ブアメードの血
14
神木美香は狼狽えていた。
刑事たちの言葉に思い直して、近くの総合病院に行くことに。
母親も傷口を見てひどいショックを受け、付き添うことになった。
親子二人が身支度している間に、沖はスマートフォンで一課に経緯を伝え終えると、捜査用車両の運転席に乗り込む。
「でも、夜久さんも意外と優しいんすね、病院まで送るなんて」
「バカ言え、病院に行けば、血圧図るだ、点滴打つだで、自然と袖捲くって上げるだろうが」
先に助手席に乗っていた夜久が本意を言った。
「あっ、そういうことか、抜け目ないなあ」
「病院に着いたら、先に医者か看護婦に言っておけ、"跡"がないかよく見とくように、な」
夜久は沖の背中をポンッと叩く。
「わかりました。ただ、看護婦じゃなくて看護士ですよ、今は。
それと、俺は注射じゃなくて吸引の方だと思いますけど、一応ね」
「生意気言うな」
そんな会話を終えた刑事たちの車の後部座席へ、美香が母親に続いて乗り込んで来た。
美香は思ってもみなかった傷の状態に動揺を抑えられず、呼吸は荒く、顔面が蒼白になっている。
さらに、頭が重く、また鼻血が出て、ティッシュを鼻に詰めている状態だ。
<なんでこんなことになったんだろう。
和花が死んで、お葬式に行って、その友達という女に怖い思いをさせられて、こんな傷を負わされて、このいけ好かない刑事にその傷口を指摘されて…>
美香は俯き、タオルを巻いた傷口を右手で塞ぐように押さえながら、自分の不遇を恨んだ。
「やはり、かなり"重傷"のようだ。急いで差し上げろ」
助手席の夜久は背後の美香の様子を身を乗り出すように振り向いて確認し、沖に指示した。
「はい」
沖は少しスピードを上げた。
「しかし、そんなになるまで放って置くなんて、有りえないねえ。
痛くなかったの?お母さんもよく診てあげないと」
夜久が嫌味っぽく言った。
「すみません、ちょっと引っ掻かれただけと言ってたもので。
こんなことになってるなんて、思いもせずに…
今日だって、学校を休んだのは事件がショックで気が優れないようだっただけで…
ねえ、美香もこんなことなら、早く言ってくれればいいのに」
「知らないわよ!私だって、こんなになってるなんて思わなかったし!
ちょっと黙っててよ!」
母親への反論に、自分でも驚くほどの大きな声を出し、美香は戸惑った。
誰も心情をわかってくれないことに苛立ってはいるのは自分でもわかっている。
が、それにしても何かいつもと違い、感情をコントロールできない。
「ふん」
と、夜久は不満を露わにし、母親は
「そんな大きな声出さなくても…」
と、娘を諌めた。
「まあ、美香さんも本当に気付いてなかったようですし、こうして病院に行ってくれるんですから」
沖が運転しながらも、三人をなだめた。
「ところで、美香さんは、犯人の少女を知ってましたか?
見覚えがあるかどうかだけでも、教えていただけたら…
夜久警部、訊きたかったことの続きはこれですよね、後はお願いします」
と気を利かせて、美香と夜久に話をさせようとする。
「彼女は、あの場で初めて見ました。
同い年くらいに見えたから、和花の友達だろうとは思ってましたけど、実際にそうだと知ったのは確かテレビのニュースを見てからです」
沖の配慮に、美香は気を取り直して答えた。
「ニュースでそんなこと言ってたかな。
テレビではどれも、単に少女、としか報道していなかったと思うが…
新聞には書いてあったかもしれませんがね。
それは、何時のどこのテレビ局です?」
夜久がまたさらに嫌味を増して、重箱の隅をつつくような質問をした。
「ニュースで見たか、新聞で見たかなんて、そんなこといちいち覚えてません!
ネットで見たかもしれないし!なんなんですか!」
美香はまた大声を出した。
感情が昂り、止められない。
「よく言われるセリフだが、"疑うことが我々の仕事"なんでね、すみませんね」
夜久は言葉とは裏腹な態度で言った。
「何を疑うんです!犯人はあの女で間違いないじゃないですか!」
「まあまあ、そう噛み付かんでも。あなたはさっきから何を怒ってるんです?」
「噛み付いてなんか!ない…」
<噛み付く?>
美香は、その言葉が自分の腑に、すとん、と落ちる思いがした。
<そう、そうよ、私はさっきから噛み付きたかったんだ、この男に。
あの恐ろしい女がしたように、噛みたい、噛み付きたい、噛み殺したい!>
美香は、夜久の言葉で、自分の欲求を見出した。
原始的な欲求、怒りと噛み付き、それがしたかったんだと。
かちかちかちっ
口元が震えるように、上下の歯を鳴らす。
「…怒っているということは何かやましいことがある。そんな風に考えられなくも…」
その夜久の言葉がきっかけだった。
「きいぃぃ!」
美香は奇声を発して、夜久に襲いかかった。
運転席と助手席の間から体を勢いよく突っ込む。
沖は左肩に美香の右肘をぶつけられ、ハンドルを取られる。
「ちょっと!美香!」
「美香さん!」
母親と沖が同時に叫んだ。
「ぐわー!なんて力だ!」
夜久は美香を取り押さえようと、もがく。
中腰の美香は、押されて体ごと沖の方へ倒される。
沖は急ブレーキをかけるも、車はコントロールを失い、反対車線へと飛び出す。
こんな時に限って、対抗車は大型のダンプカーだった。
