ブアメードの血

25

 池田敬は驚いていた。

「池田さん、あの、犯人がわかりました…」

そう言った静の第一声に。

ただ、犯人がわかったというのに、さっきまでとは打って変わり、随分落ち込んだ声だった。

「えっ…本当ですか!?」

事務所に戻ったあと、中津と一緒に、とある調べ物をしていた池田は、あっさり犯人がわかったことに声を上げ、手を止めたほどだった。

その様子に、中津が池田をじろりと睨んだ。

池田はそれを見て、スピーカフォンに切り替える。

「あの、犯人は、映像に映っていた医者は…岡嵜零、っていう科学者で、両親の知り合いでした」

中津はすぐに操作していたパソコンで、『おかざきれい』を検索、結果画面を池田に見せる。

その間にも静がゆっくりと絞り出すように話し始めた内容は、池田の想像を越えるものだった。


 「その…零って人は昔、両親と一緒に帝都大学の研究室で遺伝子の研究をしていた仲間だったそうです。

彼女はエルバート大学の医学部を卒業して、帰国して…帝都大学に編入して…客員研究員となって…まあ、超エリートですね。

日本では、医学的観点から遺伝子工学を学ぼうとしていたって聞きましたけど、映像の中でも、医者であり科学者でもあるって、あれって、そういうことだったんですね。

それで、この人はその研究室の仲間、岡嵜恒という人と結婚して、人生も研究者としても順風満帆だったらしいんですが…

その後に、『ウィルスの水平伝番を利用した遺伝子の書換え』という論文を発表して、それが原因でおかしくなり始めたって…

というのが、その論文がばかげていると、当時の学会から一笑に付されたそうなんです。

で、彼女は、その論文を証明するために、旦那さんと協力して、デザイナーベイビーって呼ばれる遺伝子を書き換えた赤ちゃんを作ったっていうんです。

それは、今のCRISPR CAS9と呼ばれる遺伝子編集技術にも通じるものと呼べるくらい、当時としては画期的だったらしいんですが…

そしたら、それは評価されずに、今度は遺伝子の操作という行為が倫理を著しく損なったって、学会から総攻撃を受けて、研究室からも追放されたそうです。

その時、旦那さんも当然追放されたそうですが、その後、娘さんと一緒に車で事故死されたらしくって…

彼女はそれを苦に酒に溺れて今のような声になったって…

私の両親は追放の際に、その夫妻のことを結果的に悪く証言したので、それで逆恨みを買って、兄は誘拐されたんだろう、って言っています」

池田は難解な言葉を無理矢理頭に押し込め、何度も相槌を打って、静の話を聞いていた。

「父はこれでもう話すことはないって言うんですが、何か他にも隠してることがあるような気がするんです。

言葉を選んで話してたっていうか。

母はもう、かなりヒステリックになってて、さっきから警察に電話するって喚いているんですが、探偵さんにお願いした経緯を話して、池田さんに相談してからって、なんとか留めてます。

あの、私、どうしたらいいんでしょうか」

「落ち着いてください。気を確かにもって…

それで、警察に言うのは経緯が経緯ですので、お母さんが感情的に説明されては信用されない可能性があります。

ああ、そうだ、警視庁に知り合いがいますので、私の方からちょっと相談してみましょう。

お父さんが何か隠していると言うのは気になりますが、一応、その説明で辻褄は合います。

それに映研の動画はこちらにありますし、これを見せてから説明した方が、話が早い」

「わかりました。母には池田探偵さんから警察に言ってもらうって説得して、わかってもらおうと思います」

「そうしてください。それがいい…

…で、あの、静さん…」

「はい」

「あの、最初はあなたの言うことを信じなくて、すみませんでした」

「なんですか、改まって。しょうがないですよ」

「いや、ただ、実際、仕事だ、お金のためだって、引き受けてからも半信半疑でした。

あ、もちろん、お兄さんを探すことは真面目にやっていましたが…

事務所に帰ってから映研の動画の続きを見たんですが、あれは本当にお兄さんだったんでしょう、とても演技とは思えなかった。

初めから静さんの言われる通りだったんですね。それなのに…」

「いえいえ、正直に言っていただけるだけで十分です。

半信半疑でも無理言って引き受けてくださったのは、池田さんだけでしたから」

「そう言っていただけると、助かります…

では、これから警察に電話しますので」

「はい、お願いします…

あの、池田さん、兄は…兄は無事ですよね?」

「それは…
それはなんとも申し上げられません…ね…

こういった状況ですし…覚悟…覚悟は必要かもしれません…」

「えっ…ああ、そうです、ね……」

静の声が消え入りそうだった。

「また、余計なことを」

耳をそば立てている中津がぼそりと言った。

「あっ、いや、まだ監禁されている可能性もあります、し…

そうだ、お兄さんはその岡嵜って科学者と知り合いで、騙されて映画を作ったのかもしれない。

理由はわかりませんが…」

中津の言葉に池田は慌てて取り繕った。

「え、ああ、そうですね、ごめんなさい。

私は最後まで希望を捨てません」

「そう、そうです。私も最後までがんばりますので、希望を持ちましょう」


 その後、零と恒の氏名の漢字や略歴を改めて訊きとった池田は、電話を切った。

「どうしてあんな言い方…」

「わかってる!もう言うな!」

池田は怒鳴ると、自分の気持ちを静めるように、中津が検索した零の検索結果画面を見つめる。

<静ちゃんに、また辛いことを言ってしまった。

俺の悪い癖だ。

が…この件の犯人はまず、岡嵜零という科学者で間違いないだろう。

一志を監禁して一年以上。

この科学者は、自分の正体がばれ、逮捕されるかもしれない危険を顧みず、こんな犯行動画を映研に送り付けてきた。

しかも、映画にしろと。

そこに、なんの意図があるのだろう…>

池田には皆目、見当がつかない。

愉快犯ならまだしも、エリートの科学者がこのような罪を犯すのには、何か確たる信念を持って行動しているように思える。

そこに薄ら恐ろしさを覚える。

<まあ、今これ以上、考えても仕方ないな…>


 そう考え直して、八塚に相談の電話を入れようとした時、また電話が鳴った。
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