さん!」
「アルデですぅ……! 名前を言った意味がありませんよぉ……!!」


 ちなみに、カナにはよく短気だと怒られた。



 ***




 アルデというこの女は、ぼちぼち有能な神官らしく、とにかく“人が食われる”のが耐えきれなかった。この世界には竜がうじゃうじゃと溢れていて、とにかく食料が足りない。食料と言っても、可愛らしく木の実やら家畜やらを襲ってくれればいいものの、竜はこの世界の人間とエルフのみを食す。それが世界の決め事だからだ。

「人はすぐに死にますが……そのかわり、たくさんの子を生みます。エルフはその反対です。生殖能力が低いんです。互いにないところを補い、竜のためだけに生きる。その代わりに、彼らは私達を繁栄に導いてくださります……」

 ほうほう、と採った魚に串をぶっ刺しながら頷いた。「そんで、人間とエルフだけじゃ食料が追いつかなくなったのか」 一度うまい味を知ってしまったらやめられない。エルフは多くの異世界人をこちらに喚んだ。その中に、もしかするとカナもいるのかもしれなかった。なるほどなるほど。

「アホほど迷惑だな!」
「重々……重々承知しております……」

 相変わらず美女、アルデはさめざめと泣いた。別に俺はこいつに言ったわけではなかったのだが。獲物の頭をがつんと岩で潰しながら、腹をさばいて焼いてみた。とにかくさっさと神殿に向かわねば、すでにぱくりとカナが食われた後とは笑えない。

 アルデはもとは神殿で育った女だ。けれども幾人も喚ばれる異世界からの人間が消えていくことに耐えきることができなくなって、ある日反旗を翻した。それはたった一人きりであったけれど、大神官が結ぶ契約を、横から掠め取ってしまった。それが俺だ。

「妹君を……お救いすることができず、大変申し訳なく……」
「いや別に何も言ってねえから」

 とにかくなんでもネガティブに捉えるものだから、正直まったく馬が合わない。
 私なんて、と繰り返すのが口癖で、とりあえずはいはい、と受け流しておいた。こちとらとにかく急いでいるのだ。



「カナはさあ。いっつもふらふらしててなあ、ちょっとどこか抜けてんだよな」

 旅の途中、だまりっきりもどうかと考えたとき、ふとした思い出話を語ってみた。小さな妹が、それよりまた小さな頃だ。兄弟仲良く近所の縁日に行ってきな、と母親に背中を押されて、俺はもらった小遣いに興奮して、うぇい、うぇい、と歌って躍った。多分カナは周辺でちょろちょろしてた。

 花火がある、と聞いて一番いい場所をとってやろうと脱兎して、こりゃあいいし、小さなカナでもよく見える、と思って振り返ったとき、カナはどこにもいなかった。カナとつないでいたはずの片手には、でかい綿あめを抱えていた。これくらいでかければ、二人で食べるには丁度いい。そう思っていたはずなのに、すっかりカナ本人のことが頭から抜けていたのだ。

 俺は焦った。とにかく焦って、探し回った。びーびー泣いている声が聞こえる。とにかくほっとして、ついでとばかりに怒鳴ってやった。どこに行ってんだこのやろう。勝手にどこにも行くんじゃねえと。



 そんな思い出話を懐かしく感じながら、うんうん頷いていると、なぜだかアルデはきれいな顔を引きつらせていた。どんびきしていた。

「お、説明が足りなかったか? とにかくカナはなあ、俺のことを短気だなんだのとキレて怒って、生意気なやつでな」

 とにかくあれでな、それでな、と言葉を繰り返していると、「胸中、お察しいたします……」 わかってくれたらしい。よかったよかった。「妹君の……」「カナの方かよ!?」

 アルデはいつも自信がなさ気な顔をしているくせに、いうべきことは曲げはしない。神殿では色々とやらかしたからか、仲間はずれにされることも多かったそうだが、なんとなく理由は見えてくるというものである。




 やってきたのはひっそりとした屋敷だった。神殿、というわりにはこじんまりして威厳もない。そっちの方が硬くならなくていいもんだ、と胸をはって入ってみると、若い男が突っ立っていた。アルデと同じように耳をつんと尖らせて、偉そうな顔をしている。金色の瞳がぎらぎらしていて、少しばかり後ずさった。



