花が咲いたら恋に落ち、花が落ちたら愛が咲く
 「本当に怒らないでくださいね」


 念を押すように、もう一度。大人の「絶対に怒らないから」はたいてい嘘だということを経験上知っている。


 「あぁ。もちろん怒らない。最後の最後くらい腹割って話そうや」


 白い歯が覗く。まぶしいくらいに白くて、最後になんの歯磨き粉を使っているのか訊きたくなってしまった。

 少し時間をもらって、静寂の中、何を話すか考える。

 1から話しているヒマはない。そんなことをしていたら日が暮れてしまう。


 「隠してたんじゃないんです。先生じゃなにもできないから、言わなかったんです」

 「ほぉ。続きを聞こうか」


 約束通り、先生は怒らなかった。

 時間をもらって考えておいてなんという話の始め方だと自分で思ったけれど、仕方ない、これが俺だ。先生が今まで知らなかった、宗谷葵だ。


 「俺は祖母に嫌われてます。家族全員が俺と関わることを祖母から禁じられてるんです」


 俺の家が華道の名家だということは、先生も知っている。祖母が有名な華道家だということも、実際に作品を見たことはなくても事実として知っているらしい。勉強熱心な先生だと思った。


 「俺が家族と話すと、祖母がヒステリーを起こすようになったんですよ。ついこの間、ちょっと祖母に言いすぎちゃいまして。それからです、養子の話が出たのは」


 先生は何も言わない。


 「家を離れて、祖母の目の届かないところに行けって。そしたらもっと楽な生活ができるから、って。祖母は俺を追い出したかっただけなのかもしれないけど、よく考えると俺の方にも大きなメリットがあるって思ったんです」

 「だからって誰にも言わずに出ていくつもりだったのか。やけになるのも大概に……」

 「違うんです。別にみんなのことが嫌いだとか、先生が頼りないとか、ヤケになってるとかじゃなくて。ただ本当に、これを告げてもどうしようもなかったんですよ」


 同情してほしいわけでも、悲しんでほしいわけでも、友情パワーで何とかしてほしいわけでもなかったし、そんなことでどうにかなるものでもなかった。


 「どうにもならないことを伝えるのって、最高に不毛だと思うんですよね。相手のことを悩ませるだけで、でも悩んでもらったって答えは出てこない。彼らの貴重な時間を、奪いたくなかった」


 この話がなくなるなんて奇跡おきないから、せめて穏やかな時間を過ごしたかったんです。

 すべてを吐き出して視線を上げると、先生が無言でこちらを見ていた。
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