誰も悪くないのに婚約破棄された悪役令嬢は人魚王子との恋に溺れます




 そして、結婚式当日。

 王城はいつになく豪勢に飾り付けられていた。来賓も各国の重鎮ばかり。その中で執り行われた結婚式は、とても厳かさだった。誓いのシーンでは教会中が神の恩恵に包まれた。参拝席の一番後ろからでも、幸せそうな二人が容易に見て取れた。お似合いの二人だった。

「ニカ、大丈夫かな?」

 披露宴が始まるまでの僅かな時間。豪勢なシャンデリアで照らされた大広間の隅で、アトル様が私の顔を覗き込んでくる。

 結局、骨を伸ばすなんて突拍子もないことはやめて、靴を少し細工することになったらしい。だから、今日のアトル様はヒールを履いた私よりも、少しだけ背が高い。

 金髪がオールバックで固められ、目元にも少しだけアイシャドウが入れられている。元から整った顔立ちがさらに精悍に引き立てられ、年頃の令嬢たちもチラチラとアトル様を見ているわ。当の本人はまるで気が付いていないようだけど。

「大丈夫ですよ。今日のアトル様は、とても素敵です」

 私が微笑んで見せると、アトル様が苦笑した。

「そういう意味じゃなかったかな」

 もうすぐ披露宴パーティが始まる。国王陛下や主賓の挨拶が終わったら、私の番だ。

 なんとか、当たり障りのない文章を用意できたと思う。その挨拶が終わり、乾杯の音頭が終われば、今後は挨拶まわりだ。お父様と仲の悪い大臣から挨拶するのが吉か。婚約者としてアトル様を紹介しなければ。

 マルス様は控えの間で待機している。さすがに、このような公の場に付き人は同行できない。

「ニカ」

 これは仕事だ。壁の華でいる間に一通りの段取りを確認する。大丈夫。社交界に今更怖気づく私ではない。不慣れなアトル様のサポートをして、しっかりと卒なくこなせばいいだけのこと。

「ねぇ、ニカ」

 考え込んでいた時、私は頬を包まれた。手袋越しでも、少しひんやりとした手のひら。それが優しく、私の顔をあげさせる。

「大丈夫かな。安心して。僕がずっとそばにいるから」

 優しく微笑む金色の瞳の向こうに、私は思い出した。

 彼の短くなった髪。人魚の髪には魔力が宿り、その魔力の量で寿命が決まるという。体内に蓄えた魔力が、老化を抑えているというのだ。

 だから、その魔力を捨てた彼の寿命は縮んだ。彼が大人びて見えるのは、急に魔力がなくなったことによる老化の進んだ――彼の歳でいえば成長した――ということらしい。

 髪はいずれ伸びる。魔力もまた少しずつ溜まっていく。それでも、失くなったという事実は変わらないし、進んだ老化は戻らない。

 マルス様の説明に、アトル様は笑っていた。
 ニカの寿命に近づいた、とアトル様は喜んでいた。

 あぁ、なんて馬鹿な婚約者様。若さを捨ててまで、そばにいてくれなくていいのに。
 そんな人に……合わせる顔なんて私にはないのに。

「……アトル様。私、喉が乾いてしまって」
「あ、そうだね。ニカはこれから挨拶もあるし……ドリンクはあそこで貰ってくればいいのかな?」
「お願いできますか?」
「もちろん。待ってて」

 顔を背けた私にも、アトル様は優しくしてくれる。

 人並みに慣れずとも溶けていく背中を見送った時、図ったかのように会場が暗くなった。
 パーティが始まる。

 司会者の挨拶ののち、螺旋階段の上から新郎新婦が登場した。堂々とした新郎に対して、新婦は恥ずかしげに苦笑しながら、二人でゆっくりと階段を降りてくる。足取りが不安定な新婦を新郎は難なくエスコートしていた。たまに顔を合わせ、微笑みあって。なんて仲睦まじいお姿だこと。

 階段を降り、新郎新婦は壇上へ。一礼を終えたのち、私は花嫁と目が合った。嬉しそうな顔をした彼女から、私はひとり目を逸らす。

 そしてパーティはつつがなく進行する。国王陛下の挨拶がおわり、来賓代表の挨拶がおわり――私の番だ。

 アトル様は戻ってこない。壇上以外は暗く、人も多いことから戻ってくれなくなったのでしょう。それでいい。こんな情けない姿、見られなくないもの。

「それでは、新郎新婦の友人でもあるヴェロニカ=スーフェン様。宜しくお願いします」

 司会者から声がかかる。せめて、背筋だけは伸ばそう。私がゆっくりと壇上の二人の前で歩みを進めた――時だった。

「える・おー・ぶい・いー・ヴェ・ロ・二・カっ!」

 その張り上げられた無駄な美声に、私は既視感を覚えずにいられなかった。

 私の足元に淡い光の道が出来る。私の周囲と新郎新婦の周りには花をかたちどった光がいくつも浮かんでいた。その光景は、暗い会場で幻想的でもある。

 思わず足を止めた私は、声の方を見る。

 そのまわりだけ、人がはけていた。それはそうだろう。派手なガウンのような物を着た男性が声を張りながら光る棒を二本、中腰で振り回しているのだから。

 もちろん、踊っているのはアトル様。

「言いたいことが、あるんだよ! やっぱりヴェロニカは、かわいいよ! 好き好き大好き、やっぱ好き! やっと見つけた、お姫様! 俺が生まれて、きた理由! それはお前に、出会うため! 俺と一緒に、人生歩もう! 世界で一番、愛してる! ア・イ・シ・テ・ル!」

