拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。

 代わりに思いの外大きな声を放ってしまっていて。

「それってどういう意味ですか?」
「大きな声を出すな!」

 すぐに鬼のような形相で睨みつけてきた菱沼さんによって、ぴしゃりと言い放たれてしまうのだった。

「……あっ、すみません」

 そこで漸く、桜小路さんに聞かれては不味いことなんだと察した私はぺこりと頭を下げてみれば。

「いや、おそらく創様は気まずくてすぐには戻ってこないだろうから気にするな」

 意外にもさほど気にした風ではないようだった。

ーーそれならあんなに怒ることなかったんじゃないか。

……とは思ったが、そこはぐっと堪えることにしようとしていたところに、菱沼さんの盛大な溜息が聞こえてきて。間髪開けずに。

「灯台もと暗しとは言うが、鈍感にもほどがあるな」

 今度は、ほとほと呆れ果てたっていうのを体現するような呟きが投下された。

 その直後に、やってられん。とかなんとかボソボソ零していたような気もするが、よくは聞こえなかったから定かじゃない。

 なにがなにやら訳が分からないものだから、私の頭の中にはたくさんの疑問符が飛び交っている。

 そんな中、菱沼さんが気を取り直すようにして、放ったのがこの言葉だった。

「とにかくだ。創様はお前のパティシエールとしての腕と、人に騙されやすいくらいお人好しなお前のことを信頼しているようだ。くれぐれもその信頼を裏切るようなことはしないでくれ」

 どうやらさっきの言葉の意味を説明してくれる気はなさそうだ。

 もうすっかり桜小路さんの執事件秘書の仮面を被ってしまった菱沼さんは、なにやらちょっと悪巧みでもしているような黒い笑みを口元に湛えて。

「まぁ、ここは取り敢えず、仲直りのためにも、創様が選んでくださった服でも着て、一緒にそれでも食べてみることだなぁ」

 妙案でも提案するように得意げにそう言うと、「後は頼む」と言い残し、さっさと自分の部屋へと帰ってしまった。


 そうして菱沼さんと入れ替わるようにして、ラフな格好に着替えた桜小路さんがリビングダイニングに現れたのだが……。

「菱沼は帰ったのか?」
「……あぁ、はい。今さっき。何かご用でも」
「いや、別に」

 一言二言言葉を交わしたきり口を真一文字に閉ざしてしまい、ソファに腰を下ろした桜小路さんは、仕事用のタブレットに集中してしまうのだった。

 途端に重苦しい沈黙が辺り一帯を包み込んで、広い空間には非常に気まずい雰囲気が漂っている。
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