ブアメードの血

56

 有馬マリアは笑っていた。


 矢佐間を殺害した後、タクシーを拾ったマリアは、真っ直ぐに岡嵜邸に最も近い南部線のとある駅へ向った。

そこには月極めの駐輪場を借り、大型バイクを置いていたのだ。

駅に到着間際に道路は混雑し始め、動かなくなったところでタクシーを降り、あとは駆け足で駐輪場へ到着。

「シノビH2」という、フルカウルのバイクに跨り、颯爽と岡嵜邸へと走らせた。


 そして現在、マリアの眼前には田中の銃が突き付けられている。

岡嵜邸直前で、外を見張っていた外事課の田中に見つかり、バイクを止められて。


 田中は銃撃が始まる前、遠くから響くバイクのエンジン音を聞きつけ、山道を少し下って、その音を待ち構えていた。

 「ちょっと待っててー。

今、ヘルメット取るから~」

相変わらずの口調でマリアはバイクから降りる。

懐中電灯の光の輪の中で、ヘルメットを取り、乱れた長い髪を頭を振ってまとめる様子を、田中は見つめる。


<こんな、かわいい少女のような奴が…>


「有馬…マリアだな?」

「そうだよ。あなた、刑事さん?うふ」

マリアはパーカーのポケットに手を突っ込む。

「何を!手を出して、挙げろ!」

田中は引き金に指をかけた。


「あっ、ごめんなさーい。

それ、眩しいからちょっと、サングラスをかけようと思ってー」

マリアは、丸く大きなレンズに薄く色付いた伊達眼鏡をかけると、その流れで両手を挙げた。

知ってか知らずか、眼鏡は田中の好みだった。

そんな魅力を増したマリアに、田中は少し動揺するも、息を大きく吸う。

「細菌兵器及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約等の実施に関する法律違反の疑いで逮捕する」

「うわ~、そんな長ったらしい法律名、よく覚えて噛まずに言えましたねー、えら~い」

「何を…」

田中は、小馬鹿にするようなマリアの言葉に、今度は怒りを感じる。

マリアは両手を挙げたまま、さらに話を続ける。

「ついさっき、同じような格好をしたゾンビ、少し下で見ましたけど、お仲間ですか~?」

顔を少しだけ右に回し、視線で後ろを気にするようジェスチャーを交える。

「な、何を…」

田中はその言動に岡を思い出し、さらに動じるが、それでも銃を向けたまま、近付いた。

「まじめですよね~。

こんなに、もう後戻りできない世界になってきているのに、自分の身の心配もしないで、私を捕まえにくるなんて。

あはは」


 それはマリアの本心だった。

正義、愛、平和…バーチャルリアリティの世界に生きているとも知らず、そんなことに縛られて生きている人間が、余りにも愚かしくみえるのだ。

もっと、自由に、この世の中を楽しめばいいのに、と。

今も、こうして田中を弄んで楽しんでいる、自分のように…。


「ふざけるな!」

マリアの思いを知る由もなく、田中は声を荒げた。

「きっと、今頃、他のお仲間さんたちも、ゾンビの餌食になってますよ~。

ママ、ゾンビにしちゃった外国の皆さんを解き放つって言ってたから、はは」

「黙れ!」

「あの~、どうでもいいですけど、鼻血出てますよ?

何、興奮してるんですか~?」

「はあ!?なんだと…あれ?」

田中はマリアに指摘されて、自分が鼻血を出していることに気付いた。

「それ、もしかして…」

「うるさい!」

田中はさらに動揺するも、マリアのそばに行くと、ポケットに手を突っ込んで、手錠を出した。

マリアは大人しく手を下し、前に差し出す仕草をした、その時だった。

力を発動したマリアは、素早く身を屈めると、力の限りジャンプし、田中の顎を片膝で蹴り上げた。

「ぐう…」

心を揺さぶられ、集中力を欠いた田中。

その一撃で顎を砕かれると、意識を失い、その場に倒れる。

結果的に、一瞬でことは終わった。

「うわ~、あっけないー。

まあ、ボクが強過ぎるのか。

発症の兆候があったんだから、遅かれ早かれ、こういう運命だったんだろうけどね」

マリアは田中から手錠と銃を拾い上げると、

バン!

