拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
夜も更け、タワーマンションの最上階に位置するこの部屋から一望できる煌びやかな都会の夜景は、それはもう絶景だった。
それだけ聞くと、世の女性たちはこぞって、やれロマンチックだとか、ドラマチックなシチュエーションだとか言って頬を染め、黄色い声ではしゃぎまくるんだろう。
けれどあいにく今の私には、そんなことを思うような余裕も、ましてや夜景を楽しむような余裕なんてものも一切なかった。
何故なら私は、そのオシャレな空間で、人生最大のピンチに見舞われていたからだ。
それは桜小路さんが帰宅して暫くしてのこと。
前もって、口溶けのいいクーベルチュールチョコレートを使用し作ってあったチョコレートソース。
冷凍庫から取り出したそれを生地の中に仕込んで、焼き上がったばかりのフォンダンショコラを桜小路さんにお出ししたところ、事は起こった。
ダイニングのソファに座っている桜小路さんが自分の太腿を手でポンポンと軽く叩きつつ、さも当然のことのように驚きの発言を繰り出してきたのだ。
「ここに座って、お前が食べさせてくれ」
「……ええッ!? 私が桜小路さんに食べさせるんですか? しかも足の上で!?」
驚いた私が桜小路さんのことを二度見して、聞き返すのも無理はないだろう。
「あぁ、そうだ。聞こえたなら何度も言わせるな」
「ど、どうしてそんなことしなくちゃいけないんですか?」
「お前に免疫を付けるために決まってるだろう? 分かりきったことを聞くな」
「……で、でも。何も足の上でなくてもいいんじゃ」
「少なくともこの一月で、俺とお前が恋仲であるというのを周囲の者、特に継母に印象づけておかなければならないんだ。ゴチャゴチャ言ってないでさっさとやれ」
けれども私がどんなに反論を試みようとも、頑なな態度を崩す気配のない桜小路さんがやめてくれるはずもなく、結局はお言葉通りに従う他に道はないのだけれど。
いざ、桜小路さんの前に進み出ると、羞恥のせいで、真っ赤に染め上がった全身を竦ませて立ち尽くすことしかできないのだった。
そんな私に向けて、意外にも優しい笑みをふっと零した桜小路さんから、これまた思いの外優しい声音が聞こえてきて。
「そんなに怯えるな。取って食ったりしないから安心しろ」
その声に、羞恥と怖さでいつしか閉ざしていた瞼を上げると、声音同様の柔和な微笑みを浮かべた桜小路さんのイケメンフェイスが待っていた。