ブアメードの血
68
池田敬は疲れていた。
「はあ、でも、本当に疲れた…風呂にでも入りたい」
「風呂ですか。ああ、俺も、久しぶりに入りたいな。
あの牢獄じゃあ、上からのシャワーをただ浴びるだけだった」
池田の言葉に一志が反応し、背伸びをした。
一志を除く三人は、勝手がわからないダイニングでコーヒーか紅茶でも飲もう、と探しているところだ。
「そうだね。ここ、まだお湯出るみたいだから、あとで入らせてもらったら?
その服も着替えた方がいいし」
静が戸棚を開けながら、言った。
「ああ、そうするか」
「――あのね、お兄ちゃん、私、思い出したんだけどさ」
「なんだ?」
「小さい頃、じゃれあってて、鼻血が出たことあったの覚えてる?」
「ああ、あったな、それがどうし…ああ!そうか!」
一志が声を上げた。
「何です、その話?」
池田はまた話に入れない不機嫌な気持ちを抑えて訊いた。
「話すのは構いませんが、手は止めないでください」
休まず動き続ける中津が、冷たく言った。
「ああ、あのですね、静が小学生になったかどうかの頃、静をこう、高い高いの体勢で持ち上げたことがあって、その時、こいつが鼻血を出して、俺、顔中にどばどば浴びたことがあったんですよ、はは」
一志はジェスチャーを交えてそう説明すると、
「しょうがないじゃない。
あの頃、鼻血、よく出してたんだから」
と静が応じ、照れくさそうに笑い合う。
「なるほど、血液感染、っていう訳ですか」
中津が二人が何を言わんとするかを補足した。
「本当に仲がよろしいことで…」
池田は、その仲睦まじい様子に顔を引きつらせつつ、またお茶の在り処を探し始めた。
その後、見つけたお茶やコーヒーを沸かし、四人ともソファに腰を下ろした。
一志から拐われたときの状況や地下での話を聞いたり、逆に一志に、岡嵜母娘のしたこと、そして今、日本がどうなっているのかをわかる範囲で説明したりした。
「本当にひどい…
地下でのみんなの話ぶりで薄々感付いていましたが、本当にそこまでやってしまったとは…
これから、世界はどうなってしまうのか…」
◇
岡嵜母娘の動画の投稿以来、世界は目まぐるしく変化していった。
各地で火災が発生し、延焼。一部では火災旋風も起こり、電線は溶解。
電力網は徐々に縮小していた。
電力を失った携帯電話の電波塔は機能しなくなり、ここ岡嵜邸のある地域でも、ついに携帯電話も無線ネットワークも一切繋がらなくなった。
岡嵜邸は自動的に蓄電池の電力に切り替ったため、電気の恩恵をまだ受けることができ、既に当たり前ではなくなった明かりは煌々と灯っているが。
これに伴い、岡嵜母娘が放った動画を見ることもできなくなってきており、インターネットを通じた動画によりオメガウィルスを発症する勢いは減少していった。
が、発症者から直接被害を受けて新たに発症する者は増え続け、その勢いが上回ってきた。
◇
そして、今もさらにことが進行している最中。
この先、どうなるのか、四人は測りかねた。
「あの、じゃあさあ、少し休めたことだし、お兄ちゃん、そろそろ、お風呂に入る?
もう、お湯も入ってると思うし、背中流そうか?」
とりあえず、先のことは置いておいて、目の前のことを片付けるように静が一志に言った。
「何言ってんだよ、もう大丈夫だ。一人で入れるよ」
<背中を流す、だと?俺のも…いや…もう、こんな考えはやめとこう>
池田は兄妹愛とわかっていても、もどかしかった。
「――そうだ、あの、少し休めたことだし、そろそろ、親父の墓とやらを探そうと思うんですが…」
一志がバスルームに入り、一息付いたところで、池田がおもむろに話し始めた。
「確か、裏庭にあるっておっしゃってませんでしたっけ?」
池田は立ち上がって、掃出し窓にかかるカーテンの隙間から外を窺う。
「あ、そうです。すみません、いろいろあって…
ここは多少広いとは言え、すぐに見つかると思います」
静も申し訳なさそうに立ち上がり、同じく外を見る。
「あ、あの辺りじゃないですか。さっきは気付きませんでしたけど…」
中津が外灯のスイッチを見つけて、灯した裏庭。
奥に見える厩舎のそばに、それが見えた。
「じゃあ、行ってみます」
池田が一人で玄関に向かう。
「待ってください。私も」
「行かない訳にはいかないでしょう」
静と中津が後に続く。
池田は無言で二人に頭を下げた。
雨はまだ降っているため、三人は土間にあった傘立てから傘を借りて、バッテリーライトも手に外に出た。
外灯に照らされ、いくつも転がった外国人と捜査員の死体が嫌でも目に入る。
「しかし、何度見てもむごい…」
「この方たちも、後でお墓を作ってあげないと…」
「ネットがまだ使えれば、お名前がわかったかもしれないのに…」
三人が口々に思いを言葉にして進む。
厩舎の横まで来ると、石碑のように見えた物はやはり墓で、六つあることがわかった。
どれも、長方形の上辺がカーブを描いている西洋風の形だ。
池田が代表するように、まずその一番手前の墓にライトの光を当てる。
「…うん?これと…そしてこれ…は、亡くなった岡嵜の旦那とお嬢ちゃんのお墓のようだな」
二つの墓にはそれぞれ、岡嵜恒とマリヤの名が刻んであった。
「ちょっと!見てください、これ…」
次の墓を調べていた中津が声を上げた。
「なんだ?」
池田がライトを当てると、岡嵜零と有馬マリアの名がローマ字により赤字で刻んであった。
「これは…生前墓って奴か。
まさか、自分の墓を死ぬ前に作っていたとはな」
「人を呪わば穴二つって言いますけど…」
「でも、なぜこんなお墓を…」
静が中津の言葉に続いてライトでその墓を照らし、二人の覚悟を慮った。
「ただ、赤字…って、仏教じゃなかったけ?
