拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
同時に、今朝、鼻血を出してしまった私のことを慌てて抱き起こしてくれた時の、桜小路さんのやけに心配そうだった顔までが鮮明に蘇ってくる。
あのとき、直前までケラケラ可笑しそうに揶揄われていたものだから、私はてっきりまた何かされるんだろうと思い込んでいた。
否、それ以前にあまりの羞恥に身悶えていたんだから、もう一杯いっぱいだった。
それなのに……。
いきなり背後から抱き起こされて桜小路さんとの距離がぐっと縮まってしまい、私は益々焦ってしまったのだ。
だから起きるのを阻止されたとき同様、桜小路さんの腕の中で手足をばたつかせて脱出を試みた。その結果。
「こら、動くなッ!」
途端に怖い顔になって、ぴしゃりと言い放った桜小路さんのその声に、私は思わずビクッと肩を震わせた。
でもあれは、怖いと言うよりは、条件反射だったように思う。
おそらく桜小路さんは、私が怖がっているとでも思ったのだろう。
すぐに私の耳元で、なにやらバツ悪そうに、怒って悪かった、と詫びてから、今度は思いの外優しい声音で、
「鼻血を止めるだけだからそんなに怯えるな」
諭すようにそう言われ、宥めるように頭を大きな掌でポンポンとされてしまい、私の胸は不覚にもトクンと高鳴ってしまうのだった。
おそらくこの至近距離のせいで、極度の緊張状態だったところに、意表を突かれて心臓が誤作動でも起こしてしまったんだろう。……まぁ、それは今関係ないとして。
それを皮切りに、私の心臓は忙しなく鼓動を打ち鳴らし始めて、やかましくて仕方なかったのは事実だ。
そんな私の内情など露も知らないんだろう桜小路さんは、憎たらしいくらいに落ち着き払っていた。
それがどうにも悔しくてならなかった。
ーー他人《ひと》の気も知らないで、いい気なもんだ。
そう思ったのは今もハッキリと覚えている。
なのに、桜小路さんときたら、なんだか得意そうに、
「こういうときは身体を起こして、ここを暫く指で押さえているとおさまるんだ」
そう言ってくるなり、慣れた手つきで、私の鼻を摘まむようにグッと押さえると、そのまま鼻血が止まるまでずっとそうしてくれていた。
なんでも小さい頃、桜小路さんはよく鼻血を出していたらしく、そのときには、お母様によくこうしてもらっていたのだという。
どうしてそんなことを私が知っているかというと、それは私の鼻血が止まるまでの間、桜小路さんが話して聞かせてくれたからだ。
そのことを話してくれていた桜小路さんの声は、今までで一番優しくてとても穏やかなものだった。