ブアメードの血
63
池田敬は倒れていた。
中津が放った弾丸によって。
その弾丸が打ち抜いたもの。
それは、まだ生き残っていたロシア人の男だった。
気付かぬ間に、最後の力を振り絞って、池田を襲おうとしていた。
すんでのところで池田は助かったが、足元を撃たれ、声も出せずにもんどりうって倒れたのだ。
「マジで、ビビったぞ。
声くらい、かけてくれ」
「仕方ないでしょう。
そんな余裕はなかったんですから」
「それより、今ので、気付かれたのでは…」
池田と中津は静の言葉に顔を見合わせ、すぐに覚悟を決めた。
掃き出し窓に向かい、半信半疑の思いで二人は銃を構える。
案の定、カーテンが揺れ、掃き出し窓がすーっと開いた。
そこから、昨日、映研の部室に訪れた時と同じように、マリアがひょっこりと顔を出す。
「やっほー。
ようこそ、わが家へ!」
相変わらず、場に似つかわしくないテンションだ。
「有馬さん!」
「お前…やはり捕まってなかったか」
静と池田の呼びかけに、中津はそれが有馬マリアであると理解した。
「お兄ちゃんはどこ?」
静がマリアを睨みつける。
<昨日と尋ねていることは同じだが、シチュエーションが随分違うな>
「特効薬の場所も…な」
池田が銃を下す。
「だから、抗体です…」
同じく銃を下した中津の突っ込みが、いつもの如く続く。
「よく生きてここまで来れたね。
あは、自分で言っておいてなんだけど、ドラマのセリフみたい。
まあ、濡れるから中に入って…
あ、靴は脱いでね」
マリアは相変わらずの口調で、下がって三人を招き入れる。
「お兄ちゃんはどこって言ってるの!」
静がつかつかと掃出し窓から土足のまま中に入り、怒気をはらんだ声を上げた。
「――お兄さんなら、さっき外の雑木林に捨てちゃった。
まだ、その辺りにいるんじゃない?
ただ、服も着せずに放り出しちゃったから、この寒さは堪えるかも」
採血をほとんど終えていたマリアは、腕に残った器具を外しながら言った。
「そんな…」
静は上がりかけていた池田に半ばぶつかりながら外に飛び出した。
「静さん、待って!おい、中津!」
「わかりました」
池田の言葉に、まだ中に入っていなかった中津が静の後を追った。
静と入れ替わって中に入った池田は、銃を持ったままマリアと対峙する。
「で、マリア様よ。
さっきも言ったけど、抗体っていうのがあったら、もらいたいんだけど、どこかな?」
「うわー、やめて、様付けなんかするの、気持ち悪ーい」
「人類絶滅を企てるような君に気持ち悪がられても別にいいよ。
それより、抗体はあるのかないのか、さあ、言えよ!」
池田が声を荒げる。
「抗体は…ないよ。
はっきり言って、本当に」
マリアはそう言いながら、池田をリビングのソファに座るように手招きする。
「嘘を言え!お前らが発症していないのが、何よりの証拠じゃないか!」
池田はマリアの仕草に応じず、立ったままだ。
「ああ、ボクらね。
ボクらは同じオメガでもマイナスってのに感染して発症してるの。
ゾンビになるのはオメガプラス。
探偵さんはボクらの映画見たんでしょ。あの時の叫び声、ボクの。
元々、ボクが保菌者だったんだけど、簡単に言うと途中で変移して、ママとボクは都合良く、ゾンビように強くなる部分だけ発症した形。
で、オメガマイナスに感染してたら、オメガプラスには感染しない。
逆にオメガプラスに先に感染してたら、オメガマイナスに感染しようにもできないの」
マリアはそう言って、奥に進み始める。
「訳のわからんことを…嘘だ…嘘を付くな!」
バンッ!
池田は、銃を天井に向けて撃った。
「科学者ってのは、そういうウィルスを作るんなら、セットで抗体も作るもんなんじゃないのか!
