拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
次の瞬間には、使用人の若い女性が大慌てで私の傍に居た菱沼さんに助けを求めてきて。
「菱沼さん、ちょっと手を貸してもらえませんか?」
「……いや、しかし」
どうやら私のことを気にかけてくれているらしい菱沼さんがどうしたものかと躊躇っているものだから思わず声を放つも。
「行ってあげてください」
「……そういう訳には」
菱沼さんは相変わらず躊躇していたのだが、その女性が破片で指を切ったらしく、菱沼さんが慌てて駆け寄る姿が見て取れた。
ーー大丈夫かなぁ?
そう思っていた私の耳には、創さんとそっくりな声がまたまた流れ込んできて。
「さっきから俺の声に驚いてばかりいるけど、そんなに兄さんの声に似てる?」
「……へ? あっ、はい」
『兄さん』ということからも、このイケメンが創さんの腹違いの弟なんだと分かり答えてみたものの。
確かに、創さんを少し幼くしたようなイケメンフェイスもよく似ているし、少し背が低いくらいで、背格好も雰囲気も、よく似ている。
けれど、なんだかさっきまでと雰囲気も様子もまったく違って見えて途端に怖くなってきた。
そこへ恐怖心を煽るようにして、私にジリジリとにじり寄ってきて。
「ならさぁ、兄さんと俺と、どっちと相性がいいか試してみる? 案外俺の方が合ってるかもしれないよ?」
よく分からないことを言ってきた。
分からないなりにも、そのニュアンスからして、あまりいいことじゃないということはすぐに理解できた。
「……え? いや、あの、ちょっ」
どうやら怖いとさっき感じた私の直感は当たっているらしい。
さっきまでの優しい甘さを含んだものとはまるで違った、鋭い棘を孕んだような厭らしいその声色に、菱沼さんの声に感じたものとは比較にならないくらいの嫌悪感が背筋を駆け巡った。
けれども、菱沼さんはまだ戻ってこないし。
身の危険を感じてジリジリと後ずさりしている私の背中に、もう逃げ場がないことを知らしめるように、ひんやりとした壁の感触が伝わってくる。
菱沼さんの居る方に視線を向けてみても、ちょうど死角になっているため物音しか聞こえない。
完全に逃げ場を失った途端に、怖くてしかたなくなってきて、思わずギュッと瞼を閉ざしたちょうどその時。
「菜々子ッ!!」
大きな声でそう叫ぶ創さんの声音が辺りに響き渡って。
驚いて目を見開いた先には、弟の創太さんの胸ぐらを引っ掴んで、今まさに拳を振り上げようとしている創さんの姿がそこにあった。