拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
ホッとした私が、ふうと大息をついて胸を撫で下ろしたとき。
「……反応を見る分には面白いが、昨夜みたいにちょっと抱き上げたくらいで真っ赤になっているようでは、偽装結婚なんて装えないだろうからなぁ」
隣に仰向けになって寝転んだ桜小路さんから独り言ちるような呟き声が聞こえてきた。
ーーもしかしたら、私との偽装結婚は無理だと判断して、諦めてくれるかも。
内心こっそりと希望の光を見いだしていたのだが。
「やっぱり今夜から一ヶ月かけて、手取り足取りじっくり慣らしていくしかないか」
勘案しているのが無意識に声になってしまっているのか、それともわざと声に出しているかは不明だが、桜小路さんから予想に反した、聞き捨てならない言葉が返ってきた。
たちまち全身からサーッと血の気が引いていくのを感じた。
そんな私の頭にはさっきの光景が鮮明に蘇ってくる。
同時に、私の身体には戦慄が駆け巡った。
ーーさっきみたいな状況がこれから一ヶ月も続くなんて、冗談じゃない! そんなことされたら心臓がもたない!
私は大慌てで、隣の桜小路さんに正面から向かい合った。
「そんなの無理ですッ! キスどころか、男の人と交際したこともないのに、慣れるなんて無理です。私にはそういう免疫が全くないんですから、諦めてくださいッ」
勢い任せに放った私の言葉に、桜小路さんは僅かに驚いた表情を覗かせた。
おそらく、まさかキスの経験さえないとは思いもよらなかったのだろう。
ーーこれはいい方に転ぶのでは? しめしめ。
なんて思っているところに、フンと不敵な笑みを零した桜小路さんから、
「そんなことで俺が諦めるとでも思ったのか?」
至極呆れ果てたというような声が聞こえてきた。
そして最後に、「残念だったな」という台詞が付け加えられた。