「アルデ、不出来な女よ」

 心底呆れたような声を落として、男はため息をついた。「お前は人一倍の魔力を持っているというのに、理解に苦しむ発言ばかりだ」 何を考えているのか、私にはてんで分からぬと首を振る仕草を見て、イケメンは何をしても似合うのだな、とぼんやり考えた。その間にも、どんどんとアルデは暗く顔を落ち込ませる。私なんて、と繰り返す彼女の口癖の意味が、少しばかり見えてきたような気がした。

「まあ、何にせよ私から引き裂いた喚び人をこちらまで連れてきたのだ。失態は水に流してやろう。魔力は有限だ。一人の喚び人も無駄にはできん。お前、こちらに寄れ」

 お前とは俺のことなのだろう。男が錫杖で床をついた。しゃらん、と涼やかな音がなる。杖の真ん中には、きらきらと赤い石が輝いている。「お、おう?」 空気に流されて、僅かばかりに近づいた。「だめ、いけません!」 アルデが俺の腕をひっぱった。だからそれ以上行けなかった。慌ててすっころげそうになりながらも、「いやいや」

 俺はこんなことをしている場合じゃない。


「なあ、あんた。あんた、カナをこっちに喚んだんだろ。俺の妹だよ。一週間、いや俺もこっちに来てからちょっと経つから……それより前だな。とにかく、さっさと返せ!」

 言いたいことを叫んでやると、男はしばらくきょとりと瞬いて、呵呵と笑った。何をそんなに笑われているのか分からなかった。「アルデ、教えてやらなかったのか」 アルデは眉の間にシワを寄せて震えていた。だから何のことだと男を睨んだ。

「異界からの召喚に、時間など意味はない。カナという女のことなど、私は知らん。とっくの昔に喚んで死んだか、それとも先の未来なのか。なんにせよ、死ぬために喚ばれるのだ。喚び人などこの杖に魔力がたまる度に、いくらでも喚べるものだ。いちいち名前など覚えてもおらん」

 しゃんしゃんと杖が音を鳴らしている。なんだそりゃ。小さな館に、悲鳴が聞こえた。痛い、助けてくれ。「ああ、ああ、さえずりおる」 でもその声も、しばらくすると消えてしまった。「死んだか? まあいい。丁度次がいる」 なんてこともないその言葉をきいて、こりゃもう、理解の範疇外だ。そう思ったとき、ポケットの中に突っ込んでいた小石を、思いっきり振りかぶった。瞬き一つ、男が片手を伸ばしただけで、石は簡単に四散した。

「馬鹿な人間だ」

 呆れたような声をだして、ふうと笑ったその間に、外した視線の間をぬって片手を伸ばす。男はすぐさま首に守りを固めた。けれども違う。

 俺は男の首を狙ったわけじゃない。けれども意識から抜けた錫杖を奪うのは、それでもなかなか根気のいる作業でもあった。背後でアルデの魔法に後押しされて、やっとこさ抱えたバカでかい杖を、俺は思いっきり持ち上げた。「よくわからんが!!」 短気で、意地悪。よくよくカナには怒られる。考えることは苦手だ。落ち込むことも嫌いだ。だからまっすぐに動いた。考えて、できることをしようと思った。


「この杖を壊せば、いいってわけか!!?」


 誰かに言われた。
 馬鹿は強い。






 ばっかり、宝石には見事なヒビが入っていた。
 大神官が悲鳴をあげたそのすぐあとに、館がボロボロに崩れていく。魔力の暴走だとかなんだとか、そんなことはまあよくわからんので、どうでもいい話だが。




 相変わらずびっくりするぐらいの涙を流して、アルデは俺を風にのせた。「異世界人とは、こんなにも愚かなものなのでしょうか」とばっさり罵ってくるあたり、彼女は本当に空気を読めない。「あの杖は、ただの魔力の補助ですから、喚び人がなくなるものではありません。ただ、魔力がたまるまでのその時間を、引き伸ばすことはできるのかもしれませんが」 恐ろしい、恐ろしいと言いながらも、アルデはそう伝えた。

 あんなに簡単に壊れるのだ。さっさと俺以外にもできるやつがすればよかったものを、と言ってみると、本来なら大神官と“糸”が結ばれると、そんな勝手はできなくなる、とアルデは語った。俺のそれは、アルデがひっさらったから、勝手に自由にできたというわけだ。

「私は、頭がおかしいのだと、言われ続けておりました」

 たとえ異界の人間だろうと、言葉を話すことができる彼らをただの餌とするにはおかしなことだと。けれども、それが当たり前であると教えられもしたから、何をすることもできなくて、振り絞った勇気はただの一度きり。自身の膨大な魔力を使い切って、俺をよんだ。


