ブアメードの血
50
池田敬は待っていた。
電話相手が出ることを願って。
居ても立っても居られない。
零からの電話のあと、勝はすぐにトレジャーバイオの営業の一人に電話をかけた。
が、混線していて中々繋がらない。
周りに逃げる人々が増え始め、大きな通りは渋滞で動かなくなってきていた。
そんな中、池田は先ほど八塚からあった通知を思い出し、リネを確認する。
<動画を見るな、ってか…もう、遅いよ、十分過ぎるほど見ちゃったし。
これは三人には教えない方がいいな。
返って不安にさせてしまう…>
池田はスマートフォンをすぐにしまった。
「繋がった!今、コールしています」
勝のその言葉に、池田たちも固唾を飲んで相手が出るのを待つ。
「――もしもし」
相手の声が聞こえた。
「よし」
勝は思わず声を上げ、スピーカーフォンに切り替える。
「ああ、高須さんですか、佐藤です、お久しぶりです。
こんな夜分にすみません」
「どうも、お世話になっております、佐藤教授。
ご家族はご無事ですか?
こんな事態になってしまって、本当に…」
高須にそう言われた勝は言葉に詰まる。
「あの、こんな時間にかけてくるということは、もしかして、岡嵜教授、のことで?」
勝の返事を待たず、高須が察するように続けた。
「どうしてそれを」
「どうしてもこうしても、さっきまで警察に彼女のことを訊かれてて、先ほど、やっと解放されたところです。
まだ、私なんかいい方で、任意だと言われながら、強引な聴取が続いてまして、購入した物品や日時だなんだと詳細に訊かれて、未だ帰れない社員もいますから。
こちらも家族が心配で、それどころじゃないと言うのに、警察ってほんとたちが悪い…」
「と言うことは、やはり、彼女もそちらの会社を利用してたのですね」
「ええ、あ、まあ、そうですが…よく考えれば、これは申し上げてはいけなかったかもしれませんね」
高須は急に戸惑い、口調を変えた。
「あの、せっかくお帰りのところ、申し訳ないですが、私にもその岡嵜の情報を教えていただけないでしょうか」
「いや、さすがにそれは佐藤教授の頼みとは言え、勘弁してもらえますか…
つい口が滑ってしまいましたが、名前も出すべきではなかったかもしれません。
申し訳ないですが、犯罪者とは言え、これ以上、顧客情報を漏らす訳にはまいりませんので」
高須は申し訳なさそうに言った。
「そこを何とか、私の息子が彼女に監禁されているんです」
周りの三人もうんうんと頷き、もっと押すように無言で催促する。
「え!?息子さんが…それは、何と言ってよいか、お気の毒に…」
「居ても立っても居られないのは、おわかりいただけるでしょう。
それに岡嵜を犯人と見抜いて警察に伝えたのは私たちなんです。
お願いします!」
勝は立ち止まり、頭を下げた。
「そ、そうなんですか。それはお手柄でしたね。
でも、ここはやはり警察に任された方がよろしいのでは」
<自分たちが逃げている間に警察はもうそこまで…
知らなかった…
確かに、それなら高須さんの言うとおり、あとは警察に任せた方がいいのかもしれない…>
勝はこれ以上どう説得してよいのかわからず、池田の顔を見た。
すると、池田が手を出して電話を替わるように促す。
「お願いします…私もどうしたらよいか…」
「任せてください」
不安そうな勝の肩に池田がそっと手を置き、スマートフォンを受け取って、胸の前辺りに構える。
「あ、電話替わりまして、こんばんは~。
えー、わたくし、警視庁捜査一課の、八塚、と申します」
その言葉に周りの三人は目を見張った。
「え?はあ、どうも…また、警察の方ですか…」
「あのー、お疲れのところ、すみません。
その、そちらに行っている警察の者って、うちの課の者ですかね、良ければ代わっていただけませんか?
電話が混線していて、繋がらないんですよ」
「所長…」
中津が思わず声を上げたが、池田は「しっ」と人差し指を口に当てて遮る。
意図を察した静は目を輝かせ、勝も感心したように笑みを浮かべた。
「――いや、捜査一課の方ではなかったかと…
ああ、確か、外事課だったでしょうか、捜査令状を持ってきた方が、そう言われていたような気がします」
<外事課?公安か…八塚らは何をやっている…>
池田は考えを巡らせる。
「外事課が先でしたか、いや、すみません。
お役所仕事で申し訳ないんですが、外事課は警察庁、捜査一課は警視庁で、違うんですよ。
今、警察もごたごたで、部内での連絡もままならないところですから、まして警察庁との連携はとれておりませんでね。
縦割り行政の弊害でして、いや、申し訳ない。
一課は一課でそちらに今、令状を持って向っておりますが、何せこの渋滞で動きがとれません。
取りあえず、先にこの電話で捜査にご協力いただけませんか?