よく知らんけど…キリスト教でもするのかな?」
「キリスト教は母親の方だけで、もしかしたら有馬さん…が考えたのかもしれませんね。
どちらにしろ、零さんも有馬さんも、死ぬ覚悟をしてた…ってことでしょうか」
「そう言うことでしょうね、決して褒められたもんじゃないですけど…」
池田と静の会話に続けて、中津がそう言うと、しばし沈黙が流れる。
「――まあ、あの二人がもし死んだら、ここに埋葬してやりますか。
そんな義理なんてないですけど、なんて言うか…」
「そうしましょうか…家族をめちゃめちゃにされたとは言え…その…」
池田の歯切れの悪い提案の意味を、静は理解できた。
「…ということは、あと二つのうちのどれか…」
中津だけさっさと次の墓を確認に移ると、池田と静もそれに続いた。
『I・K Feb.15 2007』
と文字が刻んである。
「アイケイ、親父のイニシャルだ…それに十字架まで刻んで、うち、思いっ切り、仏教徒なんだけど…
さっきの赤字といい、宗教観むちゃくちゃだな」
池田はそう言いながらも、傘をたたんでしゃがみ込み、脇に置いた。
「さっき、有馬さんは、自分の趣味だ、って言ってましたけど。
でも、逆算したら…七才位の時ですよね、あとで作り直したのかしら」
「かたや人類滅亡を企てておいて、かたや、こんなことをする神経がわかりません」
静と中津がそう言いながら、残りの墓を調べ始めた。
「最後のお墓は…外国人らしき名前がたくさん、これも赤字で書いてある…
一、二.三、四…あ!最後の十三人目は兄の名前です。
ということは…」
「監禁されていた外国人の方たち…ってことでしょうね。
亡くなったら、この方たちまでお墓に入れてあげようとしていた…てことでしょうが…
ほんと、意味わからない、この母娘のやりたいこと。
ただ、これで名前を調べる必要はなくなりましたが…」
と、中津が言うやいなや、雨が一層激しさを増してきた。
「うわっ、雨が…」
「そう言や、親父がいなくなった夜も、嵐でこんな土砂降りの雨が降っていたっけ」
一人、父の墓の前に佇んでいた池田が独り言のように呟くと、雨も気にせず跪いて合掌し、無言で拝み始めた。
静と中津の二人は、池田の後ろに並び、それに倣う。
「すみません、一緒に参っていただいて。じゃあ、取りあえず、戻りましょうか」
「あとで、お兄ちゃんにも参らせます」
池田に続いて静がそう言って、立ち上がった時だった。
あれだけ降っていた雨がぴたりと止んだ。
黒雲の切れ間から、月が顔を覗かせようとしている。
「あれ、雨、急にやんじゃいましたね」
「もう少し早くやんでいてくれれば」
「やまない雨はないってか。
今の俺たちを象徴するようだ」
三人がそれぞれの思いを口にし、空を見上げた。
「…?なんだあれ?雲、な訳ないか、雪か?」
見上げた空に、いつの間にか、白い綿のものが降り始めた。
それが目の前まで来てわかったが、雪よりもかなり大きい。
池田が取ろうとすると、溶けてなくなった。
「あ、あれは…」
池田と同じように見上げていた静が右手を上げ、頭上高く指した。
現れた月が明らかにおかしい。
不規則な動きを始めたのだ。
<月がこんなに速く変に動くか?>
池田はその正体を確かめようと目を細めてその動きを追ったが、急に眩い光が辺りを包み、一瞬何も見えなくなった。
何か花のような甘い香りが漂ってくる。
やがて、目が慣れてくると、池田は優しい光に包まれていた。
全てが優しく光輝いており、決して目が開けられない眩しさではない。
<服が!?服が乾いている?>
傘を置いてから濡れ放しだったはずの服がすっかり乾いていることに池田は気付き、驚く。
<う、う・ご・け・なぃ…>
今度は急に金縛りにあったように、全く動けなくなった。
眼は開けたまま、瞬き一つできない。
それは、隣の二人も同じようだ。
誰一人、何一つ、動くものはいない。
辺りからは物音一つ聞こえない。
静寂という言葉では物足りないほどの、一切の無音。
その時、声が聞こえた。
いや、それは声ではないのかもしれない。
言葉ではなく、情報とでもいうべきか。
その場にいる誰にも、それが脳に直接響いているような感覚が沸き起こった。
「…無であり無限…過去、現在、未来…
これは報い…
終わりと始り…
審判と選別…
その後、新しい世界…」
そんな内容だった。
やがて光はなくなり、金縛りは解けた。
<今のは一体…>
池田らは呆然と立ち尽くしていた。
◇
同じ現象は、零とマリアにも起こっていた。
「何?何、今の?こんなこと起こるなんて聞いていない、知らないよ」
金縛りが解けたマリアは、かなり動揺していた。
自分は生まれ変わり、この世はバーチャルの世界、生と死のなんたるかを知る選ばれた人間…そう思っていたのに、こんな不快な気持ちになるとは。
「ママ、ママ、これなんなの?今、何か頭の中に聞こえてきたよね?」
「そんなことより、マリア、聞いて」
零はマリアとは反対に落ち着き払い、改まって言った。
「神は…神は自分の内にあるとおっしゃられたが、その通りだったわ」
「何急に言ってるのママ、神は捨てたんじゃなかったの?