 やめてくださいっ! 珊瑚の棒は今日も綺麗ですが、危ないでしょう⁉ どこからそのガウンみたいなの持ってきたんですか⁉ てか、まわりの視線に気が付いて! もう衛兵も騎士もみんな唖然として動けないくらい引かれていますから! 偉い人やまほどいるんですよ⁉ 冗談や知らなかったじゃ済まされないんですよ⁉

 それでも――この踊りの意図を、私は知っている。

 応援するための舞だと、私は知っているのだ。

「ニカの瞳に恋・し・て・るっ!」

 ですが、私の瞳の前にまわりの寒々しい瞳に気が付いてくださいいいいいいいい!

 え、どうしろというの? こんな時にマルス様は? この光だって――ああ、アトル様の魔法なのですね。やったね、と言わんばかりの全力ウインクが可愛いですが、ほんとにもおおおおおおおお。先日のマルス様じゃありませんが、叫ばないとやってられませんよ!

 だけど――ふと私は気付く。壇上の花嫁リカ様は喜んでいる? 小さな声で、隣の新郎ミハエル様に嬉しそうに話している様子。だからこそ、ミハエル様もこの奇行を制止させてないようだ。

 ならば、このまま進むしかないじゃないっ!

 私は鍛え抜いた社交技術で何食わぬ表情を作り、新郎新婦の前へ歩みを進める。光る道のおかげで歩きやすい。

 そして、二人の前で完璧なお辞儀をした。

「ただいまご紹介にあずかりました、ヴェロニカ=スーフェンと申します。まずはお騒がせてしまったことを謝罪させてください。リカ様に喜んでもらうべく、こっそり余興を準備してみました」

 えぇ、こうなりゃ自棄よ。恥も泥も一緒に被りましょう! 

 これは余興よ、芸なのよ。リカ様のご趣味は理解できないけど、喜んでいるならそれで良し。してやったりの仮面の笑顔でやり抜いてみせるわ。

「改めて、ミハエル王太子殿下、聖女リカ様、本日は誠におめでとうございます。僭越ではございますが、お祝いの言葉を述べさせていただきます」

 もう、どんな言葉を用意していたか忘れちゃったじゃない。
 それでも、今もアトル様の全力な美声が背中を押してくれているから。

「……私は、以前ミハエル様の隣におりました。そばで見るミハエル様はいつもご立派で、幼少期から私はいつもミハエル様に助けられておりました。スライム事件を覚えていらっしゃいますか? あの時から、私は今でもぬるぬるしたものが苦手ですが……ミハエル様は克服したのですよね? 努力家で、真面目で、勤勉な貴方様が今後築く為政に、私は何の心配も抱いておりません。どうか、そのままの貴方様で、立派な王となられること、信じております」

 その言葉に、ミハエル様は小さく「覚えている」と笑う。
 そして私は微笑み返して――視線をリカ様に向けた。

「リカ様……貴女様のご活躍を知らない不届き者は、この世界におりません。だからこれからは堂々と、そしてのびのびと、ミハエル様の隣でお過ごしください。貴女の無邪気なその笑顔に、私はいつも救われておりました。また一緒に城下でご飯を食べましょう。お忍びならお任せください。貴女の笑顔のためなら……私は騎士団長の小言も怖くありませんわ」

 その言葉に、リカ様は「ぜひ一緒に怒られましょう」と笑う。

 あぁ、もうむちゃくちゃだわ。こんなこと、人前で言って良いことじゃないのに。

 それでも、二人が笑ってくれるから。嬉しそうにしてくれるから。なんかどうでもよくなっちゃった。

 改めて思うの。やっぱり、私はこの二人が好きなのよ。

「おふたりの末永いお幸せを心より願い、私の祝辞とさせていただきます」

 だから、どうか幸せに。私の胸は少し痛むけど……それでも、あなたたちが笑っていてくれるのなら、それでもいいわ。

 だって私にも、素敵な婚約者がいてくれるのだから。

 お辞儀のあと、私は踵を返す。光で照らされている道を、私は戻る。

「タイガーっ! ファイヤーっ! サイバーっ! ファイバーっ! ダイバーっ! バイバーっ! ジャージャーっ‼」

 その声援は、何を言っているのかさっぱりわからないけれど。

 私も調子に乗っていたのだろう。もう何でもござれと歳も考えず、顔の横で親指と人差し指を交差させ、アトル様に向かって片目を閉じてみせる。お礼のファンサってやつだ。

「きゃあああああああああ♡」

 なぜかリカ様の黄色い声が発せられるのと同時に、踊っていたアトル様の動きがピタッと止まる。そして、鼻血を吹き出して仰向けに倒れていった。

 ……え? 何が起こったの?

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