抗体がないとなれば、ゾンビは増殖するばかり、本当にゾンビ映画のような世界になってしまうだろ!」
「嘘を言ってもしょうがないでしょ。
知っての通り、ボクらは人類を滅亡させようとオメガをつくったんだよ。
探偵さんの言う通り、本当にゾンビ映画のような世界にしたいの。
それに反するものを、わざわざつくって置く必要なんて、ないじゃない」
マリアは銃撃に臆することなくソファに腰かけた。
「――ん…だ、たったら、お前たちが、そのマイナスって言うのに感染しているんなら、お前たちに接触した人間も感染してるんじゃないのか」
池田は言い含められ、トーンが落ちてきた。
「だからー、ウィルスの感染力はとても弱いのよ。
動画のパート3でも説明してるでしょ。
プラスの方は一旦、感染力の強い細菌に取り付いてるから、その細菌の力で感染力が上がってるだけ」
「そんな…」
池田は呆然となり、立ち尽くした。
「ただ、ママなら、抗体は意外と簡単にできたかもしれないけどね。
世界のえらい科学者にでも、時間をかければできるかもしれないけど、こんな世界になったら研究どころではないでしょ。
もう、どこの国でもライフラインが停まるのは時間の問題だし」
池田は思わず下を向いた。
<悔しいが、こいつの言う通りだ。
嘘を言っているとは思えない。
だが…>
「岡嵜は…お前の母親はどこだ?」
「え?ママなら地下にいるよ。
核シェルターがあるんだ、ここには」
「そこに連れて行け」
「それより、静ちゃんのパパはどうしたの?
ママから一緒にいるって、聞いてたけど…」
「佐藤教授は…亡くなった…
ゾンビに襲われ、我々を守ろうとして…」
池田は咄嗟に嘘を付いた。
生きていると言えば、また、この二人はまた何を仕出かすかわからない。
「死んだんだ!ついに死んだ、あははははは!
しかも、ゾンビに襲われてって、あはは!
ママ、きっと、喜ぶだろうな」
マリアは喜びを爆発させる。
池田は嘘をかみ殺すように顔を上げると、銃をマリアに向けた。
「じゃあ、それを早く、ママに伝えないとな」
「そうだね、別に構わないから、案内するよ」
「え!?そ、そうか。
だが、妙な真似はするんじゃないぞ。
銃口はいつでもお前に向いているのを忘れるな」
以外にあっさり要求を認めたマリアに池田は戸惑いつつも、警戒は怠らない。
「別に何もしやしないよ。
探偵さんを殺そうと思えばいつでもできるけど、しないだけー」
マリアはまた立ち上がると、地下への階段へ案内しようと奥に進んだ。
<俺を殺せる?どういう意味だ?>
池田は薄ら寒さを覚えた。
まだ二十歳手前とは思えぬ、その度胸。
<何者なんだ、こいつは…
…そう言えば、外の死体…明らかにゾンビにやられたとは思えないものがあった…
もしかして、オメガマイナスって…>
「何をしてるの、付いて来て」
二の足を踏んでいる池田をマリアが促したその時だった。
「――その必要はないわ」
聞き覚えのある掠れた声。
零がマリアの後ろから脚を引き摺り現れた。
「ママ!」
「岡嵜、お前…」
池田は銃を零に向け直した。
<こいつが、零…>
想像とは裏腹な、その美しい容姿に、池田は思わずたじろいだ。
映像で見た零は薄暗闇の中で目元しか見えなかったし、襲われた際も、フードで覆われてほとんど見ることができなかった。
「ママ、どうして来たの?無理しちゃ駄目だよ」
「どうしてって、銃声が聞こえて、心配しない親がいるものですか…
でも、無事で良かった。とても心配だった…」
「あのさ、俺を無視しないでくれるかな?」
池田が銃をちらつかせて、母娘の会話に割り込んだ。
「先ほどはどうも」
そう言う零も銃を持っており、銃口は向けず、池田に示した。
「やめましょうぅ。ニ対一で、お互い銃を持っていますぅ。
あなたに勝ち目がおありとは思えませんがぁ。
といっても、私たちは別にあなたと争うつもりもありませんけど。
もう、銃は下ろしていただけませんかぁ?」
岡嵜は弱々しい声でそう言い、自分の銃を下ろしたが、池田は銃を構えたままだ。
「それより、私に何か訊きたいことがお有りでは?」
「抗体がないと娘から聞いたが、本当か?」
