拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
王子様の気遣い?
知らず知らずのうちに、膝上で軽く握ってた手は、握り拳になっていて。
掌には、いつしか爪が食い込んでしまっていた。
そんな私に向けて、正面の創さんから声がかけられ。
「……菜々子? 顔色が優れないようだが、大丈夫か?」
そちらを見やると、とても心配そうな表情の創さんと視線がかち合い。
そこで、自分の本来の役目を思い出した私は、慌てて取り繕いにかかった。
ーー危ない危ない。
このままじゃ、貴子さんに何かあると勘ぐられてしまう。そんなことになったら修羅場になっちゃうよ。
ここはちょっと新鮮な空気でも吸って、リフレッシュ、リフレッシュ。
なんて、妙案を思いついたとばかりに口を開いたまでは良かったものの。
「あっ、いえ。昨日から緊張しちゃって、寝不足なだけなんで、大丈夫です。それより、お手洗いに……」
これじゃあまるで、トイレを我慢していたみたいで、急に恥ずかしくなってきた。
私は創さんの視線からも逃れるようにして、俯いて膝の辺りをじっと見つめることしかできないでいる。
そうしたら、いつもうっかり者の私の様子から何かを察した風な創さんから。
「そうだな。ずっと緊張してたもんなぁ。食事も済んだし。親父、菜々子が疲れたようだから、気晴らしに家の中案内してきてもいいよな?」
「あぁ、もちろん」
「じゃあ、少し中座させてもらいます」
間を置かずに、なんともスマートなフォローがなされて、一時休戦と相成ったのだった。
とはいえ、羞恥はすぐに拭えなくて、エスコートしてくれる創さんに倣って歩みを進める足の動きがまるで、ロボットのようにぎこちない。
ぎこちないながらも出入り口まで歩を進めたところで、依然空気と化して控えていた菱沼さんに、創さんが何やら目配せをしていたけれど。
『ついてこなくていいから、様子を見てろ』とでも伝えていたのだろうか。
菱沼さんは、私たちに深々と一礼して静かに見送ってくれていた。
そういえば、父親のことにばかり気をとられていて、すっかり忘れるところだったけど。
愛梨さんがさっきから静かなのは、食事の席と言うことで、ペットのカメ吉は応接室でお留守番をさせられているからだ。
まぁ、でも、いくら死に別れているとは言え、ご当主が後妻と寄り添う姿を見るのは、結構ショックだったようだから、良かったのかもしれない。
そうやって余計な勘案をしていた私は、いつの間にやら、おそらくお手洗いなのであろう扉の前まで来ていて、そこで。
「ついたぞ」
創さんの声を聞いて初めて。
創さんとふたりきりで、しかも、さも当然のことのように腰に腕を回されて、寄り添うようにしてピッタリとくっついてことに気づくという、相変わらずのお間抜けぶりだった。
それをまた。
「どうした? トイレに来たかったんだろ? それとも、俺にこうやって、甘い言葉でも囁いてほしかったのか?」
わざと耳元に息を吹きかけつつ、いつものからかい口調で面白おかしく茶化されてしまい。
「……ちっ、違いますッ! それより、もうちょっと離れててください。いいですか? 私が出てくるまで、ずっとそこにいてくださいね?」
「ハハッ、はい、はい。分かった、分かった」
見るからに茹で蛸のように真っ赤にさせられてしまった私は、トイレに逃げ込むようにして飛び込む羽目になった。