拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
よく似た声音

 ここに到着したときには、憂鬱でしかなかったけれど、創さんと両想いだと分かった途端に、こんなにも浮かれてしまうなんて、ゲンキンにもほどがある。

 でも、人質にされた挙げ句の偽装結婚だったのが一八〇度違ったものになったんだからそりゃ無理もないだろう。

 軽い足取りで、広いお屋敷の廊下を菱沼さんの後に続いて歩いていると、何人かの使用人の人たちとすれ違った。

 その中には、出迎えてくれていた人もいたようだったし、すれ違うたびに、深々と頭を下げてくれるところを見ると、おそらく、私が創さんの婚約者なのだと認識してくれているのだろう。

ーー来月には、ほんとに創さんと結婚しちゃうんだ。なんか不思議な気分だなぁ。

暢気にそんなことを思いながら何の気なしに足を進めていた時だった。

「あぁ、菱沼さん。お疲れ様です」

 不意に耳に流れ込んできた声が、創さんの声とそっくりだったため、驚きのあまり私は何もないところで、危うく躓きそうになった。

 それを免れた代わりに、菱沼さんの正面に現れた私と同年代らしきイケメンに抱き留められて事なきを得た私は、真っ赤になって縮こまって動けないでいる。

 だって、創さんの声にそっくりだったために、創さんとのあれこれを思い出してしまったんだから、しょうがない。

「菜々子様、大丈夫でございますか?」

 そんな私に、人目があるせいか、いつもの低くて冷たい声とは似ても似つかないなんとも優しい声音を放って気遣ってくれた菱沼さん。

 その声で、ハッと我に返って、イケメンの腕から慌てて飛び退いたと同時、ブルッと震え上がった私の肌には、鳥肌が立ち始めた。

 いつもは冷たい菱沼さんがあんまり優しい声で気遣ってくれるものだから、菱沼さんには失礼だけど、気色悪かったのだ。

 そんな失礼なことを思っていると、そこに、イケメンから放たれた創さんとそっくりな声がまたまた聞こえてきて。

「あぁ、この方が兄さんの婚約者の方かぁ。へぇ、イメージと違ってたから驚いたけど。可愛らしい方だなぁ」
「////……か、可愛らしいなんて、そんな」

 『可愛らしい』なんて言われ慣れていないせいで照れていたら、突如ガッシャーンと派手な音がして、目を向けた先には、廊下の角を曲がったすぐのところで、割れた花瓶の残骸が床に飛び散っていた。

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