「ええ、本当ですぅ、つくる意味がないのはご理解いただけると思いますがぁ…」
「だったら、今からでも作れないのか?」
「難しい質問を簡単に言いますね。
やってみなければわかりませんが、時間をかければ、或いはつくれるかもしれません。
ただ、薬の開発がどれだけ困難か、この世の中に難病がいくらでもあることを考えればあなたにも…」
「どうでもでいいから、作れ!」
池田が怒声で零の言葉を遮った。
零は、肩を少し竦めた。
「…わかりました。
と言いたいところですが、やはり無理なものは無理です。
仮にできたとしても、その頃には世界は崩壊しているでしょう。
ただ、その代り、ひとつだけ、たったひとつだけですが、別の薬があると言えばありますぅ」
零はもったいぶったように言った。
「うふ、ママのそのセリフもドラマみたい」
「で、それはなんだ?」
悪戯っぽく笑うマリアを無視して、池田が訊いた。
「私とマリアの血ですよぉ。
ある意味、それが使えるかもしれません。
ただし、感染力がとても弱いぃ。
血液感染か性的感染でしか感染りませんがねぇ。
てっとり早く、私たちの血を輸血すれば、結果的にプラスの感染を防ぐことはできるでしょう。
まさに毒をもって毒を制す…
ただし、まだプラスにまだ感染していなければの話ですが…うぅ…
それに…私はもう、長くない…」
零は急にがっくりと膝を付いた。
「ママ!」
マリアが急いで駆け寄った。
池田は銃を構えたまま、どうしていいかわからず、二人を見ているしかなかった。
「ママ、やっぱり安静にしてなきゃ…」
「私はもう駄目ね。わかる…」
「そんなことないよ、ママ」
マリアは零を支えるように寄り添った。
「大丈夫、大丈夫…」
マリアは自分に言い聞かせるように零を立たせる。
「ちょっと探偵さん、今は一時休戦。
ママは大事な血の持ち主、今の話でわかったでしょ」
「大部分の人間はプラスに感染しているなら、ほとんど意味がないじゃないか…
まあ、仕方ない、で、どうすればいい?」
池田は少し躊躇ったが、やっと銃を下ろした。
「ママはボクが持つから着いて来て、案内するよ。
ボクらの秘密基地」
マリアはイタズラな少年のように笑みを浮かべ、零を抱きかかえて奥へ進んだ。
その後を追おうとした池田は、零が持っていた銃が忘れられていることに気付き、それを拾い上げた。
「これは…」
池田の表情が見る間に変わっていった。
中津が放った弾丸によって。
その弾丸が打ち抜いたもの。
それは、まだ生き残っていたロシア人の男だった。
気付かぬ間に、最後の力を振り絞って、池田を襲おうとしていた。
すんでのところで池田は助かったが、足元を撃たれ、声も出せずにもんどりうって倒れたのだ。
「マジで、ビビったぞ。
声くらい、かけてくれ」
「仕方ないでしょう。
そんな余裕はなかったんですから」
「それより、今ので、気付かれたのでは…」
池田と中津は静の言葉に顔を見合わせ、すぐに覚悟を決めた。
掃き出し窓に向かい、半信半疑の思いで二人は銃を構える。
案の定、カーテンが揺れ、掃き出し窓がすーっと開いた。
そこから、昨日、映研の部室に訪れた時と同じように、マリアがひょっこりと顔を出す。
「やっほー。
ようこそ、わが家へ!」
相変わらず、場に似つかわしくないテンションだ。
「有馬さん!」
「お前…やはり捕まってなかったか」
静と池田の呼びかけに、中津はそれが有馬マリアであると理解した。
「お兄ちゃんはどこ?」
静がマリアを睨みつける。
<昨日と尋ねていることは同じだが、シチュエーションが随分違うな>
「特効薬の場所も…な」
池田が銃を下す。
「だから、抗体です…」
同じく銃を下した中津の突っ込みが、いつもの如く続く。
「よく生きてここまで来れたね。
あは、自分で言っておいてなんだけど、ドラマのセリフみたい。
まあ、濡れるから中に入って…
あ、靴は脱いでね」
マリアは相変わらずの口調で、下がって三人を招き入れる。
「お兄ちゃんはどこって言ってるの!」
静がつかつかと掃出し窓から土足のまま中に入り、怒気をはらんだ声を上げた。
「――お兄さんなら、さっき外の雑木林に捨てちゃった。
まだ、その辺りにいるんじゃない?
