拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
「ええ、そうでございます。住み込みの件を渋っておられた菜々子様には、プライベートも確保し、最新の設備で、セキュリティーも万全だと説明し、ご納得いただけたはずですが」
確かにあの時そう説明はされたものの、そういえば、どんなところかの説明はなかった。
ーー端《はな》から私が勘違いするように仕向けたんじゃないの?
そうだ。絶対そうに違いない。このまま言い負かされては堪《たま》らない、と反撃をしてみたものの。
「でも、どんなところかまでは聞いていませんッ! だから、あんな契約は無効だと思うんですが」
「そう言われましても、そのことに関しましても、このようにちゃんと書類にも記載してありますしねぇ。契約不履行には当たらないと思いますよ。ほら」
助手席の菱沼さんから眼前にすっと差し出されたあの分厚い真っ黒なクリアファイルの書類には、確かに、『桜小路創様の所有する東京都○○区ーー』と、タワーマンションの住所までしっかりと記載されていて。
今度こそ何も返せなくなってしまった私は、テンションだだ下がりで、地下駐から桜小路さんの部屋がある最上階まで専用のエレベーターで移動した。
なんと、最上階どころか、このタワーマンションのまるごと全てが、桜小路家が所有しているというのだから驚きだ。
といっても、桜小路家のご当主のお住まいである本宅は田園調布にあり、ここには桜小路家では、桜小路さんと執事兼秘書である菱沼さんしか住んではいないらしい。
現在、あてがわれた一室にて、私は既に社員寮から運び込まれていた荷物の荷解きを進めながら何度も何度も溜息を零していたのだった。