ボクが証明したでしょ」
「いいえ、結局、私は神を捨てきれなかった。
さっきから考えていたの、あなたが前世の話をしたときから。
この世界で、多種多様な生命が進化を遂げ、やがて人類が生まれ、この時代、私や生まれ変わる前のあなた、恒が生まれた。
それは神の思し召しだったのよ。
そして、こんな世界にしてしまった私たちの意思そのものでさえ、神の意思でもあった。
あなたはそのお蔭で、また私の元に生まれ変われたのだから。
今起こった奇跡を体験して、確信した。
神は内にある。
私の意思もあなたの意思も、あの探偵でさえも、何もかも正に神の意思であり、その一部であった。
神はどこにでもおられるとは、そういう意味だったのでしょう。
なぜ、それに早く気が付かなかったのか…」
「何言ってるの。意味わかんないよ。
だから、この世界はゲームなんだよ。
神はいるけど、ゲームマスター。
ボクたちはそのゲームマスターのつくった遺伝子に操られているだけ。
ママもそう言ったじゃない。
きっと、あの世じゃ大したことはないよ。ただのゲームの管理人…」
「うっうっうっ、その程度でもいいじゃない。
それでも、この世界では創造神…
ふぅ、あなたにもきっとわかるときが…うぅ」
「ママ、しっかり!」
「でも、最後に、神の…神様の奇跡が見れて、本当に良かった…私の神の証明は立証され…」
「――!?ママ?ママ!」
心音モニターの波がみるみる弱まり、間もなく、零は息を引き取った。
神の証明まで辿り着いた達成感、蘇りつつあった信仰心、それとともに蓋が外れて湧き出した罪の意識…
零の心は死へと向かい、ウィルスがその意思を汲み取ったのか…
マリアは泣いた。
「いや、いやだ、いやだいやだいやだ、もー!」
零と共に世界の終焉を見届けた後、新しい世界を築こう、そして楽しもう、と思っていた。
駄目なら、また死んで生まれ変わればいい、とも。
<でも、なんで…なんでこんなに悲しいんだろう…
ママもボクが前世で死んだ時、こんなに悲しかったのかなあ…
それになんだろう、この悲しさ以外の気持ちは…
やっぱりやめときゃ良かったかなって思ってる…
一志がボクのお兄ちゃんで子供だったなんて…
ママが結局、神を認めて死んじゃうなんて…
だったら、そうなるってわかってたら、こんなことしなきゃ良かった…
これは…後悔?>
マリアは銃をとった。
<また、生まれ変わろう、また――>
その銃声は池田たちには届かなかった。
◇
「…ティマの奇跡って、こんなのじゃなかったかな」
静の声に池田は我に返った。
<て、天使?>
静だけ、まだ輝いているように見えた、こんな世界になっても。
「な、なんか声っていうか、頭ん中に宗教っぽい言葉、今聞こえませんでした?
それに服が乾いている。これはどういう…」
「え、やっぱり今の私だけじゃなかったんですね」
中津が驚いた顔で、池田に同調した。
「池田さん、昨日、大学のベンチで、どうして兄と仲が良いか聞かれた時に、私が言いかけてやめたこと、覚えています?」
静が池田と中津の言葉に構わず言った。
「え?ああ、何か思い詰めた顔をされてたので、それ以上は訊けませんでしたが、それが何か?」
こんな状況で静はなぜそんな話をするのだろうと怪訝に思いながら、池田は言った。
「実は私、前世の記憶が少しだけあるんですって言ったら、信じてもらえますか?」
「え?それはどういう…」
「普通、言えないじゃないですか、そんなこと。
あの時、言いかけたのはそれだったんです。
でも、今なら言えます。こんな奇跡が起こったんですもの」
「た、確かに、今起きたことは信じられない。
綿のようなものが降って、月が狂ったように動いて、眩しくなって、服が乾いて、動けなくなって、頭に声が響いて…もう、何がなんだか」
池田は両の掌を上に向けて肩を竦めた。
「私、幼い頃、一回死んでしまったんです」
「え?何を…現にこうして…」
「ね、信じられないでしょ。
そしたら、さっきのような光に包まれた場所に行って、この世界を上から覗いて、腹違いの兄がいることを知って、会いたいならやり直せるって。
それで、お兄ちゃんに会いたいって思ったら、今の私になって。
そんな記憶が物心付いた頃にふと思い起こされたんですけど、大きくなるにつれて、夢か何かだと思うようにしてたんです。
本当の両親が亡くなった事故の時の記憶が混乱してるんじゃないかって。
でも、今のでやっぱり、この記憶は本当だったんだと、確信できました」
静は空を見上げて言った。
「まさか…そう言えばさっき、不思議過ぎて言えないこともある、って有馬に言っていましたけど、もしかして、それ…」
「ということは、静さんは、岡嵜の死んだ娘の…」
中津に続いて、池田が言った。
「そうなのかもしれません。
有馬さんと初めて会ったとき、なぜかとても親近感を覚えましたから。
懐かしさのような、何とも言えない…
先ほど、零さんを見た時もそうです。
でも、裏切られて、ショックも大きかったんです」
「そうだったんですか…」
「それに、それを前提とすれば、岡嵜夫妻が私の前世の両親ということになります。
ダブルでショックですね」
静は池田に向き直ってそう言うと、淋しそうな笑顔を浮かべる。
「あ、あの、私は信じますよ、前世って奴を」
「え?」
「世の中、科学で解明できないことなんて、たくさんあるんですから。
今みたいなこともあるし、前世だって、来世だって、何があったって不思議じゃない。
使い古された言葉かもしれませんが…」
「なんの慰めにもなっていないですよね、それ。
静さんの前提を肯定したら、ショックに追い打ちかけるようなものですよ、それ」
中津が相変わらずの口調に戻って言った。