刑事たちの言葉に思い直して、近くの総合病院に行くことに。
母親も傷口を見てひどいショックを受け、付き添うことになった。
親子二人が身支度している間に、沖はスマートフォンで一課に経緯を伝え終えると、捜査用車両の運転席に乗り込む。
「でも、夜久さんも意外と優しいんすね、病院まで送るなんて」
「バカ言え、病院に行けば、血圧図るだ、点滴打つだで、自然と袖捲くって上げるだろうが」
先に助手席に乗っていた夜久が本意を言った。
「あっ、そういうことか、抜け目ないなあ」
「病院に着いたら、先に医者か看護婦に言っておけ、"跡"がないかよく見とくように、な」
夜久は沖の背中をポンッと叩く。
「わかりました。ただ、看護婦じゃなくて看護士ですよ、今は。
それと、俺は注射じゃなくて吸引の方だと思いますけど、一応ね」
「生意気言うな」
そんな会話を終えた刑事たちの車の後部座席へ、美香が母親に続いて乗り込んで来た。
美香は思ってもみなかった傷の状態に動揺を抑えられず、呼吸は荒く、顔面が蒼白になっている。
さらに、頭が重く、また鼻血が出て、ティッシュを鼻に詰めている状態だ。
<なんでこんなことになったんだろう。
和花が死んで、お葬式に行って、その友達という女に怖い思いをさせられて、こんな傷を負わされて、このいけ好かない刑事にその傷口を指摘されて…>
美香は俯き、タオルを巻いた傷口を右手で塞ぐように押さえながら、自分の不遇を恨んだ。
「やはり、かなり"重傷"のようだ。急いで差し上げろ」
助手席の夜久は背後の美香の様子を身を乗り出すように振り向いて確認し、沖に指示した。
「はい」
沖は少しスピードを上げた。
「しかし、そんなになるまで放って置くなんて、有りえないねえ。
痛くなかったの?お母さんもよく診てあげないと」
夜久が嫌味っぽく言った。
「すみません、ちょっと引っ掻かれただけと言ってたもので。
こんなことになってるなんて、思いもせずに…
今日だって、学校を休んだのは事件がショックで気が優れないようだっただけで…
ねえ、美香もこんなことなら、早く言ってくれればいいのに」
「知らないわよ!私だって、こんなになってるなんて思わなかったし!
ちょっと黙っててよ!」
母親への反論に、自分でも驚くほどの大きな声を出し、美香は戸惑った。
誰も心情をわかってくれないことに苛立ってはいるのは自分でもわかっている。
が、それにしても何かいつもと違い、感情をコントロールできない。
「ふん」
と、夜久は不満を露わにし、母親は
「そんな大きな声出さなくても…」
と、娘を諌めた。
「まあ、美香さんも本当に気付いてなかったようですし、こうして病院に行ってくれるんですから」
沖が運転しながらも、三人をなだめた。
「ところで、美香さんは、犯人の少女を知ってましたか?
見覚えがあるかどうかだけでも、教えていただけたら…
夜久警部、訊きたかったことの続きはこれですよね、後はお願いします」
と気を利かせて、美香と夜久に話をさせようとする。
「彼女は、あの場で初めて見ました。
同い年くらいに見えたから、和花の友達だろうとは思ってましたけど、実際にそうだと知ったのは確かテレビのニュースを見てからです」
沖の配慮に、美香は気を取り直して答えた。
「ニュースでそんなこと言ってたかな。
テレビではどれも、単に少女、としか報道していなかったと思うが…
新聞には書いてあったかもしれませんがね。
それは、何時のどこのテレビ局です?」
夜久がまたさらに嫌味を増して、重箱の隅をつつくような質問をした。
「ニュースで見たか、新聞で見たかなんて、そんなこといちいち覚えてません!
ネットで見たかもしれないし!なんなんですか!」
美香はまた大声を出した。
感情が昂り、止められない。
「よく言われるセリフだが、"疑うことが我々の仕事"なんでね、すみませんね」
夜久は言葉とは裏腹な態度で言った。
「何を疑うんです!犯人はあの女で間違いないじゃないですか!」
「まあまあ、そう噛み付かんでも。あなたはさっきから何を怒ってるんです?」
「噛み付いてなんか!ない…」
<噛み付く?>
美香は、その言葉が自分の腑に、すとん、と落ちる思いがした。
<そう、そうよ、私はさっきから噛み付きたかったんだ、この男に。
あの恐ろしい女がしたように、噛みたい、噛み付きたい、噛み殺したい!>
美香は、夜久の言葉で、自分の欲求を見出した。
原始的な欲求、怒りと噛み付き、それがしたかったんだと。
かちかちかちっ
口元が震えるように、上下の歯を鳴らす。
「…怒っているということは何かやましいことがある。そんな風に考えられなくも…」
その夜久の言葉がきっかけだった。
「きいぃぃ!」
美香は奇声を発して、夜久に襲いかかった。
運転席と助手席の間から体を勢いよく突っ込む。
沖は左肩に美香の右肘をぶつけられ、ハンドルを取られる。
「ちょっと!美香!」
「美香さん!」
母親と沖が同時に叫んだ。
「ぐわー!なんて力だ!」
夜久は美香を取り押さえようと、もがく。
中腰の美香は、押されて体ごと沖の方へ倒される。
沖は急ブレーキをかけるも、車はコントロールを失い、反対車線へと飛び出す。
こんな時に限って、対抗車は大型のダンプカーだった。