 そんなさめざめと泣く女を見て、どうしたもんかな、と頭の後ろをひっかいた。「そりゃまあ、おかしいんじゃないか?」 正直者だとよく言われる。びくりと震える女の頭を見下ろしながら、続きを告げた。「お前らにとって、俺達は食われてもいい人間なんだろ? 俺だって、魚も食うし、動物だって」 ちなみに大神官に投げた石とは、こちらに来てうさぎの頭をぶっ叩いたものである。


「お前らからすれば、アルデはきっとおかしいんだろう。でもまあ、こっちからしてみれば、そんなこたねぇけどな」

 もしかすると、それは思いやり、とか、優しさ、とか言えるのかもしれないけど。


 アルデは溢れていた涙をそのままに、森のような瞳で俺を見上げた。それから笑った。本当は、ずっとしたいことがあると、彼女は語った。南は竜が活発な地域だ。魔力の弱いエルフや、多くの人間はその地域に押しやられる。彼らを守る村を作りたいのだと話す彼女に、そりゃまあ、好きにすりゃいいんじゃないの? と適当に答えると、彼女は細い両手を顔に当てて、ゆっくりと瞳の端を柔らかくさせた。

 泣いてばかりいたアルデだったから、少しばかり驚いた。


 なんにせよ、俺にできることと言えばそれくらいで、あとはまあなんとかなるだろう、とあっけらかんと考えていた。今の場所にカナがいないとなれば、こんな場所は用済みだ。さっさと家に帰らなければいけない。長い呪文とともに、アルデは俺を送り届けた。そいじゃあな! と手を振りながら、ほんとのことを言うと、不安な気持ちで重たかった。俺は何かを見過ごしてないだろうか。カナは大丈夫なのだろうか。俺は、まだ何かできることがあるんじゃないだろうか。

 兄貴として、なにか。もっと、なにかを。


 真っ白な道を歩いていた。出口に向かって、ただまっすぐ。来たときも通った道だ。だから迷いもしないし簡単だ。ふわふわと、なんの気なしに歩いていた。そのときだ、すれ違った。


(……カナ?)

 不思議と声が出なかった。カナが、中学の制服を着て、鞄を背負って、俺の代わりとばかりにてくてくと歩いていく。大きな光に向かって歩いていく。(いやまて、ちがう) そこは違う。すぐにわかった。あそこは神殿に通じる道だ。違う、いけない。やめろ。そこには行くな。

 ぜったい、いくな!


 叫んだそのとき、微かな、小さな光が見えた。それはほんのりと温かくて、あーあ、とまるでため息でもついているみたいな声だ。男の、いや少年の声だ。家族が欲しい、いやあ、できるなら可愛い嫁さんの一人でも、と冗談みたいに笑って、ふとすると消えてしまいそうな、そんな光を。(あっちだ) 呼び止めた。お願いだ、気づいてくれ。


 あっちに行くんだ!!!



 伝わるだろうか。声が届くだろうか。わからない。けれども必死だった。あっちはだめだ、お願いだから。ただまっすぐとカナは歩いていた。そのとき、ぴたりと歩を止めた。振り返った。ぐんぐんと遠くなって消えていく。カナは光の粒になって、伸ばした手も届かない。俺は絨毯の上で馬鹿みたいに転がっていた。


「お、おお?」

 戻ってきた。あの世界から戻ってきたんだ。不思議と夢だったとは思わなかった。あれは本当にあったことだ。「じゃあ、カナも」 戻ってきてるに決まってる。「カナ!」 期待の声をこめて大声をあげた。リビングの中で、俺の声が響き渡った。ここにはいない。そうだ、部屋だ。「カナ?」 

 勝手に入って来ないでよ。
 頬をぷっくりと膨らませたカナがいる。

 そのはずだった。でもどこにもいなかった。いくら家を探して、荷物をひっくり返しても何もない。「あ……」 わかってる。カナは向こうに行ってしまった。俺はそのさまを“見てきた”。ぼろりと落ちた涙が、拳に落ちた。「う、あ……」 泣いた。大声をあげた。カナはもう、戻ってこない。

 ただ唯一、遠く星みたいに消えていく中で、小さな男に抱きしめられるカナを見た。互いにぴんくのほっぺたを嬉しそうに緩ませて、彼らはどこかに消えていく。


「勝手に、どっかに行くなって、言っただろ……」

 泣き笑いみたいな声だ。
 ただ、幸せを祈った。ぼろぼろに涙をこぼして、亀みたいに丸まって、戻ってこない妹の幸せを祈った。



 彼らの旅が、幸せでありますように。
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