時間が前後するだけで、話すことは同じです」
「いや、そうはおっしゃっても、それは会社が判断することで、私には何とも…」
「じゃあ、上に掛け合っていただけませんか?事は急を要します」
「いや、上の者はあとは任せたと、逃げるように帰っておりまして、令状がなければいたしかねます…」
「いやいや、じゃあ、高須さんでしたか、ここはあなたの判断でひとつ。
個人情報と言っても、自宅ではない研究施設でしょう。
知らないのですか、個人情報とは、氏名のほかは住所とその電話番号のみ、働いている場所はこれにあたりません」
「え?そうなのですか…」
「警察の言うことですから、間違いありません。
お調べになっても結構ですが、ほら、今、電話を切ると混線しているから、いつまた繋がるとも限りません。
事は一刻を争うのです。
日本の、いや世界の命運があなたにかかってます。
すぐに教えていただければ、あなたは世界を救った英雄ですよ」
「ちょっと、言い過ぎ…」
中津が呆れて言った。
「い、いや、その、個人情報はともかく、会社の内規で禁止されておりまして…どうしたものか、困ったな」
「佐藤さんのご長男…だけでなく、監禁された外国人も含め、多くの人命がかかってるんです。
一秒でも早く捕まえないといけません。
製薬会社って、命を救うのが社会的使命の会社でしょう。
つまらない会社のルールに縛られて、あなたは家族の前で胸を張れますか?」
「そ、それは…」
「それに、これはですね、ある意味、緊急避難、というものにも当たるんですよ。
緊急避難とは、自己または他人の生命、身体、自由、財産を守るために止むを得ず行う行為です。
法的に責任が免除されますし、なーに、そもそも、あなたから、訊いたとは言いません」
「は、はあ」
「ここまできて、逆に教えていただけない方が、どうかしています。
顧客と言っても、もうその相手は犯罪者で、あなたの会社には何の利益にもならない。
私も警察ですから、これ以上ごねられると、どうなるか…おっと、脅すつもりではありませんが…
言う、言わない、はもう、比べるまでもないかと」
「わ、わかりました…」
池田の口撃に、ついに高須は落ちた。
「それで、具体的にはどう…」
「ああ、ありがとうございます!
とりあえず、住所だけで結構ですので、すぐにわかりますか?」
「はあ、私が会社の窓口になったことでありますし、先ほども確認したので覚えております。
ええと、メモはよろしいですか。神奈川県川崎市…」
「池田さん、すごーい」
「こういう時、迷いがないというか、説得はああ見えて上手いんです…」
中津と静が小声で話す。
「――わかりました。
いやいや、捜査協力ありがとうございます!
あなたはヒーローだ!
それでは、今、街中は大変なことになっておりますので、高須さんも十分に注意してご帰宅ください。
どうもー、失礼しますー」
池田は電話を切って、勝に返した。
「な、なんと言いましょうか、さすが、静が見込んだ探偵の方ですね、感服しました。
ありがとうございます」
勝が礼を言った。
「口八丁手八丁はお手の物でして。
あ、あの、嘘はこの際、見逃してやってください。
捜査一課の八塚って刑事は、実在している私の友人でして、さっきリネが来たので、咄嗟に思いついたまで…」
「それにしても、池田さんはやっぱりすごいですね。
岡嵜の居場所、探偵さんの推理どおり、川崎市じゃないですか」
「いえいえ、それほどでも。
ただ、ここから何キロあることやら…」
「はい、およそ二〇キロ弱です」
高須が所番地を言い始めた時、中津はすぐに自分のスマホのマップ機能で、そこまでの距離を割り出していた。
「さすが中津、仕事が早い。
だけど、遠いなあ。歩いたら、五時間はかかる距離だ」
「私は歩きます!」
静が大きな声と歩みの速さを上げた。
「危ない!」
交差点に差し掛かった静の目の前に巨漢が現れた。
明らかにオメガを発症している。
池田の警告は一足遅く、男は静に襲いかかった。
電話相手が出ることを願って。
居ても立っても居られない。
零からの電話のあと、勝はすぐにトレジャーバイオの営業の一人に電話をかけた。
が、混線していて中々繋がらない。
周りに逃げる人々が増え始め、大きな通りは渋滞で動かなくなってきていた。
そんな中、池田は先ほど八塚からあった通知を思い出し、リネを確認する。
<動画を見るな、ってか…もう、遅いよ、十分過ぎるほど見ちゃったし。
これは三人には教えない方がいいな。
返って不安にさせてしまう…>
池田はスマートフォンをすぐにしまった。
「繋がった!今、コールしています」
勝のその言葉に、池田たちも固唾を飲んで相手が出るのを待つ。
「――もしもし」
相手の声が聞こえた。
「よし」
勝は思わず声を上げ、スピーカーフォンに切り替える。
「ああ、高須さんですか、佐藤です、お久しぶりです。
こんな夜分にすみません」
「どうも、お世話になっております、佐藤教授。
ご家族はご無事ですか?