「あ、いや、別にそういうつもりではなくて、な、なんというか、その…」
池田はまた悪い癖が出てしまったと、慌てて弁明しようとした。
「いいんですよ、わかります。
私の荒唐無稽の前世の話に、肯定的になっていただいたんですよね」
「それそれ、そうです、そうです」
「実は、前世の話を兄に話したら、兄は信じてくれました。
バカにされるかもって思っていたのに。
なんでも、私の本当の母も同じこと言ってたって。
母がまだ生きていた頃、兄に、生まれる前は何をしてたの、って聞いてきたことがあったそうで、兄が覚えてないと言うと、おばさんは覚えてるのよって言っていたそうです。
兄は私の話を聞く前まで、それを冗談半分と思ってたみたいですけど、母娘で同じ話をするんだから、偶然とは思えないって」
「そうだったんですか…もしかしたら、ウィルスが影響しているのかもしれませんね…」
「あ、そうですね、本当に私も母もウィルスに感染していたとしたら…でも、結局、そのウィルスって、なんだったんですかね。
私なんて、生まれた時から感染していたのに、ゾンビになんかなってませんし…」
「よくわかりませんが、宿主の意思を反映する力を持っていた、ということでしょうか。
それをうまく使えば進化できるし、悪く使えば、今回のような結果に…」
「なるほど…宿主の意思を反映…夕べ話したじゃないですか、あの、カンブリア爆発との関連について。
もし、佐藤教授のその仮定が正しければ、宿主の意思を反映するというも、あながち間違っていないのかもしれませんね…」
佐藤に続いて、中津も持論を述べたが、誰にも本当のところはわからず、場は静まり返る。
「――そう言えば、あそこに銃を隠してましたけど、結局使わず終いでしたね」
中津がその静けさを嫌って口を開くと、
「映画じゃなんだから伏線が回収されないこともあるさ。
それに、今後使うことだってあるかもしれないし…
あの、それで、その今後のことですが、これからどうしましょうか?」
と池田が話題を変えた。
「電話もネットも使えなくなりましたし…私は父を探そうと思います。
警視庁で、無事でいてくれればいいんですが…」
「…わかりました。
ご一緒させていただきます」
「いえいえ、もう大丈夫ですよ。
これ以上、お付き合いいただく訳には。
それに、池田さんたちもご家族が心配なのでは?」
「私は一人っ子で独身ですし、先ほどお騒がせした通り、親父は行方不明でしたが、岡嵜に殺されたことがわかりましたし。
この歳で天涯孤独って奴で」
「ちょっと、またそんなこと、静さんも…」
すかさず、中津が咎めた。
「訊かれたから、言っただけだろ」
「いいんです。でも、兄を見つけていただきました」
「すみません…」
「母はあんなになってしまって覚悟はできているので、父を優先したいと思います。
兄の体力が回復してからになるとは思いますが…
ああ、それと、さっき有馬さんが言ってた、不安を感じなければ発症しない、ということをまだ生きている人たちに伝えて行かないと…
もしかしたら、それが一番重要なことかもしれませんね」
「あ、そうか、そうだった。まだ救いはある。
それなら尚更、あなた一人をこんなところに放って帰るわけにも行けません。
引き続き、お手伝いさせていただきます。
あ、で、中津はどうするつもりだ?
もうこれ、仕事とは言えないから。こんな状況だ。
当面、休暇でいい…って元の世界に戻るかどうかわからないが」
「このゾンビもどきだらけの状況で、女一人をほっぽり出すおつもりですか」
「別に、んなことは言っていないが…」
「私は両親や姉が心配ですが、田舎は秋田なので、すぐに帰るわけにもいきません。
ただ、こんな事態になる前に急いで逃げるようリネしておきましたし、無事を祈るのみです」
「つまり、一緒に来ると?」
「他にどうしろっていうんですか、ただ、取りあえずですよ、取りあえず」
「そりゃそうだな。と、言ういうことで静さん、よろしいでしょうか」
「それはうれしいですが、お二人はさっき有馬さんが言っていた核シェルターに入っていた方がいいんではないでしょうか」
「それは静さんも同じでしょう。
そこで提案なんですが、この岡嵜の屋敷をみんなで拠点にしませんか。
すぐにお父さんが見つかればいいですが…あ、そうだ!
さっきの銃じゃないですが、結局使いそびれてたこのインカムの方が役に立つかも知れませんよ。
都に戻ったら、時々使って応答を待つのも手かもしれません」
池田はインカムのジェスチャーを交える。
「あ、それ使えそうですね、さすが池田さん…
でも、本当にお付き合いいただいてよろしいんですか?
本当に申し訳なくて…」
「まだお代を頂戴していないことですし、次の依頼ということで」
「また、そんなことを言って…」
そう言う中津を余所に、池田は続ける。
「"ただ"、静さんはまだ未成年なので、来年の五月十三日まで、あくまで準備という体で」
その言葉に静は、はっとし、池田の方を見る。
「ふふ、"ただ"が多いですね――じゃあ、その”てい”で!」
池田と静は顔を見合わせて、通じ合ったように笑った。
「おおーい、今のなんだー?」
家の方から聞こえる一志の声と、何がおかしいのかわからず、ふてくされる中津を置いて。
「はあ、でも、本当に疲れた…風呂にでも入りたい」
「風呂ですか。ああ、俺も、久しぶりに入りたいな。
あの牢獄じゃあ、上からのシャワーをただ浴びるだけだった」
池田の言葉に一志が反応し、背伸びをした。
一志を除く三人は、勝手がわからないダイニングでコーヒーか紅茶でも飲もう、と探しているところだ。
「そうだね。ここ、まだお湯出るみたいだから、あとで入らせてもらったら?