ただ、服も着せずに放り出しちゃったから、この寒さは堪えるかも」
採血をほとんど終えていたマリアは、腕に残った器具を外しながら言った。
「そんな…」
静は上がりかけていた池田に半ばぶつかりながら外に飛び出した。
「静さん、待って!おい、中津!」
「わかりました」
池田の言葉に、まだ中に入っていなかった中津が静の後を追った。
静と入れ替わって中に入った池田は、銃を持ったままマリアと対峙する。
「で、マリア様よ。
さっきも言ったけど、抗体っていうのがあったら、もらいたいんだけど、どこかな?」
「うわー、やめて、様付けなんかするの、気持ち悪ーい」
「人類絶滅を企てるような君に気持ち悪がられても別にいいよ。
それより、抗体はあるのかないのか、さあ、言えよ!」
池田が声を荒げる。
「抗体は…ないよ。
はっきり言って、本当に」
マリアはそう言いながら、池田をリビングのソファに座るように手招きする。
「嘘を言え!お前らが発症していないのが、何よりの証拠じゃないか!」
池田はマリアの仕草に応じず、立ったままだ。
「ああ、ボクらね。
ボクらは同じオメガでもマイナスってのに感染して発症してるの。
ゾンビになるのはオメガプラス。
探偵さんはボクらの映画見たんでしょ。あの時の叫び声、ボクの。
元々、ボクが保菌者だったんだけど、簡単に言うと途中で変移して、ママとボクは都合良く、ゾンビように強くなる部分だけ発症した形。
で、オメガマイナスに感染してたら、オメガプラスには感染しない。
逆にオメガプラスに先に感染してたら、オメガマイナスに感染しようにもできないの」
マリアはそう言って、奥に進み始める。
「訳のわからんことを…嘘だ…嘘を付くな!」
バンッ!
池田は、銃を天井に向けて撃った。
「科学者ってのは、そういうウィルスを作るんなら、セットで抗体も作るもんなんじゃないのか!
抗体がないとなれば、ゾンビは増殖するばかり、本当にゾンビ映画のような世界になってしまうだろ!」
「嘘を言ってもしょうがないでしょ。
知っての通り、ボクらは人類を滅亡させようとオメガをつくったんだよ。
探偵さんの言う通り、本当にゾンビ映画のような世界にしたいの。
それに反するものを、わざわざつくって置く必要なんて、ないじゃない」
マリアは銃撃に臆することなくソファに腰かけた。
「――ん…だ、たったら、お前たちが、そのマイナスって言うのに感染しているんなら、お前たちに接触した人間も感染してるんじゃないのか」
池田は言い含められ、トーンが落ちてきた。
「だからー、ウィルスの感染力はとても弱いのよ。
動画のパート3でも説明してるでしょ。
プラスの方は一旦、感染力の強い細菌に取り付いてるから、その細菌の力で感染力が上がってるだけ」
「そんな…」
池田は呆然となり、立ち尽くした。
「ただ、ママなら、抗体は意外と簡単にできたかもしれないけどね。
世界のえらい科学者にでも、時間をかければできるかもしれないけど、こんな世界になったら研究どころではないでしょ。
もう、どこの国でもライフラインが停まるのは時間の問題だし」
池田は思わず下を向いた。
<悔しいが、こいつの言う通りだ。
嘘を言っているとは思えない。
だが…>
「岡嵜は…お前の母親はどこだ?」
「え?ママなら地下にいるよ。
核シェルターがあるんだ、ここには」
「そこに連れて行け」
「それより、静ちゃんのパパはどうしたの?
ママから一緒にいるって、聞いてたけど…」
「佐藤教授は…亡くなった…
ゾンビに襲われ、我々を守ろうとして…」
池田は咄嗟に嘘を付いた。
生きていると言えば、また、この二人はまた何を仕出かすかわからない。
「死んだんだ!ついに死んだ、あははははは!
しかも、ゾンビに襲われてって、あはは!
