誰も悪くないのに婚約破棄された悪役令嬢は人魚王子との恋に溺れます

1、婚約破棄とお見合い





「婚約を破棄させてくれ、ヴェロニカ」

 私の婚約者であるジュエリア王国王太子、ミハエル=ダイアモンド様が、ジュエリア王国宰相の娘である私、ヴェロニカ=スーフェンに頭を下げた。

 ミハエル様は見目も麗しい王子様だ。年齢は私と同じ二十三歳。魅惑的な甘い声音。長身痩躯。どこにいても目を引く銀髪。精悍な顔つきの中でも特に美しいのは、宝石のような青い瞳。王族正装であるきらびやかな白い衣装をここまで着こなせる若者は、彼以外にいないと思う。

 彼は文武に長けていた。少し前まで世界中の問題だった瘴気戦争で最前線で戦い、聖女を守っていた。名実共に、彼は誰もが認める次期国王だ。世界で一番魅力的な婚約者。彼を生涯支えるべく、自分も幼少期から勉学に励み、出来うる限りの努力をしてきたつもり。

 そんな王子が、宰相令嬢でしかない私に、悲痛の面持ちで『お願い』してきている。

「ヴェロニカ様……本当にごめんなさい……」

 その隣で、王子と共に頭を下げる少女がいた。震えた声の間に漏れる息遣いは荒い。おぼつく足元。ミハエル様の腕に捕まって、なんとか立っている状態なのだろう。寝間着姿なのは、着替える体力すらないのでしょうね。

 部屋に入ってきた時の顔色からしても、体調の悪さは一目瞭然。青黒い文様が、肌のいたる所に浮かび上がっている。これは、瘴気に侵されている証拠。

 この小柄で痩せっぽっち。元は長い黒髪と同色の瞳以外何の特徴がない少女こそ、この世界を救った聖女だった。リカ=タチバナ。異世界から転移してきた彼女は、瘴気に覆われようとしていたこの世界を、神より授かった特別な力で浄化した英雄だ。

 年齢は十七歳。いきなり親も友達もいない世界の浜辺に流されてきた彼女の英雄譚を、この国で知らない者はいない。

 私も王族最上位の貴族令嬢として、世界の危機を救う英雄を出来る限りサポートしてきたつもりよ。彼女が傷だらけで帰ってきた時には誰よりも心配し、世界の瘴気を晴らした時は誰よりも称賛を送った。彼女も友達の域を超えて、慕ってくれていたと思う。私も本当の妹が出来たような気がしていたの。

 そんな二人が、私に懇願している。

 私とミハエル様の婚約を破棄してほしいと、公爵令嬢の私よりも遥かに地位の高い王太子と聖女が『お願い』してきている。

 ここは王城内で私室のように使わせてもらっている客間。ヒールでも歩きやすいように毛足が絨毯も、細かな刺繍が美しいカーテンも、黄色い花弁の美しい私の好きな花が飾られた花瓶も、私が座っている座り心地のよい椅子も、柑橘系の香りが爽やかな紅茶も、全部私のためにあつらってもらっていたもの。

 その部屋で座ったままの私に、彼らは『婚約破棄してくれ』と頭を下げている。

 私は極力、いつもどおりに話した。

「それほどまで……リカ様の体調は悪いのですか?」
「あぁ……このまま何もしなければ、余命は三日だと」

 もう、本当馬鹿。なんて馬鹿な少女なのかしら。

 世界の瘴気を晴らした代わりに、その小さい身体に瘴気を取り込んでしまった聖女。
 神はこうなることを見越した上で、彼女に天啓を与えていたという。

『好きな異性からのキスで、どんな呪いも癒せるだろう』

 そのことを彼女が漏らしたのは、一週間前。
 彼女が瘴気の呪いに苦しみ出したのは、三ヶ月前。

 なんでずっと黙っていたのか。問いただした私に、彼女は苦笑するだけだった。

 今なら理由がわかる。この王国で接吻は『永遠の愛を誓う行為』とされているから。
 呪いを晴らすために接吻するということは、永遠の愛を誓うということだから。

 だからわかっていた。いつか、こんな日が来ることが。

 だってそばにいれば、彼女がミハエル様に好意を抱いていることがわかっていたから。そして、それを必死に隠そうとしているのもわかっていたから。

 人の秘めた感情を咎められる? そんなの無理よ。ましてや、彼女は見知らぬ世界の運命を背負った聖女。そんな彼女に、それ以上の負荷を強いる人がいたら……それこそ、この私が許さないわ。

 ミハエル様も私の手前、一線を引いていたけれど――王太子として、王太子だからこそ、世界を救った聖女をみすみす見殺すなんて、そんな不義理が許されるはずがない。彼女を見捨てたことが国民にバレたら、それこそ暴動が起こるかも。

「本当……馬鹿な人たち」

 私は低い声で吐き捨て、立ち上がった。そして飲みかけのぬるい紅茶を、聖女にかける。
 ふらふらの足で立っている彼女は、それでも顔を上げない。「ごめんなさい……ごめんなさい……」と、顔が濡れたことも厭わず、謝罪の言葉を繰り返す。

 私は唇を噛み締めて、ミハエル王子に向き直った。

「今見ていらしたように、私は世界を救ってくださった聖女に不敬を働くような女です。こんな女……とても王太子殿下の婚約者として、相応しくないですよね?」
「ヴェロニカ……」
「存分に、私を悪役に仕立ててくださいまし。私と王子との婚約は、それこそ他国にも知れ渡っております。如何な理由があれど、それを破棄することに難癖つける輩はいるでしょう。全ては国益のために。ジュエリア王国のために――如何に公表すべきか、ミハエル様なら間違いませんよね」