その服も着替えた方がいいし」
静が戸棚を開けながら、言った。
「ああ、そうするか」
「――あのね、お兄ちゃん、私、思い出したんだけどさ」
「なんだ?」
「小さい頃、じゃれあってて、鼻血が出たことあったの覚えてる?」
「ああ、あったな、それがどうし…ああ!そうか!」
一志が声を上げた。
「何です、その話?」
池田はまた話に入れない不機嫌な気持ちを抑えて訊いた。
「話すのは構いませんが、手は止めないでください」
休まず動き続ける中津が、冷たく言った。
「ああ、あのですね、静が小学生になったかどうかの頃、静をこう、高い高いの体勢で持ち上げたことがあって、その時、こいつが鼻血を出して、俺、顔中にどばどば浴びたことがあったんですよ、はは」
一志はジェスチャーを交えてそう説明すると、
「しょうがないじゃない。
あの頃、鼻血、よく出してたんだから」
と静が応じ、照れくさそうに笑い合う。
「なるほど、血液感染、っていう訳ですか」
中津が二人が何を言わんとするかを補足した。
「本当に仲がよろしいことで…」
池田は、その仲睦まじい様子に顔を引きつらせつつ、またお茶の在り処を探し始めた。
その後、見つけたお茶やコーヒーを沸かし、四人ともソファに腰を下ろした。
一志から拐われたときの状況や地下での話を聞いたり、逆に一志に、岡嵜母娘のしたこと、そして今、日本がどうなっているのかをわかる範囲で説明したりした。
「本当にひどい…
地下でのみんなの話ぶりで薄々感付いていましたが、本当にそこまでやってしまったとは…
これから、世界はどうなってしまうのか…」
◇
岡嵜母娘の動画の投稿以来、世界は目まぐるしく変化していった。
各地で火災が発生し、延焼。一部では火災旋風も起こり、電線は溶解。
電力網は徐々に縮小していた。
電力を失った携帯電話の電波塔は機能しなくなり、ここ岡嵜邸のある地域でも、ついに携帯電話も無線ネットワークも一切繋がらなくなった。
岡嵜邸は自動的に蓄電池の電力に切り替ったため、電気の恩恵をまだ受けることができ、既に当たり前ではなくなった明かりは煌々と灯っているが。
これに伴い、岡嵜母娘が放った動画を見ることもできなくなってきており、インターネットを通じた動画によりオメガウィルスを発症する勢いは減少していった。
が、発症者から直接被害を受けて新たに発症する者は増え続け、その勢いが上回ってきた。
◇
そして、今もさらにことが進行している最中。
この先、どうなるのか、四人は測りかねた。
「あの、じゃあさあ、少し休めたことだし、お兄ちゃん、そろそろ、お風呂に入る?
もう、お湯も入ってると思うし、背中流そうか?」
とりあえず、先のことは置いておいて、目の前のことを片付けるように静が一志に言った。
「何言ってんだよ、もう大丈夫だ。一人で入れるよ」
<背中を流す、だと?俺のも…いや…もう、こんな考えはやめとこう>
池田は兄妹愛とわかっていても、もどかしかった。
「――そうだ、あの、少し休めたことだし、そろそろ、親父の墓とやらを探そうと思うんですが…」
一志がバスルームに入り、一息付いたところで、池田がおもむろに話し始めた。
「確か、裏庭にあるっておっしゃってませんでしたっけ?」
池田は立ち上がって、掃出し窓にかかるカーテンの隙間から外を窺う。
「あ、そうです。すみません、いろいろあって…
ここは多少広いとは言え、すぐに見つかると思います」
静も申し訳なさそうに立ち上がり、同じく外を見る。
「あ、あの辺りじゃないですか。さっきは気付きませんでしたけど…」
中津が外灯のスイッチを見つけて、灯した裏庭。
奥に見える厩舎のそばに、それが見えた。
「じゃあ、行ってみます」
池田が一人で玄関に向かう。
「待ってください。私も」
「行かない訳にはいかないでしょう」
静と中津が後に続く。
池田は無言で二人に頭を下げた。
雨はまだ降っているため、三人は土間にあった傘立てから傘を借りて、バッテリーライトも手に外に出た。
外灯に照らされ、いくつも転がった外国人と捜査員の死体が嫌でも目に入る。
「しかし、何度見てもむごい…」
「この方たちも、後でお墓を作ってあげないと…」
「ネットがまだ使えれば、お名前がわかったかもしれないのに…」
三人が口々に思いを言葉にして進む。
厩舎の横まで来ると、石碑のように見えた物はやはり墓で、六つあることがわかった。
どれも、長方形の上辺がカーブを描いている西洋風の形だ。
池田が代表するように、まずその一番手前の墓にライトの光を当てる。
「…うん?これと…そしてこれ…は、亡くなった岡嵜の旦那とお嬢ちゃんのお墓のようだな」
二つの墓にはそれぞれ、岡嵜恒とマリヤの名が刻んであった。
「ちょっと!見てください、これ…」
次の墓を調べていた中津が声を上げた。
「なんだ?」
池田がライトを当てると、岡嵜零と有馬マリアの名がローマ字により赤字で刻んであった。
「これは…生前墓って奴か。
まさか、自分の墓を死ぬ前に作っていたとはな」
「人を呪わば穴二つって言いますけど…」
「でも、なぜこんなお墓を…」
静が中津の言葉に続いてライトでその墓を照らし、二人の覚悟を慮った。
「ただ、赤字…って、仏教じゃなかったけ?
