追放された大聖女は隣国で男装した結果、竜王に見初められる
 コートを脱ぎ、身軽になったフローラは廃棄直前だったパンの山を抱え、裏通りを歩いていた。歌劇団に入団してから護身術も身に付けた。アン=カルネオールはもともと治安はいいほうだが、用心するのに越したことはない。
 ベルトにつけた短剣が歩くたびに揺れる。

(今夜はシチューにしよう)

 少し硬いパンもシチューに浸せば、いくらか食べやすくなる。今夜のメニューを考えながら飲食店裏の狭い通路を横歩きで通過していると、視界の先で男性が倒れていた。ざっと見る限り、身なりは悪くはない。武装している気配もない。

「ちょっ――あなた、大丈夫!? しっかりして!」

 パンを入れた袋を横に置き、うつ伏せになっていた男を仰向きにさせる。襟足が少し伸びた灰銀の髪がさらりと耳元に落ちる。
 フローラが肩を叩くと、うう、とうめき声がもれた。

(よかった。息はしてる。……見たところ、出血した様子もないわね)

 しかしながら、男の顔立ちは作り物めいた美しさがあった。均整の取れたパーツの並びに長い睫毛。形のよい薄い唇。体は細いかと思ったが、意外としっかりしている。
 ふと、男の瞼がふるふると震え、赤みがかった紫色の瞳が開く。オレンジを足せば、朝焼けの色だと思った。

「……み、水……」
「水が欲しいのね? わかったわ、ちょっと待っていて!」

 男を壁際に座らせ、フローラは急いで家からコップに入れた水を持ってきた。焦点が合っていなかった男は少し意識がはっきりしたのか、ゆっくりとコップを両手で受け取り、ごくごくと水を飲み干した。

「大丈夫?」

 フローラが顔を近づけると、男は低音だが耳に馴染む声で返した。顔色はまだ悪い。

「……ああ。死ぬかと思った」
「こんなところで倒れているなんて、何があったの?」
「……下町の皆と酒の勝負をしていたんだ。くっ、やつら……あれほど高い度数の酒を仕込んでいたなんて。おかげでこのざまだ」
「つまり、飲み過ぎたということね」

 呆れた声を出せば、男は返す言葉が見つからないのか、うなだれた。男の右耳には肩につくほどの長さの耳飾りがある。竜族のしるしだ。耳飾りはいろんなデザインがあり、番いとなる者に同じ耳飾りを贈るという風習がある――らしい。
 彼の場合は小さな雪の結晶をかたどったデザインだ。

「……で? 酔っ払いさん。家まで帰れそう?」

 両腰に手を当てて聞くと、男はきょとんと瞬いた。見た目は二十代前半だろう。ただ、長命な竜族なら見た目と実年齢はイコールとは限らないが。

「いや……まだ当分まともに動けそうにない。このまま捨て置いてくれて構わない。君には世話になった」
「仕方ないわね。肩を貸してあげるから、つらくても歩いてちょうだい」
「は?」
「今晩は泊めてあげる。秋も終わりかけ、こんな夜空の下で寝ていたら風邪を引くわ」
「だ、だが、見ず知らずの女性にそこまでしてもらう道理は……」
「いいから歩く!」

 やや強引に腕を引っ張ると、男が立ち上がった。彼の右腕を自分の肩に乗せると、むわんとお酒の匂いがした。その匂いだけで頭がクラクラしそうだった。
 飲酒量が明らかに彼のキャパを超しているのは明白だ。

「今後は飲み過ぎ禁止! わかったわね!?」
「は、はい」
「――ところで、あなた名前は?」
「アレク……」
「私はフローラよ。さあ、アレク。きびきび歩く!」

 よたよたと千鳥足のアレクを叱咤しながら、帰り道をいつもよりたっぷり時間をかけて歩いた。酔い潰れたミリアムの介抱で慣れたつもりだったが、力が出ない男はなかなかに重い。一歩一歩が牛歩のようだった。
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