拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。
二年前、製菓専門学校を卒業し、憧れだったパティシエールとしてホテルで働き始めたはいいが、時代錯誤も甚だしい年功序列の男社会で、体力的にも精神的にも、想像以上に厳しい世界だった。
何度やめたいと思ったか分からない。
そんな時、七つ年上の牧本先輩が陰でいつも励ましてくれていた。
お陰で、入社して一年くらいまで他の先輩たちから『半人前』と揶揄されていたのが嘘だったかのように、今では色々任せてもらえるようになって、お客様の前でのクレープ・シュゼットなどの演出として、フランベやキャラメリゼなどのサービスを提供できるまでになれたのだ。
ーー今の自分があるのは牧本先輩のお陰だ。後悔なんてする訳がない。
先輩親子同様に母子家庭で育ったからなおさらだ。
これくらいのことで怯んでなどいられない。
何かを言われる前に追い払ってやろうと、渾身の一撃のごとく、これ以上にないくらい大きな声を放つのだった。
「いっ……今、『バカ女』って言いましたよね? 初対面のしかも怪我人に向かって、そんな失礼なことをいうような人が経営する会社でなんて、働きたくありませんッ! どうぞお帰りくださいッ!」
ところが……。
私の渾身の一撃に対して、笑止千万、片腹痛いわ、とでも言いたげに、ふたりが顔を見合わせると同時に、桜小路さんがフンと鼻を鳴らす素振りをしてすぐ。
またまた予想だにしなかったモノが、桜小路さんの目配せにより指示された菱沼さんから返ってきた。
「そうですか。藤倉菜々子様がそこまでおっしゃるのなら、私どもはこれ以上何も申しません。ですが、これからは色々と大変でございましょう?
新型ウイルスによるこの不景気で、天下の『帝都ホテル』までもが桜小路グループに泣きついてくるくらいです。伯母様の経営されている『パティスリー藤倉』も、ずいぶんと大変なようですしねぇ」
しかも、何やら含みを持たせたような言い草だ。