よく知らんけど…キリスト教でもするのかな?」
「キリスト教は母親の方だけで、もしかしたら有馬さん…が考えたのかもしれませんね。
どちらにしろ、零さんも有馬さんも、死ぬ覚悟をしてた…ってことでしょうか」
「そう言うことでしょうね、決して褒められたもんじゃないですけど…」
池田と静の会話に続けて、中津がそう言うと、しばし沈黙が流れる。
「――まあ、あの二人がもし死んだら、ここに埋葬してやりますか。
そんな義理なんてないですけど、なんて言うか…」
「そうしましょうか…家族をめちゃめちゃにされたとは言え…その…」
池田の歯切れの悪い提案の意味を、静は理解できた。
「…ということは、あと二つのうちのどれか…」
中津だけさっさと次の墓を確認に移ると、池田と静もそれに続いた。
『I・K Feb.15 2007』
と文字が刻んである。
「アイケイ、親父のイニシャルだ…それに十字架まで刻んで、うち、思いっ切り、仏教徒なんだけど…
さっきの赤字といい、宗教観むちゃくちゃだな」
池田はそう言いながらも、傘をたたんでしゃがみ込み、脇に置いた。
「さっき、有馬さんは、自分の趣味だ、って言ってましたけど。
でも、逆算したら…七才位の時ですよね、あとで作り直したのかしら」
「かたや人類滅亡を企てておいて、かたや、こんなことをする神経がわかりません」
静と中津がそう言いながら、残りの墓を調べ始めた。
「最後のお墓は…外国人らしき名前がたくさん、これも赤字で書いてある…
一、二.三、四…あ!最後の十三人目は兄の名前です。
ということは…」
「監禁されていた外国人の方たち…ってことでしょうね。
亡くなったら、この方たちまでお墓に入れてあげようとしていた…てことでしょうが…
ほんと、意味わからない、この母娘のやりたいこと。
ただ、これで名前を調べる必要はなくなりましたが…」
と、中津が言うやいなや、雨が一層激しさを増してきた。
「うわっ、雨が…」
「そう言や、親父がいなくなった夜も、嵐でこんな土砂降りの雨が降っていたっけ」
一人、父の墓の前に佇んでいた池田が独り言のように呟くと、雨も気にせず跪いて合掌し、無言で拝み始めた。
静と中津の二人は、池田の後ろに並び、それに倣う。
「すみません、一緒に参っていただいて。じゃあ、取りあえず、戻りましょうか」
「あとで、お兄ちゃんにも参らせます」
池田に続いて静がそう言って、立ち上がった時だった。
あれだけ降っていた雨がぴたりと止んだ。
黒雲の切れ間から、月が顔を覗かせようとしている。
「あれ、雨、急にやんじゃいましたね」
「もう少し早くやんでいてくれれば」
「やまない雨はないってか。
今の俺たちを象徴するようだ」
三人がそれぞれの思いを口にし、空を見上げた。
「…?なんだあれ?雲、な訳ないか、雪か?」
見上げた空に、いつの間にか、白い綿のものが降り始めた。
それが目の前まで来てわかったが、雪よりもかなり大きい。
池田が取ろうとすると、溶けてなくなった。
「あ、あれは…」
池田と同じように見上げていた静が右手を上げ、頭上高く指した。
現れた月が明らかにおかしい。
不規則な動きを始めたのだ。
<月がこんなに速く変に動くか?>
池田はその正体を確かめようと目を細めてその動きを追ったが、急に眩い光が辺りを包み、一瞬何も見えなくなった。
何か花のような甘い香りが漂ってくる。
やがて、目が慣れてくると、池田は優しい光に包まれていた。
全てが優しく光輝いており、決して目が開けられない眩しさではない。
<服が!?服が乾いている?>
傘を置いてから濡れ放しだったはずの服がすっかり乾いていることに池田は気付き、驚く。
<う、う・ご・け・なぃ…>
今度は急に金縛りにあったように、全く動けなくなった。
眼は開けたまま、瞬き一つできない。
それは、隣の二人も同じようだ。
誰一人、何一つ、動くものはいない。
辺りからは物音一つ聞こえない。
静寂という言葉では物足りないほどの、一切の無音。
その時、声が聞こえた。
いや、それは声ではないのかもしれない。
言葉ではなく、情報とでもいうべきか。
その場にいる誰にも、それが脳に直接響いているような感覚が沸き起こった。
「…無であり無限…過去、現在、未来…
これは報い…
終わりと始り…
審判と選別…
その後、新しい世界…」
そんな内容だった。
やがて光はなくなり、金縛りは解けた。
<今のは一体…>
池田らは呆然と立ち尽くしていた。
◇
同じ現象は、零とマリアにも起こっていた。
「何?何、今の?こんなこと起こるなんて聞いていない、知らないよ」
金縛りが解けたマリアは、かなり動揺していた。
自分は生まれ変わり、この世はバーチャルの世界、生と死のなんたるかを知る選ばれた人間…そう思っていたのに、こんな不快な気持ちになるとは。
「ママ、ママ、これなんなの?今、何か頭の中に聞こえてきたよね?」
「そんなことより、マリア、聞いて」
零はマリアとは反対に落ち着き払い、改まって言った。
「神は…神は自分の内にあるとおっしゃられたが、その通りだったわ」
「何急に言ってるのママ、神は捨てたんじゃなかったの?