ママ、きっと、喜ぶだろうな」
マリアは喜びを爆発させる。
池田は嘘をかみ殺すように顔を上げると、銃をマリアに向けた。
「じゃあ、それを早く、ママに伝えないとな」
「そうだね、別に構わないから、案内するよ」
「え!?そ、そうか。
だが、妙な真似はするんじゃないぞ。
銃口はいつでもお前に向いているのを忘れるな」
以外にあっさり要求を認めたマリアに池田は戸惑いつつも、警戒は怠らない。
「別に何もしやしないよ。
探偵さんを殺そうと思えばいつでもできるけど、しないだけー」
マリアはまた立ち上がると、地下への階段へ案内しようと奥に進んだ。
<俺を殺せる?どういう意味だ?>
池田は薄ら寒さを覚えた。
まだ二十歳手前とは思えぬ、その度胸。
<何者なんだ、こいつは…
…そう言えば、外の死体…明らかにゾンビにやられたとは思えないものがあった…
もしかして、オメガマイナスって…>
「何をしてるの、付いて来て」
二の足を踏んでいる池田をマリアが促したその時だった。
「――その必要はないわ」
聞き覚えのある掠れた声。
零がマリアの後ろから脚を引き摺り現れた。
「ママ!」
「岡嵜、お前…」
池田は銃を零に向け直した。
<こいつが、零…>
想像とは裏腹な、その美しい容姿に、池田は思わずたじろいだ。
映像で見た零は薄暗闇の中で目元しか見えなかったし、襲われた際も、フードで覆われてほとんど見ることができなかった。
「ママ、どうして来たの?無理しちゃ駄目だよ」
「どうしてって、銃声が聞こえて、心配しない親がいるものですか…
でも、無事で良かった。とても心配だった…」
「あのさ、俺を無視しないでくれるかな?」
池田が銃をちらつかせて、母娘の会話に割り込んだ。
「先ほどはどうも」
そう言う零も銃を持っており、銃口は向けず、池田に示した。
「やめましょうぅ。ニ対一で、お互い銃を持っていますぅ。
あなたに勝ち目がおありとは思えませんがぁ。
といっても、私たちは別にあなたと争うつもりもありませんけど。
もう、銃は下ろしていただけませんかぁ?」
岡嵜は弱々しい声でそう言い、自分の銃を下ろしたが、池田は銃を構えたままだ。
「それより、私に何か訊きたいことがお有りでは?」
「抗体がないと娘から聞いたが、本当か?」
「ええ、本当ですぅ、つくる意味がないのはご理解いただけると思いますがぁ…」
「だったら、今からでも作れないのか?」
「難しい質問を簡単に言いますね。
やってみなければわかりませんが、時間をかければ、或いはつくれるかもしれません。
ただ、薬の開発がどれだけ困難か、この世の中に難病がいくらでもあることを考えればあなたにも…」
「どうでもでいいから、作れ!」
池田が怒声で零の言葉を遮った。
零は、肩を少し竦めた。
「…わかりました。
と言いたいところですが、やはり無理なものは無理です。
仮にできたとしても、その頃には世界は崩壊しているでしょう。
ただ、その代り、ひとつだけ、たったひとつだけですが、別の薬があると言えばありますぅ」
零はもったいぶったように言った。
「うふ、ママのそのセリフもドラマみたい」
「で、それはなんだ?」
悪戯っぽく笑うマリアを無視して、池田が訊いた。
「私とマリアの血ですよぉ。
ある意味、それが使えるかもしれません。
ただし、感染力がとても弱いぃ。
血液感染か性的感染でしか感染りませんがねぇ。
てっとり早く、私たちの血を輸血すれば、結果的にプラスの感染を防ぐことはできるでしょう。
まさに毒をもって毒を制す…
ただし、まだプラスにまだ感染していなければの話ですが…うぅ…
それに…私はもう、長くない…」
零は急にがっくりと膝を付いた。
「ママ!」
マリアが急いで駆け寄った。
池田は銃を構えたまま、どうしていいかわからず、二人を見ているしかなかった。
「ママ、やっぱり安静にしてなきゃ…」
「私はもう駄目ね。わかる…」
「そんなことないよ、ママ」
マリアは零を支えるように寄り添った。
「大丈夫、大丈夫…」
マリアは自分に言い聞かせるように零を立たせる。
「ちょっと探偵さん、今は一時休戦。
ママは大事な血の持ち主、今の話でわかったでしょ」
「大部分の人間はプラスに感染しているなら、ほとんど意味がないじゃないか…
まあ、仕方ない、で、どうすればいい?」
池田は少し躊躇ったが、やっと銃を下ろした。
「ママはボクが持つから着いて来て、案内するよ。
ボクらの秘密基地」
マリアはイタズラな少年のように笑みを浮かべ、零を抱きかかえて奥へ進んだ。
その後を追おうとした池田は、零が持っていた銃が忘れられていることに気付き、それを拾い上げた。
「これは…」
池田の表情が見る間に変わっていった。