こんな事態になってしまって、本当に…」
高須にそう言われた勝は言葉に詰まる。
「あの、こんな時間にかけてくるということは、もしかして、岡嵜教授、のことで?」
勝の返事を待たず、高須が察するように続けた。
「どうしてそれを」
「どうしてもこうしても、さっきまで警察に彼女のことを訊かれてて、先ほど、やっと解放されたところです。
まだ、私なんかいい方で、任意だと言われながら、強引な聴取が続いてまして、購入した物品や日時だなんだと詳細に訊かれて、未だ帰れない社員もいますから。
こちらも家族が心配で、それどころじゃないと言うのに、警察ってほんとたちが悪い…」
「と言うことは、やはり、彼女もそちらの会社を利用してたのですね」
「ええ、あ、まあ、そうですが…よく考えれば、これは申し上げてはいけなかったかもしれませんね」
高須は急に戸惑い、口調を変えた。
「あの、せっかくお帰りのところ、申し訳ないですが、私にもその岡嵜の情報を教えていただけないでしょうか」
「いや、さすがにそれは佐藤教授の頼みとは言え、勘弁してもらえますか…
つい口が滑ってしまいましたが、名前も出すべきではなかったかもしれません。
申し訳ないですが、犯罪者とは言え、これ以上、顧客情報を漏らす訳にはまいりませんので」
高須は申し訳なさそうに言った。
「そこを何とか、私の息子が彼女に監禁されているんです」
周りの三人もうんうんと頷き、もっと押すように無言で催促する。
「え!?息子さんが…それは、何と言ってよいか、お気の毒に…」
「居ても立っても居られないのは、おわかりいただけるでしょう。
それに岡嵜を犯人と見抜いて警察に伝えたのは私たちなんです。
お願いします!」
勝は立ち止まり、頭を下げた。
「そ、そうなんですか。それはお手柄でしたね。
でも、ここはやはり警察に任された方がよろしいのでは」
<自分たちが逃げている間に警察はもうそこまで…
知らなかった…
確かに、それなら高須さんの言うとおり、あとは警察に任せた方がいいのかもしれない…>
勝はこれ以上どう説得してよいのかわからず、池田の顔を見た。
すると、池田が手を出して電話を替わるように促す。
「お願いします…私もどうしたらよいか…」
「任せてください」
不安そうな勝の肩に池田がそっと手を置き、スマートフォンを受け取って、胸の前辺りに構える。
「あ、電話替わりまして、こんばんは~。
えー、わたくし、警視庁捜査一課の、八塚、と申します」
その言葉に周りの三人は目を見張った。
「え?はあ、どうも…また、警察の方ですか…」
「あのー、お疲れのところ、すみません。
その、そちらに行っている警察の者って、うちの課の者ですかね、良ければ代わっていただけませんか?
電話が混線していて、繋がらないんですよ」
「所長…」
中津が思わず声を上げたが、池田は「しっ」と人差し指を口に当てて遮る。
意図を察した静は目を輝かせ、勝も感心したように笑みを浮かべた。
「――いや、捜査一課の方ではなかったかと…
ああ、確か、外事課だったでしょうか、捜査令状を持ってきた方が、そう言われていたような気がします」
<外事課?公安か…八塚らは何をやっている…>
池田は考えを巡らせる。
「外事課が先でしたか、いや、すみません。
お役所仕事で申し訳ないんですが、外事課は警察庁、捜査一課は警視庁で、違うんですよ。
今、警察もごたごたで、部内での連絡もままならないところですから、まして警察庁との連携はとれておりませんでね。
縦割り行政の弊害でして、いや、申し訳ない。
一課は一課でそちらに今、令状を持って向っておりますが、何せこの渋滞で動きがとれません。
取りあえず、先にこの電話で捜査にご協力いただけませんか?
