拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
「ーーでは、スマホをお渡ししておきますので、急用や、何か分からないことがあれば、そちらに連絡くださればいつでも対応いたしますので。それではお部屋をご案内いたしましょう」
「……あぁ、はい」
そんな有様だった私は、菱沼さんの最後の言葉を聞き逃していたようで、渡されたスマホを弄りつつ生返事を返して座ったまま動かずにいた。
どうやらそれが菱沼さんの逆鱗に触れてしまったらしい。
「おいッ、こらッ、藤倉菜々子ッ! さっきからなんだお前はッ! 今すぐクビにでもなりたいのかッ?!」
初見から執事らしく丁寧な敬語口調を貫いていたはずの菱沼さんから、突然、大きな怒号が飛び出してきたもんだから、驚きすぎてソファからすっころびそうになるのをすんでのところで免れた。
「はっ……はいッ!」
けれど突然のことで話の内容なんか聞いちゃいなかった私は、背筋をピシッと伸ばしたものの、返した返事がまずかった。
マスクを外しているせいか、桜小路さんのイケメンフェイスには及ばないがなかなかの細面で、漆黒の髪をタイトに撫でつけたインテリチックな雰囲気漂う菱沼さん。
菱沼さんは正面で仁王立ちして私のことを初見同様に冷ややかな目で見下ろしてきて。
「なるほど、そういうことか。さっきは自分勝手に勘違いしておいて、こっちのせいにしてたかと思えば。今度は、思った条件と違ったもんだから嫌になって、やる気なく振る舞って、あわよくばクビになって、逃げだそうって魂胆か」
何やら感心したように軽く頷くと、あたかも私の心中を見透かしたかのようなことを言ってのけた。
「べっ……べべべ別にそんなことは……」
何を放っても、見るからに図星だってのが、狼狽えまくりな口調からも態度からもダダ漏れだろう。
「お前には、プロのパティシエールとしての矜持ってもんがないのか?」
「……きょ……キョウジ……って、なんですか?」
そしてなによりバカ丸出しだった。