ボクが証明したでしょ」
「いいえ、結局、私は神を捨てきれなかった。
さっきから考えていたの、あなたが前世の話をしたときから。
この世界で、多種多様な生命が進化を遂げ、やがて人類が生まれ、この時代、私や生まれ変わる前のあなた、恒が生まれた。
それは神の思し召しだったのよ。
そして、こんな世界にしてしまった私たちの意思そのものでさえ、神の意思でもあった。
あなたはそのお蔭で、また私の元に生まれ変われたのだから。
今起こった奇跡を体験して、確信した。
神は内にある。
私の意思もあなたの意思も、あの探偵でさえも、何もかも正に神の意思であり、その一部であった。
神はどこにでもおられるとは、そういう意味だったのでしょう。
なぜ、それに早く気が付かなかったのか…」
「何言ってるの。意味わかんないよ。
だから、この世界はゲームなんだよ。
神はいるけど、ゲームマスター。
ボクたちはそのゲームマスターのつくった遺伝子に操られているだけ。
ママもそう言ったじゃない。
きっと、あの世じゃ大したことはないよ。ただのゲームの管理人…」
「うっうっうっ、その程度でもいいじゃない。
それでも、この世界では創造神…
ふぅ、あなたにもきっとわかるときが…うぅ」
「ママ、しっかり!」
「でも、最後に、神の…神様の奇跡が見れて、本当に良かった…私の神の証明は立証され…」
「――!?ママ?ママ!」
心音モニターの波がみるみる弱まり、間もなく、零は息を引き取った。
神の証明まで辿り着いた達成感、蘇りつつあった信仰心、それとともに蓋が外れて湧き出した罪の意識…
零の心は死へと向かい、ウィルスがその意思を汲み取ったのか…
マリアは泣いた。
「いや、いやだ、いやだいやだいやだ、もー!」
零と共に世界の終焉を見届けた後、新しい世界を築こう、そして楽しもう、と思っていた。
駄目なら、また死んで生まれ変わればいい、とも。
<でも、なんで…なんでこんなに悲しいんだろう…
ママもボクが前世で死んだ時、こんなに悲しかったのかなあ…
それになんだろう、この悲しさ以外の気持ちは…
やっぱりやめときゃ良かったかなって思ってる…
一志がボクのお兄ちゃんで子供だったなんて…
ママが結局、神を認めて死んじゃうなんて…
だったら、そうなるってわかってたら、こんなことしなきゃ良かった…
これは…後悔?>
マリアは銃をとった。
<また、生まれ変わろう、また――>
その銃声は池田たちには届かなかった。
◇
「…ティマの奇跡って、こんなのじゃなかったかな」
静の声に池田は我に返った。
<て、天使?>
静だけ、まだ輝いているように見えた、こんな世界になっても。
「な、なんか声っていうか、頭ん中に宗教っぽい言葉、今聞こえませんでした?
それに服が乾いている。これはどういう…」
「え、やっぱり今の私だけじゃなかったんですね」
中津が驚いた顔で、池田に同調した。
「池田さん、昨日、大学のベンチで、どうして兄と仲が良いか聞かれた時に、私が言いかけてやめたこと、覚えています?」
静が池田と中津の言葉に構わず言った。
「え?ああ、何か思い詰めた顔をされてたので、それ以上は訊けませんでしたが、それが何か?」
こんな状況で静はなぜそんな話をするのだろうと怪訝に思いながら、池田は言った。
「実は私、前世の記憶が少しだけあるんですって言ったら、信じてもらえますか?」
「え?それはどういう…」
「普通、言えないじゃないですか、そんなこと。
あの時、言いかけたのはそれだったんです。
でも、今なら言えます。こんな奇跡が起こったんですもの」
「た、確かに、今起きたことは信じられない。
綿のようなものが降って、月が狂ったように動いて、眩しくなって、服が乾いて、動けなくなって、頭に声が響いて…もう、何がなんだか」
池田は両の掌を上に向けて肩を竦めた。
「私、幼い頃、一回死んでしまったんです」
「え?何を…現にこうして…」
「ね、信じられないでしょ。
そしたら、さっきのような光に包まれた場所に行って、この世界を上から覗いて、腹違いの兄がいることを知って、会いたいならやり直せるって。
それで、お兄ちゃんに会いたいって思ったら、今の私になって。
そんな記憶が物心付いた頃にふと思い起こされたんですけど、大きくなるにつれて、夢か何かだと思うようにしてたんです。
本当の両親が亡くなった事故の時の記憶が混乱してるんじゃないかって。
でも、今のでやっぱり、この記憶は本当だったんだと、確信できました」
静は空を見上げて言った。
「まさか…そう言えばさっき、不思議過ぎて言えないこともある、って有馬に言っていましたけど、もしかして、それ…」
「ということは、静さんは、岡嵜の死んだ娘の…」
中津に続いて、池田が言った。
「そうなのかもしれません。
有馬さんと初めて会ったとき、なぜかとても親近感を覚えましたから。
懐かしさのような、何とも言えない…
先ほど、零さんを見た時もそうです。
でも、裏切られて、ショックも大きかったんです」
「そうだったんですか…」
「それに、それを前提とすれば、岡嵜夫妻が私の前世の両親ということになります。
ダブルでショックですね」
静は池田に向き直ってそう言うと、淋しそうな笑顔を浮かべる。
「あ、あの、私は信じますよ、前世って奴を」
「え?」
「世の中、科学で解明できないことなんて、たくさんあるんですから。
今みたいなこともあるし、前世だって、来世だって、何があったって不思議じゃない。
