拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
そうならなかったのは、その言葉が本当かどうかを判別できるほど、桜小路さんのことを知らないからだ。
これまでの桜小路さんの態度を何度思い返してみても、今の言葉が本当のことだとはどうしても思えなかった。
ーー今更そんなこと言っても遅い! そんなの信じらんない!
息巻いた私は、目元の濡れタオルを勢いよく手で払いのけ。
「そんなの信じられませんッ!」
躊躇なく、正直な気持ちと強い眼差しを真っ直ぐにぶつけると、どういうわけか、桜小路さんが私の視線から、ふっと気まずげに切れ長の瞳を伏せてしまった。
まるで私の視線から逃げるような素振りを見せた桜小路さんの姿があまりに意外すぎて、私はマジマジと凝視したまま動けずにいたのだが。
「……なら、これから信じてもらえるように努めるしかないな」
依然、瞳を伏せたままの桜小路さんがいつになく殊勝なことを言ってきて、またもや私は唖然とさせられてしまうことになった。
もっともっと言いたいことがあったはずなのに、完全に戦意消失状態に陥ってしまったのだ。
そこへ伏せたままだった顔を上げてきた桜小路さんが私の顔を正面から見据えてきて、打って変わって、今度は無愛想で不遜ないつもの調子で、
「だが、これだけは信じてくれ。お前の作るスイーツは絶品だった。特に、シフォンケーキ。また食べたいと思った。それに、何をしでかすか分からないお前を見ていると、飽きないし、つい、構いたくなる」
最初こそ褒めていたものの、中盤になると、犬や猫にでも向けるような感情を吐露してきて、パティシエールとして喜び勇んでいた私の心を萎ませたのだった。
すっかりブスくれてしまっている私の顔に濡れタオルを被せてきた桜小路さんは、
「まぁ、そういうことだ。よろしく頼む」
話を完結させると、もう用は済んだとばかりに、ベッドに横になって私に背を向けてしまった。
なんだか臭いものに蓋でもされた心地だ。
……『そういうことだ』って、どういうこと?
すっかりぬるくなってしまったタオルで目元を押さえつつ、ブスくれたままの私が心の中でグチグチと零していると。
「そこに冷蔵庫がある。ちゃんと目を冷やしてから寝ろよ」
桜小路さんは背中越しにそれだけ言うと、私の返事を待つことなく、さっさと羽毛布団を被って寝る体勢へと移行してしまった。
そうして五分としないうちに穏やかな寝息を立て始めたのだった。
今まで無愛想だとは思っていたけど、マイペースというかなんというか……
でも、濡れタオルを用意してくれていたところをみると、落ち込んでしまっていた私のことをなんとか宥めようとしてくれたのは確かだと思う。
自分でそうしむけたてまえ、罪悪感を抱いただけなのかもしれないが。
まだ桜小路さんのことをよく知らないから断言はできないけど、やっぱりただ不器用なだけで、悪い人ではないのかも。
それにいくら反対勢力を抑えるためとはいえ、偽装結婚まで考えるなんて、もしかしたらかなり追い詰められているのかもしれないし。
こんな風に思えたのは、ずっと傍で優しく見守ってくれていた愛梨さんの存在があったからだろう。
なんにせよ、私の中で無愛想で傲慢ないけ好かない御曹司と認識されつつあったのが、無愛想で不器用な御曹司へと格上げされた瞬間だった。