時間が前後するだけで、話すことは同じです」
「いや、そうはおっしゃっても、それは会社が判断することで、私には何とも…」
「じゃあ、上に掛け合っていただけませんか?事は急を要します」
「いや、上の者はあとは任せたと、逃げるように帰っておりまして、令状がなければいたしかねます…」
「いやいや、じゃあ、高須さんでしたか、ここはあなたの判断でひとつ。
個人情報と言っても、自宅ではない研究施設でしょう。
知らないのですか、個人情報とは、氏名のほかは住所とその電話番号のみ、働いている場所はこれにあたりません」
「え?そうなのですか…」
「警察の言うことですから、間違いありません。
お調べになっても結構ですが、ほら、今、電話を切ると混線しているから、いつまた繋がるとも限りません。
事は一刻を争うのです。
日本の、いや世界の命運があなたにかかってます。
すぐに教えていただければ、あなたは世界を救った英雄ですよ」
「ちょっと、言い過ぎ…」
中津が呆れて言った。
「い、いや、その、個人情報はともかく、会社の内規で禁止されておりまして…どうしたものか、困ったな」
「佐藤さんのご長男…だけでなく、監禁された外国人も含め、多くの人命がかかってるんです。
一秒でも早く捕まえないといけません。
製薬会社って、命を救うのが社会的使命の会社でしょう。
つまらない会社のルールに縛られて、あなたは家族の前で胸を張れますか?」
「そ、それは…」
「それに、これはですね、ある意味、緊急避難、というものにも当たるんですよ。
緊急避難とは、自己または他人の生命、身体、自由、財産を守るために止むを得ず行う行為です。
法的に責任が免除されますし、なーに、そもそも、あなたから、訊いたとは言いません」
「は、はあ」
「ここまできて、逆に教えていただけない方が、どうかしています。
顧客と言っても、もうその相手は犯罪者で、あなたの会社には何の利益にもならない。
私も警察ですから、これ以上ごねられると、どうなるか…おっと、脅すつもりではありませんが…
言う、言わない、はもう、比べるまでもないかと」
「わ、わかりました…」
池田の口撃に、ついに高須は落ちた。
「それで、具体的にはどう…」
「ああ、ありがとうございます!
とりあえず、住所だけで結構ですので、すぐにわかりますか?」
「はあ、私が会社の窓口になったことでありますし、先ほども確認したので覚えております。
ええと、メモはよろしいですか。神奈川県川崎市…」
「池田さん、すごーい」
「こういう時、迷いがないというか、説得はああ見えて上手いんです…」
中津と静が小声で話す。
「――わかりました。
いやいや、捜査協力ありがとうございます!
あなたはヒーローだ!
それでは、今、街中は大変なことになっておりますので、高須さんも十分に注意してご帰宅ください。
どうもー、失礼しますー」
池田は電話を切って、勝に返した。
「な、なんと言いましょうか、さすが、静が見込んだ探偵の方ですね、感服しました。
ありがとうございます」
勝が礼を言った。
「口八丁手八丁はお手の物でして。
あ、あの、嘘はこの際、見逃してやってください。
捜査一課の八塚って刑事は、実在している私の友人でして、さっきリネが来たので、咄嗟に思いついたまで…」
「それにしても、池田さんはやっぱりすごいですね。
岡嵜の居場所、探偵さんの推理どおり、川崎市じゃないですか」
「いえいえ、それほどでも。
ただ、ここから何キロあることやら…」
「はい、およそ二〇キロ弱です」
高須が所番地を言い始めた時、中津はすぐに自分のスマホのマップ機能で、そこまでの距離を割り出していた。
「さすが中津、仕事が早い。
だけど、遠いなあ。歩いたら、五時間はかかる距離だ」
「私は歩きます!」
静が大きな声と歩みの速さを上げた。
「危ない!」
交差点に差し掛かった静の目の前に巨漢が現れた。
明らかにオメガを発症している。
池田の警告は一足遅く、男は静に襲いかかった。