拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
魅惑のフォンダンショコラ
数あるチョコレートケーキの中でも難易度の高いものとされている『フォンダン・オ・ショコラ』。
一般には『フォンダンショコラ』という名称のほうが馴染みがあるかもしれない。
発祥はフランスの、『クーラン・オ・ショコラ』というお菓子が原型であるとされていて、フォンダンショコラの『フォンダン』には、フランス語で『溶ける』という意味がある。
『溶けるチョコレート』
まんまのネーミングだが、フォンダンショコラには大別するとふたつの種類があって、ひとつは、生地を外側だけ焼いて中を半生に仕上げるもの。
もうひとつは、生地の中にチョコレートソースを入れて焼くものとが存在する。
近頃では、チョコレートソースの代わりに板チョコなどを入れて、家庭でも手軽に作ることのできる簡単レシピもあるようだ。
けれど舌の肥えた桜小路さんのお眼鏡にかなうモノを作るとなると、手軽さは必要ない。
かといって、半生にして、生焼けの失敗作のように捉えられるのも嫌だし。最近暖かくなってきたため食中毒にならないとも限らない。
となると、やっぱりここは、生地の中に予め冷やし固めておいたチョコレートソースを入れて焼き上げたほうが無難だろう。
……という具合に、静寂に包まれた広くて立派なシステムキッチンで私はひとり脳内会議を繰り広げていた。
ここまでくれば察しが付くだろうが、菱沼さんと一緒に出勤していく桜小路さんを送り出していたときに、『フォンダンショコラを作っておいてくれ』そう命じられたからだ。
脳内会議を終え、さっそく作業に取り掛かろうと、黒いコックコート姿の私は材料を取り出すために収納棚と対峙しつつ、今朝の寝室で繰り広げられた桜小路さんとのやりとりを思い返していた。
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あの後、桜小路さんはまるで何もなかったかのように、腹立たしいくらい平然としていた。
もうすっかりお馴染みとなってしまった、ちょこんと寝癖の付いたブラウンのショートマッシュ。
その柔らかそうな髪をツンツン弄りながら桜小路さんが寝室から気怠げに出て行った後、私はベッドの上で暫く動けずにいた。
起き抜けから、立て続けにあり得ない羞恥をお見舞いされてしまったお陰で、エネルギーを消耗し、放心状態に陥っていたからだ。
でもそれだけじゃない。まだ続きがあったのだ。