 私は、ジュエリア王国の国母となるべく、今まで生きてきたのよ。
 たとえ、その夢が破れようとも……その誇り、その矜持だけは失ってなるものか。

 私の決意に、ミハエル様は涙を浮かべた。

「……それだけは断る。そうすれば、君の今後に悪評がついて回ってしまう」
「ですが――」

 口を挟んできたのは、今にも倒れそうな聖女リカだ。

「そんなこと、わたしは絶対に許しません! ヴェロニカ様が悪役令嬢になるなんて……そんなこと死んでもさせない。聖女の名にかけて、絶対に許さないっ‼」

 叫ぶだけ叫んで、彼女は咳き込む。吐き出すのは真っ赤な血。そんな彼女をミハエルは慌てて支え、私も彼女の背中を撫でる。

 悪役令嬢ってなんだろう? 
 そんな疑問は、彼女が元気になってから聞けばよいこと。

「……世界を救った聖女を亡くすことも、ジュエリア王国の評判を落とすことになる。何より……あなたを失うなんて悲しいこと、私もごめんだわ」
「ヴェロニカ……さ、ま……」
「ミハエル様に惚れるなんて、見る目あるじゃない。いい男よ、この私が保証する」

 泣くな。泣くな、ヴェロニカ=スーフェン。今まで培った社交技術を、ここで使わないでどうするの⁉

「でも、私はもっといい男を掴まえることにするわ。羨んでも、もう知らないからね」

 私は笑っていられるうちに距離をとる。そして二人の横を通り過ぎた。

「ミハエル様、早く口づけしてあげてくださいね。どのみち早く着替えさせてあげなくては、聖女様が風邪を引かれてしまいます」
「あぁ……あぁ、ありがとう。ヴェロニカ」

 ミハエル様の声を、背中で聞いて。
 さすがに、二人の接吻シーンは見たくない。

 私は部屋から出る。扉を閉めると、中からまばゆい限りの光が溢れてきた。あたたかく、優しい光。きっと、二人が口づけしたのだろう。神が二人を祝福しているのだ。

 その光に導かれるように、人払いされていただろう多くの人が集まってくる。

 ――お慕いしておりました。

 心の中で、別れを告げて。

 その波に逆らうように、私は一人、その場をあとにする。

 窓から見る青空があまりに綺麗で、私は思わず涙をこぼした。




 その一年後。私は浜辺で、新しい婚約者と対面していた。

「デュフッ、拙者はアトクルィタイ=モーリ=ヒポカンタスでござる。これからどうぞ、末永く宜しく。デュフフ」

 可愛いらしい少年だった。金髪を高い位置で結いており、顔立ちも少し面長だが、知的さを醸している。何より今日が晴天だからか、金色の瞳が太陽のように眩しい。身長はヒールを履いた私よりも少し低いが、調書によると、彼はまだ十八歳。長命な種族だから、まだこれから伸びるという。

 そう――彼は人間ではない。人魚。海で暮らしていた種族だ。

 今は二本足で立っているが、この人間の姿は魔法で変化しているらしい。魔法なんて、私たち人間は使えない。そんな特別な力が使えるのは、それこそ聖女だけ。瘴気が晴れたことにより発覚したこの世界第二の知的種族。その友好の架け橋として、私は婚約を結ぼうとしていた。

 だから、きっと文化が違うんだわ。この正直気持ち悪い話し方も、吐き気がする笑い方も、きっと海での敬語なのよ。だから顔に出してはいけない。笑顔を引きつらせていけない。隣に立つお父様も必死に堪えているわ。だから私も耐えるのよ! お父様の努力を無駄にしてはいけないわ!

 それでも、彼のにやけた口元からギザギザした歯が覗く。

「ヴェロニカ氏は本当に美しいですなぁ。こんな綺麗な人、初めて見たでござる。デュフフ……もう惚れ惚れしすぎて拙者オーバーキルでゲームオーバー。はい拙者の人生オツ。またリセマラしてもヴェロニカ氏をお迎えしたいでござるなぁ」

 うん、無理です。気持ち悪いです。何を言っているのかさっぱりわかりません。
私が固まっていると、彼の後ろに立っていたやたら派手な付き人が、スパンッと彼の頭を叩いた。

「お馬鹿。やっぱり陸のお嬢様ドン引きしているわよ。ゴメンナサイねぇ、コチラも悪気はないのよ~。まだ陸の言葉に不慣れなの。これから色々と教えてねぇ」

 そう気安く女言葉を話してくるあなたも……男性ですよね? 背が私より頭一つ分以上高いし、体格もしっかりしてますし。お化粧がとても濃いですが。毛足の長いコートに負けないくらい髪も長いし、まつげも長いし、唇が真っ赤ですが!

 確か、こういう性癖の人を庶民はオネエと呼ぶんじゃなかったかしら……?

 ザァザァと白波が押し寄せる中、

「はい……こちらこそ、末永く宜しくお願いします……」

 私はろくにお辞儀も出来ず、引きつった笑顔を返すほかなかった。



 拝啓、親愛なるリカ=タチバナ様。
 どうやら私の新しい見合い相手は、かなり変わり者のようです……。


 
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