と躊躇いなく、田中の胸を撃った。

「あれ?もしかして、これって…」

違和感を覚え、しゃがんで田中の上着をめくる。

「やっぱり!防弾チョッキだ!」

そう言って、田中から防弾チョッキを剥ぎ取った。

「前から欲しかったんだ~、これ。

ありがと、刑事さん」

バン!

今度はあっさりと田中の頭を撃って、とどめをさした。


それから、パーカーの下に防弾着を纏うと、手にした手錠を人差し指でくるくると回しながら門に向う。

「うわー、ひどい、ママお気に入りの扉が壊れちゃってるじゃん」

谷津田らに壊されて開き放しの門をマリアは通り抜け、声のする裏庭に回った。

 「お帰りなさい、マリア。

今、片付けたところよ」

マリアに気付いた零が、掃除が終わった母親のように言った。

「ただいまー、ごめん、もう少し早く帰れば良かったね」

「そうね、一人でもなんとかなったけど…それより、さっき、遠くで銃声がしたのは、やはりあなただったのね」

マリアが持った銃と手錠を見て、零が言った。


「お前ら、ええ加減にせえよ…」

何事もなかったかのように話す母娘の会話に割り込んできたのは、谷津田だった。

水川と共に両膝を付いたまま、並ばされている。

腕と脚を撃ち抜かれ、出血多量で顔色がすこぶる悪い。

水川の方はやっと呼吸も落ち着いたものの、ウィルスの入った注射を差されたことを悟って恐怖に震え、違う意味で顔色が悪い。

そして、そのそばには、頭を撃ち抜かれた室が倒れていた。


 「たった今、ここに倒れている刑事に捜査本部に電話をさせて、私たちを捕まえたから、これから戻る、と言わせたの」

零は、谷津田を無視してマリアと話を続ける。

「なるほどね。

でも、電話は混線してるかと思ったけど、よく繋がったね」

「この人たちは、どうも普通の刑事とは違うみたいで、繋がりやすい電話を支給されているみたいね」

「ふーん、さすが」

「そう言えば、あなたに静ちゃんから連絡はないかしら」

「え、そう言えば、まだ、ないけど。

一時間置きに連絡させるってやつだよね」

「ええ、もう街は発症者で溢れているようだし…もし本当になければ、死んだということでしょう。

それはあなたの判断でいいから、一志君をお願い」

「わかった」


その時、零が急にふらついた。

「わ!どうしたの、ママ」

マリアが慌てて駆け寄る。

「ちょっと、私も足を撃たれてしまってね」

「え!?大丈夫!?」

その言葉にマリアは零の銃創に気付くと、両手の物を放り出す。

そして、ポケットからハンカチを出すと、零の撃たれた傷にあてがう。

「私の治療はあとで自分でします。それより、あなたには…」

「わかってる。この二人を追い返すのね」

「そのとおり、と言いたいところだけど、ちょっと違う」

バン!

零が谷津田の頭を撃ち抜くと、

「ひぃ!」

と水川が悲鳴を上げる。

「この刑事は、もう死にかけで足手まといになるだけだから、こうしておくわ。

残った彼女だけお願い。

ウィルスの注射はしておいたから。

それから、この刑事たちは、途中までヘリコプターで来たみたいだから、その場所まで連れて行って…

あとはわかるわね」

「了解!」


 それから、マリアは水川にヘリコプターの待機場所を問い質した。

完全に戦意を喪失していた水川は、命乞いをして、あっさりと口を割った。

マリアは水川に手錠をかけて引っ立てると、ヒアセというワンボックスカーでゴルフ場に向かった。

ゴルフ場の駐車場に着くと、操縦士の一人が発症して彷徨っていた。

ただ、もう一人の操縦士とヘリコプターは無事だった。

マリアはその操縦士を銃で脅し、今一度、岡嵜母娘を確保し帰投する旨を、無線で告げさせた。

そして、その無線を壊すと、水川を連れて帰るよう命じた。

その水川は鼻血を垂らし、発症寸前の状態だった。

マリアは念には念を入れ、飛び立ったヘリコプターを銃で何発も撃った。

 銃撃による故障か、水川の発症が先か、或いはその両方か、ヘリコプターは間もなく山中に墜落した。
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