使い古された言葉かもしれませんが…」
「なんの慰めにもなっていないですよね、それ。
静さんの前提を肯定したら、ショックに追い打ちかけるようなものですよ、それ」
中津が相変わらずの口調に戻って言った。
「あ、いや、別にそういうつもりではなくて、な、なんというか、その…」
池田はまた悪い癖が出てしまったと、慌てて弁明しようとした。
「いいんですよ、わかります。
私の荒唐無稽の前世の話に、肯定的になっていただいたんですよね」
「それそれ、そうです、そうです」
「実は、前世の話を兄に話したら、兄は信じてくれました。
バカにされるかもって思っていたのに。
なんでも、私の本当の母も同じこと言ってたって。
母がまだ生きていた頃、兄に、生まれる前は何をしてたの、って聞いてきたことがあったそうで、兄が覚えてないと言うと、おばさんは覚えてるのよって言っていたそうです。
兄は私の話を聞く前まで、それを冗談半分と思ってたみたいですけど、母娘で同じ話をするんだから、偶然とは思えないって」
「そうだったんですか…もしかしたら、ウィルスが影響しているのかもしれませんね…」
「あ、そうですね、本当に私も母もウィルスに感染していたとしたら…でも、結局、そのウィルスって、なんだったんですかね。
私なんて、生まれた時から感染していたのに、ゾンビになんかなってませんし…」
「よくわかりませんが、宿主の意思を反映する力を持っていた、ということでしょうか。
それをうまく使えば進化できるし、悪く使えば、今回のような結果に…」
「なるほど…宿主の意思を反映…夕べ話したじゃないですか、あの、カンブリア爆発との関連について。
もし、佐藤教授のその仮定が正しければ、宿主の意思を反映するというも、あながち間違っていないのかもしれませんね…」
佐藤に続いて、中津も持論を述べたが、誰にも本当のところはわからず、場は静まり返る。
「――そう言えば、あそこに銃を隠してましたけど、結局使わず終いでしたね」
中津がその静けさを嫌って口を開くと、
「映画じゃなんだから伏線が回収されないこともあるさ。
それに、今後使うことだってあるかもしれないし…
あの、それで、その今後のことですが、これからどうしましょうか?」
と池田が話題を変えた。
「電話もネットも使えなくなりましたし…私は父を探そうと思います。
警視庁で、無事でいてくれればいいんですが…」
「…わかりました。
ご一緒させていただきます」
「いえいえ、もう大丈夫ですよ。
これ以上、お付き合いいただく訳には。
それに、池田さんたちもご家族が心配なのでは?」
「私は一人っ子で独身ですし、先ほどお騒がせした通り、親父は行方不明でしたが、岡嵜に殺されたことがわかりましたし。
この歳で天涯孤独って奴で」
「ちょっと、またそんなこと、静さんも…」
すかさず、中津が咎めた。
「訊かれたから、言っただけだろ」
「いいんです。でも、兄を見つけていただきました」
「すみません…」
「母はあんなになってしまって覚悟はできているので、父を優先したいと思います。
兄の体力が回復してからになるとは思いますが…
ああ、それと、さっき有馬さんが言ってた、不安を感じなければ発症しない、ということをまだ生きている人たちに伝えて行かないと…
もしかしたら、それが一番重要なことかもしれませんね」
「あ、そうか、そうだった。まだ救いはある。
それなら尚更、あなた一人をこんなところに放って帰るわけにも行けません。
引き続き、お手伝いさせていただきます。
あ、で、中津はどうするつもりだ?
もうこれ、仕事とは言えないから。こんな状況だ。
当面、休暇でいい…って元の世界に戻るかどうかわからないが」
「このゾンビもどきだらけの状況で、女一人をほっぽり出すおつもりですか」
「別に、んなことは言っていないが…」
「私は両親や姉が心配ですが、田舎は秋田なので、すぐに帰るわけにもいきません。
ただ、こんな事態になる前に急いで逃げるようリネしておきましたし、無事を祈るのみです」
「つまり、一緒に来ると?」
「他にどうしろっていうんですか、ただ、取りあえずですよ、取りあえず」
「そりゃそうだな。と、言ういうことで静さん、よろしいでしょうか」
「それはうれしいですが、お二人はさっき有馬さんが言っていた核シェルターに入っていた方がいいんではないでしょうか」
「それは静さんも同じでしょう。
そこで提案なんですが、この岡嵜の屋敷をみんなで拠点にしませんか。
すぐにお父さんが見つかればいいですが…あ、そうだ!
さっきの銃じゃないですが、結局使いそびれてたこのインカムの方が役に立つかも知れませんよ。
都に戻ったら、時々使って応答を待つのも手かもしれません」
池田はインカムのジェスチャーを交える。
「あ、それ使えそうですね、さすが池田さん…
でも、本当にお付き合いいただいてよろしいんですか?
本当に申し訳なくて…」
「まだお代を頂戴していないことですし、次の依頼ということで」
「また、そんなことを言って…」
そう言う中津を余所に、池田は続ける。
「"ただ"、静さんはまだ未成年なので、来年の五月十三日まで、あくまで準備という体で」
その言葉に静は、はっとし、池田の方を見る。
「ふふ、"ただ"が多いですね――じゃあ、その”てい”で!」
池田と静は顔を見合わせて、通じ合ったように笑った。
「おおーい、今のなんだー?」
家の方から聞こえる一志の声と、何がおかしいのかわからず、ふてくされる中津を置いて。